短編 | ナノ
彼の文房具
「ねぇ河原くん」
お昼ご飯も食べ終わって、休み時間がまだある事を確認して昼寝でもしようかと机に伏せたところで名前を呼ばれた。顔を上げれば前の席に座るクラスメートの安田くんが僕を見ながら爽やかにはにかんでいた。
「安田くん、どうしたの?」
安田くんは凄く格好良いしクラス委員長で頼りなるからとてもモテる。サラサラの髪や涼しげな目元なんかがチャームポイントだと僕は勝手に思ってるけど実際は安田くんのどこをとっても美しい。
そんな安田くんは格好良いだけではなくて存在感の薄い教室の隅がお似合いな僕ともお話しをしてくれるとっても優しい人だ。
僕には友達がいないから、こうしてお話ししてくれるのはこの学校では安田くんだけだ。
安田くんがいないと僕は一人ぼっちになってしまう。
「新作が出来たんだ。これ、使ってくれない?」
そう言ってシャーペンを差し出す安田くんが目尻を少し赤に染めて控え目に僕と目を合わせる。
彼の言葉に内心、またか、と思う。
学校一のモテ男の安田くんは、某有名文房具メーカーの社長の息子だ。
そして将来は親の会社に就職する予定らしく、こうして僕に新商品を使わせて『一般人の声を聞きたい』と言って、今から会社に貢献しているようだ。
そんな安田くんを、僕は純粋に尊敬していた。
高校生のうちからそんなことができるなんて、やっぱり安田くんは凄いのだと。
「い、いいの?僕、お金を払ってるわけでもないのに…」
ただ、最近はその頻度があまりにも多くて、少し驚いてしまう。
何せ彼はシャーペンやら消しゴムやらと、週一のペースで僕に試作品を渡して来る。
文房具の会社詳しくない僕としては、果たしてそんな早いペースで新作ができるのかと疑問に思うのだ。
だが、恐る恐る尋ねた僕に、ニッコリとカッコイイ微笑みを浮かべた安田くんは、そっと僕の手を取る。
「そんなこと気にしないで。それに俺の方が助かってるんだから。ね?」
そう言われてしまえば、もう何も言えず、わかったと頷けば、満足そうな笑みが返って来る。
こうやって沢山文房具を渡されるが、僕のペンケースがパンパンかと言われれば、そうでもない。
「河原くん、じゃあ、その」
「あ、ああ、うん。ちょっと待ってね」
僕は慌てて自分のペンケースの中から、前回安田くんから渡されたシャーペンを取り出して、安田くんに渡した。
「これ、シャー芯が折れ辛くてとても使いやすかったよ」
「ああ、ありがとう。父さんに伝えておくよ」
安田くん曰く『あんまり沢山あっても邪魔だろうから』と、新しいのを渡す代わりに古いものを引き取らせてほしいと。
わざわざ申し訳ないと思いつつ、僕としてもそんなに沢山あっても置き場所に困っていたし、何より毎回新しいものを渡してくれるので、特に困ることもなく古いものを安田くんに渡していた。
まぁ、古いと言っても数日使った程度なので全然汚れていないのだが。
そう思うと僕は随分と贅沢なことをしているな、と目の前の安田くんを見ると、僕が渡したシャーペンを、酷く大事そうに制服のポケットにしまっていた。
***
そんなある日のこと。
「え、安田くんのお家に?」
「うん、河原くんさえ良ければ」
安田くんの家に遊びに来ないか、と誘われた。
小さい頃から内気な僕は、高校に入ってからもまったく友達ができず、もちろん誰かの家に誘われるなんてこともなくて。
初めてのお誘いに舞い上がった僕は、一も二もなく頷いた。
***
「わぁ、立派な家だね!」
「そうかな?」
その日の放課後、安田くんと一緒に彼の家まで行った。
安田くんの家はとても大きくて綺麗な一軒家だった。
