ふわりふわりと花びらの舞い散るにはまだ早く、新緑が芽吹くときを控えてじっと息をひそめている3月初旬。黒い学ランは珍しく第一ボタンまでしっかりと留めて、中のワイシャツもアイロンを施してある。いつもは脱ぎ捨ててしわのついたスラックスも、綺麗なセンタープレスがくっきりと浮かび上がっていた。まだ春と呼ぶには早い今日、体育館に響くのは校長のボケ混じりの送別の式辞であり、自分たちの役目はそれに突っ込み笑うことと、この学び舎を送り出されることだ。

退屈な式辞の続く体育館は、練習のときとは違い、しんと静まり返っている。練習中あれだけ注意されていた千歳も、今日はきちんと起きて行儀良くしているらしい。自分の座る席より幾分前に頭一つ飛び出した後ろ姿が目に入った。なんやかんやと騒いで目立っていたユウジと小春も、その声が聞こえないあたり、型にはまったツッコミと笑いで済ませているのだろう。(練習中は彼らのツッコミが奇抜な上に絶妙なタイミングで、式辞どころじゃなくなった)

高くそびえるガラス窓の向こうには、何の曇りもない青空が広がっている。ひばりがさえずりでもすれば完璧に近い春の訪れだ。まだ冷えの行き渡るワックスの塗られたフローリングはいつにも増して輝き、窓の向こうの景色を映し出していた。


(なんや、あっさりしとるもんやな…)


漆黒の学ランには不釣り合いに明るいその髪は、受験日の数日間以外はその色を保っていた。それは自分に限らず、同じクラスに籍を置く忍足も同じである。お前ら根は真面目やのに全くそうは見えへんな、とは担任の台詞だ。呆れ返った顔で嘆息する姿が、今も鮮明に思い出される。相変わらずなのは自分達だけではない。千歳の下駄でこそ流石に上履きに履きかえられてはいるが、一氏のバンダナも金色の丸眼鏡も石田の坊主頭も、何ら変わらず半年前と同じ姿を保っている。眩しく煌めいたあの夏と、何一つ変わっていないのだ。目を閉じればすぐにあの夏が蘇るというのに、自分達はもう数時間でここを後にする。実感など湧くはずもなかった。

それは、数週間後にはまた同じ校舎で顔を合わせる面子が少なくないことが感覚の鈍さを助長しているのかもしれない。いや、数週間後と言わず、明日にでも後輩にちょっかいを出しにまたテニスコートに向かうのだろう。それでも桜の咲く頃には、もう見られなくなる姿がある。それは確かだった。

幸いにもテニス部全員がそれぞれの第一志望校に受かり、また一緒にテニスをできることとなった。しかしそれは今と同じではない。沢山の新しい顔ぶれが揃う中また一から積み上げねばならないし、何より自分達が可愛がり愛おしく思ってきた後輩達の姿はもうないのだ。可愛らしい後輩達の他愛もないやり取りが見られなくなるのかと考えると少しばかり寂しい気持ちが芽生える。元部長としては自分の感傷よりも去り行く部の今後の心配のほうが大きかったが。それでもきっと、あの後輩なら大丈夫だろう。そう信じて託せる後輩がいることの心強さを、今深く感じる。

在校生に見送られ装飾された体育館をあとにすると、緊張の解け涙腺の緩んだ卒業生が溢れかえる。泣く者が多数を占める中、相変わらず笑いを取る者や(勿論うちのお笑いダブルスはその中に含まれている)喜び合う者も少なくない。校庭全体が何かのパーティーかと思わせるような光景に、やはり四天宝寺は四天宝寺なのだと、どこか呆れと安堵の混ざったため息が零れた。


「しーらいしー!はよう、はよう!」


元気に飛び跳ねながら手招きする相変わらずの小さな体に、笑いが零れた。その隣には相変わらず面倒臭そうな様子を隠さずに、けれど律儀に先輩の姿を待つ姿がある。手招きに応えるように足を運べば、どこから来たのか、3年間苦楽を共にした仲間の姿。


「相変わらずやなぁ、金ちゃん」
「卒業式でも変わらずヒョウ柄かい」
「そういう先輩らも頭そのまんまやないですか」
「受験の時は黒染めしたって」
「あんときの謙也、ほんま笑えたな」
「どこぞのがり勉かと思たわ」
「ユウジに言われたないわ、自分かてどこぞのオタクやったやないか」
「やかましわ!」
「でもあれはあれで良かったわよぉ、ユウくん」
「ほんまか、小春…!」
「金ちゃんにもうタコ焼きも奢れんばいねー」
「いややそんなんー」
「そんな我が儘言う子には何が出るか…わかるな?金ちゃん」
「ひっ!ど、毒手はいやや…!」
「…自分ら、ほんま相変わらずっすね…」


目の前に広がるその光景は、半年前と何ら変わりない。身を包む制服がどこか浮いて見えるような錯覚すら感じる。今すぐにでもあの夏の陽射しの中、目を輝かせてコートに立ちそうだった。さりげない仕草も、交わす言葉も、笑い合うその笑顔も、コートの中と同じだった。指標としていたものを失っても、刻んだ絆は解けることなく固く固く結ばれていた。何も、変わらないのだ。きっと、この先も。


(あっさりしとるんやない…ただ俺らが変わらんだけや)


それぞれに変わらない自信がある。だからこそ、今日が卒業式だとしても変わらず日常に溶け込んでゆくのだ。そしてその自信は、それぞれの胸に息づいた新たな指標に基づいている。


「財前」
「何スか」
「あとは頼んだで」
「…」
「お前が、成し遂げや。ほんで俺らに見せたってや」
「…ほんま、自分勝手っすね」


尖らせた唇は相変わらずだけれど、その瞳は黒鉛色の向こうに揺らめく炎を宿らせている。きっと彼なら、大丈夫だろう。自分達の成し得なかった夢を成し遂げてくれるはずだ。

そして灯るのは新たな光。


「さて、俺らも頑張らなあかんな」
「せやな!またスピード上げたるわ」
「お前それ以上上げたら姿見えへんで」
「うちらも新しいネタで攻めなきゃねぇ?ユウくん」
「無我を追求するばいね」
「信義なり」


目を配せれば期待に満ちた瞳がかちあう。それは形容しえない楽しみに揺れていて、全員が揃って同じ色を見せるなんて揃いも揃ってどうしようもない者が集まったものだと嘆息する。けれどそこには自分自身も含まれていた。期待を隠しきれずに揺れる瞳、弾む心が胸を叩く。口元が緩むのも無理はなかった。


「ほな、行こうか」


飛び跳ねながら見送る小さな姿と、相変わらずの仏頂面の中に真面目な面影を残す姿を後に、俺達は足を踏み出した。

今日はゴールテープを切ったんじゃない。新たなスタートラインに立ったのだ。俺達にゴールテープなんて存在しない。するのならそれは、半年前の夏と変わらない。同じメンバーで、同じ目標を目指し、それを実現する。その時がきっと、ゴールテープになりえるのだろう。だからゴールはまだ保留だ。ここで終わらせなんてしない。いつだって気持ちは先を向いている。


ひらり、振った手に、どこからか薄桃の花びらが掠めていった。
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