暇なら廻れ | ナノ
8


「三上、先生」

ひょろりと長い身体を曲げてドアを潜り抜け、教室内に入ってくる三上先生が、かくれんぼ一回戦終了の鐘を鳴らす。

「栗島君の、負けだね」

座り込んだ俺の側まで来た彼は、そのまま床に膝をつく。少しだけコンパクトになった先生。彼を大きいと表現するには、横幅が全く持って足りない。俺も大概細いが、三上先生はそれを上回る。ご飯を三食きちんと食べているのだろうか。

「なんでこんな所に三上先生が居るんですかぁ?」
「僕は栗島君とかくれんぼをしてたんだ。ね?栗島君?」
「え、はい!こんなすぐ見つかると思ってませんでした」
「ふふ」
「…ふぅーん」

随分とつまらなそうな顔をする会計さんがじぃ、と此方を見る。三上先生はそんな会計さんに気付いているのかいないのか、先程留め損ねた俺のボタンを一つ一つ丁寧に留めてくれる。いつもピアノを弾く彼の指は綺麗だ。

「よし、できた」

最後の一つを留め終わると、三上先生は俺の頭を撫でる。ありがとうございます、と言えば柔らかく笑った。ふにゃりとした笑みは健在だ。
俺はいつの間にか手放していたネクタイを掴み、ワイシャツの襟に通す。しゅる、しゅる、と結びながら、会計さんの方に向き直る。目があって、首を傾げた彼に、どすこい、と手のひらで空気を押した。理解できなかった会計さんの細められた目が『何こいつ』と言っている。

「会計さん」
「え、なに。なに、この手」
「相撲は、もう少し温かい日にやりましょう」
「…はぁ?」

言葉にしても、意味が分からない、と声を上げられる。会計さんったら、我慢してくださいよ。俺、風邪引いちゃうから。夏はもう少し先ですぜ。
 
「松園君」

伸ばしていた手で親指を立てようとしたところで、三上先生が声を上げる。一瞬俺かと思ったが、俺は栗島である。危うく自分の名前を忘れるところだった。ふぅ、と一人で溜め息を吐いていると、なんですかぁ、と会計さんが反応するから、松園君とは、会計さんのことなのだろう。

「栗島君は赤ちゃんみたいな良い匂いで凄く可愛いよね」

唐突に三上先生がそんなことを言うから、会計さんが目をぱちくりとさせる。いきなりなんの話だ三上先生。赤ちゃんみたいって、やっぱり俺は乳臭いのか!?いや、まさか!
それに、確かに俺の幼少期は可愛かったが、今の俺は平凡極まりない。横で会計さんが「かわい、い…?」と考え込んでいる。正しい反応だが、俺の顔を見てそんなに不思議そうにされるのも、複雑である。なにが何なのかよく分からなくなってきたころ、でもね、と三上先生が続ける。

「栗島君は誰のものにもならない綺麗な子なんだ。さっきみたいに穢そうとするなんて、許されないよ」

先生の話の10割意味が分からなくて、首を傾げた。
会計さんを見ると、ヒクヒクと口元を痙攣させていた。

「センセ、ちょっと教師の作る距離じゃないですよぉ?」
「ふふ、そうかな?僕も人間だからね」

座り込みながら二人が笑い合っているので、俺もとりあえず笑顔を浮かべてみた。あれ、なんか楽しい気分になってきたぞ!

「ふっふっふっ」
「…栗島、クン?だっけ?なんで笑ってるの?」
「あ、なんか二人とも笑ってるんで、俺もとりあえず笑っとこうと思って笑ったら、なんか楽しくなっちゃって!あは!」

会計さんが、口元で、きもい、と零す。酷い言葉だが、俺は今なんか楽しいので、許して差し上げよう!

「ふはっ…ふっ」
「ふふ、栗島君、可愛い」
「ははっ……え、あ、わっ!」

笑っていると、俺の目の前に移動した三上先生先生が、俺の両脇の下に手を差し込んできた。もっと笑わせようとしているのか知らんが、くすぐったい。
思わず身を捩ると、楽しそうな表情の三上先生は、そのまま腕に力を入れてきた。俺の身体が浮く…え、

「みみみみ三上ティーチャー!?」
「栗島君、軽いね、ご飯食べてる?」 
「食ってるわ!…あ、ごめんなさい」
「ふふ、気にしてないよ」
「あ、いや、それより…えぇ!?」

なんと三上ティーチャーは俺を持ち上げたのだ。俺を、持ち上げたのだ!
俺の脇に手を入れて、軽々と持ち上げ立ち上がった彼は紛れもない、非力ピアニスト三上な訳で、でも、俺を持ち上げている。え、非力じゃないの?

驚きすぎて目を白黒させていると、会計さんも驚いていたのか「本当に三上先生…?」と声を漏らす。

「三上先生、非力ピアニストじゃないんですか」
「んー、今日は元気100倍だから、力も100倍なんだ」
「すげー!」
「え、思ってたけど栗島君って馬鹿なの?」
「そんなところも可愛いんだよ」

会計さんの言葉にそう返す三上先生は、腕に力を加えて、俺を抱っこした。これじゃ本当に赤ちゃんを抱く体勢じゃないか。お、俺乳臭いって遠回しに言われたこと根に持ってるから!
そうは言っても、三上先生は身長190越えである。視界が少し高くなって、思わず息を詰めた。俺は多分プチ高所恐怖症であることが今分かった。

「よし、行こうか、栗島君」

そのまま歩き出した三上先生は、思い付いたように一度立ち止まると、会計さんの方に振り返る。

「松園君、風邪引くからボタンはちゃんと閉めるんだよ」

それだけ言うと、俺を抱えたまま教室を出た。最後に見た会計さんの顔は、驚きやら苛立ちやらで、混乱していた。

そして抱っこされたまま音楽室に戻った俺は、赤ちゃんじゃないだとか匂いは碓氷オススメの柔軟剤の匂いだとか騒ぎ主張したあと、また三上先生がひっぱり出して来たお菓子を二人で食べた。ふわりと甘いマーマレードが美味しくて、すぐに機嫌は良くなった。力持ちな三上先生の事も、すぐに頭から離れた。

「ふふ、美味しい?栗島君」
「でりしゃす!」



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