ひゅっと息の吸い込む音がした。するとすぐにけほけほと咳き込む音が聞こえてくる。小さな体の震える振動が、ベッドのスプリングを揺らし、こちらへとその衝撃を伝えて来た。首だけで振り返ると、背中合わせで眠っていたはずの身体がきゅっと折り曲がり、肺の奥底からわき上がって来る空砲に必死で耐えていた。空砲を体内に留めようとどうにか抑え込もうとしているようだが、それでも次々と湧きあがってくる衝撃に耐えることは難しいらしい。小さな咳の合間に時折こちらがびっくりするような咳が入る。その身体が破裂してしまうのではないかと思うくらい。それならいくらでも出していいから、小さな咳に留めておいて欲しいのが本音である。だけどそんな心配、彼女は知らない。


「苦しいの?」


ぐるりと寝返りを打って、そっと震える彼女の身体に腕を回す。空砲に耐え、吐き出し続けた身体はその衝撃で熱を持っていた。彼女の、普段運動も何もしなくてひんやりとした体が、ぽかぽかと場違いなほどに温かいのは痛ましい。回した腕の中でも小さな体を硬くして空砲を押さえようとしている姿が切なかった。


「ごめん、起こしちゃったね」


首だけで振り向いた彼女が困ったように一つ、笑みをこぼした。


「うるさくて眠れないよね、ごめんね」


ぐっと彼女の身体に力が入る。ああこんなときまで自分に気を遣って我慢しているのかと思うと、そうさせている自分が情けなかった。


「そんなのはどうでもいいんだよ。それより、大丈夫なの」
「ん…大丈夫。風邪じゃないから」
「いつもの?」
「多分」


彼女の咳は、風邪などの体調不良ではない。むしろ彼女は割と健康的というか、いや、不健康なんだけれども幸か不幸か風邪などのいわゆる病気にはほとんど罹らない。彼女が寝込んだ姿なんてもう何年も見ていない。病気とは割と縁遠い所に存在するのが彼女だ。それは彼女がそう見せている面もあるのかもしれないが。

そんな彼女が今こうして耐えている咳は、ストレスからくるものだ。つまりはアレルギーが原因なのであって、いわゆる『病気』の仲間とは言い難い。それゆえ彼女自身も割と放置しがちなのであるが、そうして放っておくと今のように夜も眠れないほどになる。そうなる前に甘えてくれたらいいのにといつだって思っている。しかしそうなっても誰にも頼ろうとしないのが彼女なのであって、それが改善される見込みはまだない。
空砲を喉元で殺す振動が伝わって来た。


「我慢しなくていいよ。どうせうつらないでしょ」
「そ、だけど」
「じゃあ全部出したらいいじゃない。抑えるの辛いでしょ」


回した腕にぎゅっと力を込めると、その腕に細い彼女の腕が絡んだ。彼女の背中を通して伝わる衝撃は、思っていた以上に大きい。こちらの身体をも一緒に揺らすのではないかと思うほどだ。いつかこの身体が折れてしまうのではないかと不安にさせる。

ぐるりと彼女の身体を反転させると、不思議そうな色を浮かべた瞳と視線がかち合う。「どうしたの?」とでも言いたげなそれは、きっとこちらの気持ちなど気付いても居ないのだろう。胸元に押し付けるように抱きしめた。


「むっ!ちょ、急にどしたの?」
「いいから黙ってこうされてて」


頭を、咳に震える背中を、そっと撫でる。手の平から伝わる衝撃は、先程後ろから抱き締めた時よりももっと大きく感じられて、思わず顔が歪んでしまう。彼女には、「あっちゃんが苦しくなること無いのに」と困ったように笑われた。本当に苦しいのは彼女であるはずなのに、結局心配されているのはどちらか。それでも歪んだ顔をどうすることもできなくて、彼女が見えないように抱きしめ直し、ただただ撫で続けた。



どれくらいそうしていたのだろう。いつの間にか彼女の咳は治まり、穏やかな寝息へと変わっていた。そっと身体を離し確認すれば、目蓋をぴったりと降ろしたあどけない寝顔が目に入る。ふうと大きく息をつくと、漸く肺の奥まで酸素が行き渡った気がした。


(最初から甘えたらいいのに)


さらりと撫でた前髪はゆるゆるとその額を滑る。そんなにおれって頼りない?とちょっと自信を失ってみるも、こうして胸元にすっぽり納まって眠る姿を見ると、それでも彼女が気を許してくれているのだと感じざるを得ない。


(こんな安心した顔されちゃあね)


シャンプーの香る髪に小さくキスを落とし、そっと意識を閉じた。
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