いつの間にか穏やかな秋は通り過ぎ、キンと凍てつくような空気に変わっていた。年の瀬と言うにはまだ少しだけ早い季節、わたしは冷え切った外気を避けるように肩を縮めた。それでも耳元を冷たい風が通り抜けて行く感触に、ぶるりと背が震える。東京の冬なんて北国の冬に比べればたかが知れているけれど、それでも冬は冬なわけでその寒さは身体には堪える。

わたしが身を固くして縮めている横を何ともない様子ですたすたと歩くのはわたしの彼氏で、その「寒いですって?この程度で何を言うんです」とでも言っているような背中に理不尽な燻ぶりが募る。いや、今無言の背中に抱いている燻ぶりは理不尽かもしれないが、わたしが一言でも「寒い」と漏らせば100%返ってくるだろうその台詞への燻ぶりはそれ相応のものだと主張したい。なぜなら彼は足首までのスラックス、わたしは太ももから膝下までを直接外気に晒しているのだから、寒くて当然なのだ。それに彼は首元にマフラーをぐるぐる巻きにしているが、わたしの首元は、悲しいかな、結んだ髪の毛のおかげで綺麗に首筋まで晒されている。客観的に考えても彼よりも寒い恰好をしているのだから、彼より寒いと感じても仕方のないことなのだ。それなのに彼はと言えば何かと言えばお説教じみた言葉ばかり返してくる。

わかっていながらも頭の大半を「寒い」が占めている以上、無意識に口をつくもので、わたしは毎度懲りもせずに同じやり取りを繰り返してしまう。


「…寒い」
「この程度の寒さで何を言うんですか。まだ12月ですよ。そんなので年明けの寒さはどうするんです」


お得意の前髪をいじりながら、まるでダメな生徒に手を焼いている教師でも演じるかのように言葉を発する彼の姿は、毎度のことながらわたしに不満を植え付ける。簡単に言えば、ムカつく。相手を見下したように話すのは、彼の悪い癖の一つである。わたしが何を言ったところで直るものでもないため放っておいているが、実際、これで損することは少なくないんじゃないかと私は心配している。まあ、この学校にいる限りそのような心配はお節介なのかもしれないが。


「はじめはスラックスだしマフラーも巻いてんじゃん。わたし生脚に生首だし」
「物騒な物言いはやめなさい」
「…じゃあ生首筋?」
「…それも誤解を招くからやめなさい。脚はともかく、マフラーは自己管理の領域でしょう」


バカみたいなやりとりの後、彼は軽い咳払いをするとまたお得意のポーズに戻る。それがわたしの苛立ちを誘うということにいい加減気付いてほしい。

今までにも同じようなことを何度も繰り返し、その内の何回かはわたしが堪え切れずに爆発したこともある。だけど彼と言えばそのお得意の様がわたしをそうさせているなんてまったく気付いていなくて、その言いあいの内容にのみわたしの怒りの原因があると思っている。実際のところ、内容なんて彼の言い分が正論であることが6割で、わたしも自分で言い返せないこと、つまりは彼が正しいことなんてわかっている。けれど問題はその言い方なわけで、彼は天才的に相手の気持ちを逆撫でる言い方のプロフェッショナルなのだ。だけど、それにいちいち腹を立てていてはこちらの身が持たないと気付いたのはもう随分昔のことだ。


「はいはい、そうですね、わたしの不注意ですね」
「なんです、その言い方は」
「だって結局、今寒いことに変わりはないんだもん。ねーはじめ、あっためてよー」


首元を木枯らしが通り過ぎて行くたびに、わたしの背筋は震えて鳥肌を立てる。指先なんて冷えて感覚がないし、晒しっぱなしの太腿はあまりの寒さに歩き方が脚をすり合わせるようになってきてしまっている。なんで女子の制服ってスカートなんだろう。スラックスより断然可愛いけれど、冬の寒さに弱い女子にとっては致命傷だってことに気付かなかったんだろうか。そもそも女子の制服にスカートを起用したのは一体誰なのか。こんな男女差別ありがた迷惑もいいところだ。

