さむい。今の心境を一言で表すならばこの言葉ほど的確に表せるものはないだろう。つい先日まで晩夏を思わせていた空模様は一瞬にして掌を返し、冬の入りとさほど変わらぬ気候になった。しとしとと音も静かに降り続ける雨だけが、いじらしくしとやかで秋を主張している。そんな秋雨も例年通りの気温であれば秋の風情と目を細めることもできたかもしれないだろうに、この寒さのお陰で体感温度を余計下げる厄介者としか思えなかった。そんな空の気まぐれないたずらに大学生の身分であるわたしがすぐに対応できるわけもなく。手元にあるのはまだ夏の間フル活躍していた半袖の服たち。冬物はまだクローゼットの中で眠っている。辛うじて、冷房対策の上着が数着あるのみだ。いきなり冬モードに切り替えなど出来るはずもなかった。そして、今にいたる。


「さーむーいー寒い!さむいよー」


冷え切った指先を絡めこすり合わせたり、直に空気に触れる二の腕を抱きかかえたり、思いつく限りの発熱行為を試してみるが、たいして効果はない。わたしが冷えて鈍くなった指先を抱え、小さく震えているというのに、隣の男はさも平然と歩みを進めている。それもそのはずだ。彼にはジャケットという大きな味方がついているのだから。


「はじめだけずるいよーなんで?さむいー」


こんなに寒がっているのに、大切な彼女に貸してやろうとかそういう気は起きないのだろうか。この男に他の男と同じような対応を期待するだけむなしいことはわかっているけれど。


「あのね、**。あなた自分が天気予報をちゃんと見ていないのが悪いんでしょう。先週の内から、今週はめっきり寒くなると言っていたでしょう。それなのになぜ、冬物を出さずにいたんですか」

「そんなこと言ったって、サークルとバイトがあればニュースなんて見てる時間ないし、そもそも見てたって入れ替えてる暇ないよ!ただでさえ課題で忙しいのに」


ニュースをちゃんと見ていなかったのは確かだ。天気予報をしっかり押さえておかなかったのも。仮にニュースが見れなくたって、天気予報くらい携帯を使えばいくらでも見れることはわたしもよくわかっている。でもそれでも、携帯電話でいちいち明日や来週の天気を確認する暇があるのであれば、課題に取り組まねばならない、そういう状況だったのだ。多分、そのことも彼はやすやすと見通している。だからこそ、余計に悔しい。


「課題は自分の責任でしょう。課題が出ることをわかっていて予定を詰めたのはどこの誰です。だから計算して予定を立てろと常々言っているのに、まったくあなたという人はこれっぽっちも学習しませんね。」

「はいはいすいませんね、授業とサークルとバイトではじめさんの言葉はインテイクできずにリフレクトしてしまいましたよ」

「そういうところがかわいくないと言っているんです」

「可愛くなくて結構。それより本当に寒い!ねえ、先に服見て行ってもいい?」


目の前に見えてきた駅ビルを指差し訊ねる。本当の目的地はこの中にある小さなカフェと、駅ビルに隣接している映画館。久々に重なったオフだったため、少し遠出をして二人で映画を見る約束だった。それでも相手はあの観月はじめであるわけだし、時間に余裕もなく出てくるなんてバカなことはしない。上着の一着くらい、余裕で見られる時間はあった。


「どうぞ。その状態で行かれてもどうせ映画の最中に寒い寒いと連呼されて集中できないでしょうからね」


素直に「いいよ」とこの男は言えないのだろうか。中学高校時代に比べれば随分丸く物腰も穏やかになったとは感じているものの、ひねくれた性格はやはりひねくれたままらしい。それは親しければ親しいほどぶつけられるもので、彼の中でわたしという存在の位置づけを確認して嬉しく思う反面、そのひどい対応に一応とはいえ彼女としてどうなのかという自然の疑問も絶えない。

それでも久々の二人きりの買い物はそんな不満もころりと忘れさせてしまうほどに楽しくて嬉しくてほっこり温かいものが生まれる気がして、自然と笑顔がこぼれた。それは彼も同じようで、口では意地の悪いことばかり言っているが、その仕草や表情はまんざらでもない。クスリと小さく息をこぼした。





その後も小さなカフェの一角で小奇麗なカフェランチを胃に収め、それなりに話題となっている映画を見、帰りの電車の中ではそれぞれの授業の話をし、駅からの帰り道はバスを使わず二人で手をつないで歩いて帰った。夕飯は何にするかという他愛もない会話ではあったけれど、他愛もないからこそその愛おしさは増す。あの「余分」を嫌い厭う観月はじめが、彼の人生にとってはたいして意味を成さないだろう他愛もない会話を、ほかでもない自分自身と紡いでいるのだから。そもそも彼にとって、「恋愛」自体がもともと左程意味のあるものではなかったに違いない。それを今、有意味と思っているかどうかは別としても、彼自身が自分の意思でつなごうとしているその姿に、じんわり、湯水が沁み渡った。


「ねえ帰ったら服出すの手伝ってくれる?」

「はい?そんなの自分でやってくださいよ」

「じゃあはじめが晩ごはん全部作ってくれる?」

「だからどうして僕が」

「そうじゃないと夕飯、真夜中になるよ?」

「きみねぇ・・・」

「だから、いいでしょ?」

「・・・まったく。仕方ありませんね。きみというひとは」

冷えた風が頬を突き刺し、冷たい雨が指先を濡らしてゆくけれど、胸の奥はほっこり温かいもので満たされていた。
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