初めて見るくらい立派な建物に一人興奮していると、隣からクスクス笑う声が聞こえて、恥ずかしくなる。
「あ、僕…」
「ふふ、河原くんは可愛いなぁ…」
「えっ?」
「いや、ほら、とりあえず中に入ろうか」
「あっうん!」
扉を開いて待っていてくれた安田くんに慌てて「お邪魔しますっ」と家の中に入った。
玄関もすごく綺麗で、土足で入ることを躊躇ってしまうほど掃除が行き届いていた。
「あ、そういえば、安田くんのお母さんは?」
挨拶くらいはしなきゃ、と安田くんに尋ねると、すぐに「いないよ」と返ってきた。
「そ、そうなの?」
「うん、近所の人と料理教室に行ってるからね」
「へぇ、すごいなぁ」
料理教室なんて、うちのお母さんは絶対行かないだろうなぁ。
微妙に美味しくないお母さんの料理を思い出して心の中で苦笑いしてると、「俺の部屋に行こうか」と手を握られて思わず肩が跳ねる。
「うん?どうかした?」
「あ、いや、なんでもないよ…」
驚いて安田くんの顔を凝視しても、いつも通りの綺麗な顔で微笑まれて何も言えなくなる。
そうだ、安田くんは人気者だから、これくらいのスキンシップは普通なんだろう。友達がいない僕が慣れていないだけなんだ。
安田くんに手を引かれて連れて行かれた部屋は、家具がモノクロで統一されていて、とってもカッコ良くて安田くんにピッタリの部屋だった。
「何か飲み物持ってくるから待ってて?」
「あ、ありがとう」
「適当に座ってて」と部屋を出て行った安田くん。
僕は初めての安田くんの部屋に落ち着かずにウロウロと歩き回る。
「…『試作品』?」
そして机の上にあった『試作品』と書いてあるノートを見つける。
僕は人のものを勝手に見るなんていけないと分かってはいても、気になってしまい、恐る恐る手に取った。
1ページ目を開いて見ると、そこには
『細長い形状にした消しゴムは字の小さい河原くんには使いやすかったようだ』
と書いてあった。
僕のことをよく知っているような書き方をしていて、なんだか安田くんがぼくの親しい友達みたいですごく嬉しかった。
気分が良くなって、次々と読んでいく。そこには彼が僕に文房具を渡した数だけ、彼なりの考察が纏められていた。
安田くんはマメな人なんだなぁ。
これだけ毎回丁寧に細かく書けるなんてすごい。
感心しながら読み進めていく。
『河原くんは今回のシャーペンは使いやすいと言ってくれたけど、本当は何度もシャー芯が折れて使い辛そうだった。もっとシャー芯が折れにくい構造を考えよう』
『河原くんの手は小さいからもっと細身のボールペンを作ろう』
『河原くんの指にペンダコができたら大変だから、グリップの部分をもっと柔らかくしよう』
「なんか、これって…」
よく見てると言えばそれまでだけど。
少し僕に寄せて考え過ぎではないだろうか。
疑問を抱きながらも読み進めていくうちに、僕の顔は段々青くなっていった。
『河原くんがずっと持っていても疲れないように軽いものに』
『河原くんの蛍光ペンはもうそろそろインクが切れそうだからそろそろ新しいものを考えよう』
『河原くんには水色が似合うから、水色の物を増やそう』
『河原くんがテスト中にシャーペンを床に落として教師に拾ってもらっていた。河原くん以外の奴が触るなんて嫌だ。もっと滑りにくいものにしよう』
『河原くんは考えるときによく唇にシャーペンをつけているから尖っている部分を減らそう。シャーペンは特に回収するのが楽しみだ』
『河原くんが』
「河原くん?」
バサリと震える手からノートが落ちる。
慌てて振り向けば、手にトレーを抱えた安田くんが立っていた。
「あ、や、安田くん…」
引き攣る喉で彼の名前を呟けば、テーブルにトレーを置いてこちらに近付いてくる。
地に足が張り付いたように動けないでいる僕の横に立った安田くんが、机の上にあるノートを見て笑った。
「ああ、これ、見たの?」
声が出なくて、ただ頷く。
「河原くんのお陰でどんどんアイデアが湧いてくるよ」
「え…」
怒られると思ってのに、安田くんの声は優しい。
「それにね」
机の横にあった大きめの段ボールを取り出す安田くん。
ただの段ボールなのに、本当に大切そうに抱える安田くんに違和感を覚える。
そっと僕の前に段ボールを置いた安田くんは、そっと段ボールを開いた。
中には、ひとつひとつジップロックに入れられた文房具の数々。
その中の一つを取り出した安田くんが、僕の目の前にジップロックを持ち上げる。
僕はその中の消しゴム、そして一緒に入っている写真に目を見開いた。
「…え?」
そこには、確かにジップロックに入っている消しゴムを使っている僕が映っていた。
こんなのいつ撮ったのか。
「今まで河原くんに渡してたもの、全部僕が考案したものなんだよ」
「え…」
「自分が作ったものを、河原くんが使ってると思うと、それだけで興奮するんだ」
優しい声?いや、これは、恍惚と言った方が正解だ。
実際、僕を見つめる安田くんの目は恐ろしいほどうっとりとしている。
とうとう腰を抜かしてしまった僕は、すぐ目の前にある段ボールの中からジップロックを取り出す。
取り出すもの全て、僕に渡した文房具と、それを使っている僕の写真が入っていた。
「な、なんでこんな」
「なんでって?そうだな…」
僕の手から一つのジップロックを掴んだ安田くんは、僕の横に座ると、その中から写真とシャーペンを取り出すと、突然写真の方にキスをした。
「…な、なにして」
「河原くんはシャイだからね、今までこれで我慢していたんだ」
そう言って今度はシャーペンの方の、手でグリップの部分にキスをして、舌這わせた。
「ひっ、そ、そんなの、汚いよ!」
「汚くなんてないよ。だってこれは河原くんが使ったものなんだよ」
そう言ってまたシャーペンに舌を這わせる安田くんの右手が、彼のスラックスのベルトを外し、その中へと入っていく。そしてゆったりと上下に動かすような動きと、少しずつ荒くなる息に僕の心臓はドクドクと嫌な音を立てて、額には変な汗が出てくる。
彼は、なにをやっているんだ。
「や、やだ、やだやだ、やめてよこんなのおかしいよ!!」
気付けば狂ったように叫んでいた。
その声に動きを止めた安田くんが、シャーペンから口を離して、ゆっくりこちらを見てくる。
目が合って、さらに心拍数が上がる。
「こんな俺を見て、友達をやめたくなった?」
「…や、安田くん」
「でも、もし河原くんが俺から離れたらさ」
河原くん、本当にひとりぼっちだよね。
「ひとり…」
「そう、俺がいないと、友達一人もいなくなっちゃうよ。また、寂しい思いをすることになる」
安田くんに出会う前のことを思い出して、体が震える。
また、一人になる。
あの、寂しい寂しいひとりぼっちに戻ってしまう。
そんなの嫌だ。
「ああ、河原くん、泣かないで」
じんわりと滲んできた涙を、近付いてきた安田くんの唇が掬い上げる。
ビクッと体が強張ったが、「ひとりぼっち」という言葉が、僕を逃がしてはくれなかった。
「ねぇ河原くん、これからも、俺の考えた文房具、使ってくれるよね?」
頷くことしかできない僕に、彼は美しく微笑む。
その微笑みは、もう僕に恐怖しか与えなかった。
そっと唇にキスをされる。
「ありがとう、大好きだよ、河原くん」
(彼の文房具)
(それは全て、僕への歪なラブレター)
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