寒さゆえの思考の果て、もはや何について考えているのか分からなくなった時だった。


「ひやぁ!」


無防備にさらされた首筋に木枯らしよりも冷たいものがひたりと触れた。いや、触れたと言うには強い力で包み込んだ。


「ぎゃっ!ばか!何すんの!離してよ!」
「…温めろと言われたので?」


わたしの首筋に触れた冷たいものは彼の両の掌で、わたしが叫んで逃げようとするのをそれはそれは楽しそうに見ている。きっと睨みつけるもそれは彼の口角を上げるのに助長するだけ。


「ひどい!こんなのいやがらせだ!」
「それは残念。喜んでもらえると思ったんですがね?」
「一歩間違えば絞殺だからね?!」
「僕に限ってそんな間違いは犯さないから大丈夫です。万が一犯したとしても、完璧なアリバイを作って潔白を証明して見せますから問題ありません」
「最っっっ悪!それが彼女に対して言うことなの?」


わたしが恨みがましく睨むと、先程の、一歩間違えば狂気にも変わりそうな微笑みがほんの少しだけ緩み、ぬるま湯のように穏やかな微笑みに変わる。それはきっとわたしにしか見せない笑みで、わたしと付き合うようになってからするようになった笑みでもある。そんな笑顔を見られることに少しの優越感と、抱えきれないほどの愛おしさを抱いてしまうのは、惚れた弱みだろうか。怒っているはずなのに、胸の奥底では「ああ好きだな」なんて感じて、結局許してしまうのだ。


「……はじめって本当にずるい」
「何がです」
「全部だよ、全部!もう何もかもがずるい!」
「アンフェアなことなどひとつもしていないというのに、酷い言い様ですね」
「もう存在がアンフェア」
「何です、その言い分は」


ちょっと眉をしかめた彼を無視して、わたしはつんとそっぽを向く。冷たい風が冷え切った鼻先をするりと掠めた。

何事もなかったかのような空気に戻ってしまった彼がどうしても悔しくて、何か仕返しをしてやりたくて、口元がむずむずする。こういう時、もっと頭の回転が速かったり口が上手かったりすればきっといくらかは彼に太刀打ち出来たのだろう。しかし残念ながら、頭の回転速度も口の上手さも彼の方が数段上だ。最終的に軽くあしらわれとどめの一言を言われてぐうの音も出なくなるのが目に見えている。なのにそんな彼も愛おしく思えてしまうなんて。それこそ惚れた弱みだろう。それでもどうにかして彼を驚かしてやりたくて、無い知恵を振り絞るわたしは相当の馬鹿なのかもしれない。
少しだけ前を歩く彼に何の予告もなしに、勢いよくキスをした。しかも唇に。


「?!」


彼が驚いて怯んだ隙に、キャメルのピーコートの中で持て余している掌を自分のそれでぎゅっと握る。つまりは、彼のコートのポケットに彼とわたしの掌が入っているわけで。いわゆるバカップルのしそうな典型的な冬の行為そのいち。


「ちょっと、何やってるんですか!」


人前でイチャイチャすることが嫌いな彼は、案の定少し頬を赤らめて焦り出す。ポケットから掌を出そうとしているけれど、残念、わたしはそんなに優しくない。指と指を絡めた恋人繋ぎはそう簡単には外せない。こういうのは素早く出来る技術を身に付けたんだなぁとどこか自分に感心してしまった。


「はじめが温めてくれるんでしょ?」


そう意地悪く上目遣いで言ってみれば、彼はぐっと詰まったように口元を歪め、そっぽを向いてしまった。それが彼の精一杯の抵抗だとわかると何だか可笑しくて可愛くて嬉しくて、胸の奥底にほっこりと温かいものが生まれてくる。きっと幸せとはこういうことを言うのだろう。きゅっと、握った手のひらに力を込めてみれば、それに応えるように握り返してくれる。心の真ん中から湧き出てくる愛おしさが溢れ出てきて、彼の腕にぎゅっと抱きついた。


「なっ!こら!調子に乗るんじゃない!」
「いいじゃん、あったかいし」
「良いわけありません!」


寒い冬の帰り道。





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プリムローズさまに提出

本当はもっとえげつない嫌がらせ(「勝ちたいのなら従え」と編み込んだマフラーを付けさせるとか)をしたかったんですが、企画提出作品なことと、クリスマス前なことで、空気を読んで可愛らしい嫌がらせに留めておきました…笑

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