ずきずききりきり苦しいほどに痛むわけではないけれど、気にすることなくあっけらかんと過ごせるような痛みでもない。鉛の塊がずーんと重くのしかかっているようなそんな痛み。湯たんぽか何かでじんわりと温め癒して欲しいような、じわじわと響く痛みだ。そんな日は決まって、瞳も憂鬱に色を失う。


(だるい…お腹重い…)


極めて痛いわけでもないから薬を飲もうにも飲めない。けれど他のことをして忘れてしまおうとするには、その自己主張は強い。どうにも手立てのない痛みは、腹部に限らずわたしの顔にも影響していた。


(絶対今ものすごい顔してる…)


それでも普段と同じ笑顔を装えば、誰も気付くことなく時間は過ぎてゆく。案外簡単なことであり、ちんけなことだ。隠す必要もないことを無理をしてまで隠すのは余程滑稽であるということをわたしはわかっている。わかっていながらそうするわたしはただの愚か者でしかないことは明白だった。

窓の外に目を向ける。途中、白紙のノートが目に入ったけれど、それは気にしないことにした。つまらない古文の授業をするには、この時間帯はあまりに無謀すぎた。昼過ぎの太陽は既に傾き始めていて、もう痛いほどに照りつける夏はおわったのだということを言外に知らしめていた。グラウンドの向こう、一番端っこに見えるグリーンはテニスコート。いつも遅くまで残っている、グリーンに映える白いユニフォームは今は姿を隠しており、ただ白線だけがか細く揺れていた。

コートの上でいつも悠然と腕を組んでいる彼は、今はきっちりとアイロンの施されたカッターシャツを身に纏い、わたしに背を向けている。好きな人より後ろの席というのは都合の良いもので、好きなだけその後ろ姿を眺めることが出来る。ちょっとした仕草でも揺れる癖毛、姿勢を変えるときに動く骨、頬杖をつく手首、亜鉛を走らせる指先。残念ながらその顔を真正面から覗くことはできないが、その分普段は気付かないような小さな仕草が垣間見える。慣れてくれば僅かなその仕草から、きっとこのような表情で、このような思考を巡らせているのだろうというところまで推測できるようになる。既にその技術を身に付けたわたしにとって彼の真後ろの席というのは、特上以外の何物でもなかった。

けれど今は、そんな彼の仕草に一喜一憂するほどの気力は持ち合わせているはずがなく、ただガラス越しに広がる空色をぼんやりと眺めるしかなかった。


「**?」


名前を呼ばれてはっと気付く。呼ばれたほうへ視線を投げれば、目の前の彼がプリントを持ったままこちらを向いていた。


「あ、ごめん」


喜ぶでも悲しむでもなくただ素直に謝ると、彼は訝しげにわたしの顔を覗き込む。彼は聡い人だ。そんなに近くで見られてしまっては、ばれないはずがない。そもそも部活だってデータを頼りにするような人なのだ。そんな彼を欺こうとしていること自体が、そもそもの間違いなのかもしれない。堪え切れなくなったわたしは視線を逸らす。

口元を歪めた彼は何か言いたそうで、追及されるかと息を呑んだが、彼は何も言わずにまた姿勢を正した。それにわたしはほっと嘆息をもらす。そうしてまたつまらない古典話に耳を傾ければ、鈍痛がよみがえるのだ。まったくもって迷惑な話だ。世の中には女性の損をすることばかりがあふれている気がする。何かと社会的地位が低いのも、権力という名の元に屈服させられるのも、性別という生理的差異を理由に酷い目にあうのも女性だ。子どもを産むのだって女性だというのに、世の中というのは女性に冷たい。もう少し労られても罰はあたらないはずだ。せめて、この定期的に訪れる生理現象から鈍痛を取り除くくらいの配慮はしてくれたっていいと思う。神に願ったら少しは和らぐだろうか。

やっとの思いで終礼の鐘を聞き届けると、束の間の休みを手に入れる。一気に体の力を抜くと、机に突っ伏した。むんと湿った木の臭いが鼻をつく。ガタガタと机や椅子の動く音がこだまする。普段よりもそれらが大きく鼓膜を叩くのは気のせいではないと思う。空っぽの頭にひどく響いた。

こんなことならちゃんと薬を持ってきていれば良かった。なぜこうなるとわかっていて持ってこなかったのか、今朝の自分に問い掛けたい。毎月のことなのだからわかっているだろうと責めてしまいたくなる。作り笑顔さえ繕えないというのならば、いっそ保健室から薬をもらってこようか。そう思いはするもののなかなか決意は出来ず、小さく息を吐いた。

そっと顔をあげると、目の前に見えるはずの背中が見えない。一体どこに消えたのか。真面目で合理主義の彼の姿が、授業間の短い時間に消えるなんて珍しい。この短い時間に彼の腰をあげさせるのは、部活関係の事務連絡が専らであり、その他の理由というのは少ない。たとえチームメイトが呼んだとしても、意味がないと判断したものは容赦なく切り捨てる。合理主義と言えば聞こえは良いが、つまりは排他的で極端な面倒臭がりなのだ。そんな彼の姿を連れ去るのは容易いことではない。

彼の席にぼうっと視線を泳がせていると、唐突に視界が翳る。席を外していた彼だった。


「おかえり。どこ行ってたの?」


わたしの問い掛けに答えることはなく、彼はただ無言でわたしの机に手を乗せる。指先が離れたと思えば、その下から覗いたのは小さな白い錠剤と携帯カイロ。理解できず瞳に疑問の色を浮かべると、崩した姿勢で浅く腰掛けた彼がふうとため息をつき、とんと人差し指を突いた。


「飲みなさい。こちらはあったほうが少しはましかと思ったので」
「…?」
「…顔に全部書いてありますよ。僕にそんな嘘が通じると思うんですか」
「え」
「僕を誰だと思ってるんですか。きみのことなんて見通し済みです」
「はあ…」
「いいから早く飲みなさい」


ひょいと差し出された水をありがたくいただき、小さな錠剤を飲み込んだ。こまやかな心遣いの産物もついでに活用させてもらう。指定セーターの下、ブラウスの上にそれを乗せると、彼の優しさがじんわりと染み込んで行くようだった。

排他的で極端な面倒臭がりだけれど、人を見捨てることが出来ず世話焼きなあまのじゃく。そんな姿に思わずふわりと笑みがこぼれた。本当はそのあまのじゃくな彼に恋しているわたしが、誰よりものあまのじゃくだった。だけれど今日は、丸く柔らかく心の底を素直にさらけだす。


「ありがとう」


彼はただ小さな笑みを口元に浮かべ、教師の入ってきたほうへと姿勢を正した。彼の背中には小さな骨の山が二つ出来上がり、そこには羽根が生えていた。わたしにとっての神はいつだって彼で、彼の裁量一つで一喜一憂し、痛みも苦しみも和らぐのだ。そして授かるのは最上の愛情表現。神はわたしを見捨てることなどないのだ。

こんなことなら女性でいるのも悪くないかもしれない。そんな現金な思考は、昼下がりの青空に溶けていった。
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -