靴箱を開けるとふわりと目に飛び込む白い封筒。特に宛名や差出人は書いていない。
けれどわたしはこの手紙が誰からのものだか知っている。愛しい人からの、ラブレター。







恋 文 つ づ り







丸い太陽も沈み、空に薄暗い紺色のカーテンが引かれはじめたころ。わたしは自室で机と向かい合って居た。机上に置かれて居るのは一通の手紙。そう、今朝下駄箱から取って来た手紙だ。差出人も大体の内容もわかっているはずなのに、何故だか読むのがためらわれる。几帳面に糊付けされた封筒からは、差出人の性格が伺える。なんとなくその封を開けることに抵抗があるのは、これが初めて手にするラブレターだからだろうか?





ぴりぴりと、そっと真綿をつまむように、糊付けされた封を剥がしてゆく。中から同じく白い便箋が一枚出て来た。きっちりと角を揃えて二つ折りにされているそれからは、一種の恐怖さえ感じてしまう。開くとよく見知った、整った文字が目に入った。








**へ

こうして手紙を書くのは初めてのことですね。毎日顔を合わせて居るのに、手紙を書くのは少し緊張します。

この手紙を読んでいるということは、もう帰宅しているのですね。もしかしたらそろそろ僕が電話する頃かも知れない。もしくはあなたがメールを送る時。夕暮れ時でも良いかも知れない。

あなたからの返事を待っています。


観月はじめ








数行で終わる簡素な手紙。口調や文字は普段となんら変わらないのに、どこか空々しく感じる。そして、よく意味がわからない。意味がわからないと言うのは、手紙そのものの意味がわからないという意味ではなく、彼がこの手紙から何を望んでいるのかがわからない、という意味だ。



しかしわたしはこの手紙に返事を書かなければならない。純白の便箋を片手にわたしは頭を抱えた。そもそも何故こんなことになったのだろうか?















数日前の放課後。誰もいない教室の窓際の席に、わたしたちは仲良く向かい合って座っていた。元々自席であるその席は、教室から孤立することはなく、けれども窓の外に思いを馳せたらすぐにでも教室から離れられる、絶好の位置だった。しかも恋人同士が前後の席。実は隣りよりも前後の方が距離は近い。今は彼が、普段は黒板を向いている椅子をひっくり返して、お互い、わたしの机を間に挟むようにして座っていた。





「ねぇ、**」





唐突に彼がわたしの名前を呼ぶ。グラウンドでサッカーボールを追いかける少年達をぼうっと見ていた視線を彼に合わせる。いつもと変わらない、少しだけ口角が上がり目尻の下がった笑顔。クラスメイトに振りまく満面にちりばめられた営業スマイルとは少し違う。





「何?」

「手紙、書きませんか」

「…は?」





一瞬訳がわからず、思わず間抜けな声が漏れてしまった。





「手紙って、封筒と便箋の手紙?」

「…それ以外に手紙と言ったら何があるんですか」





相変わらず理屈めいた小憎らしい返答。しかしその内容を考えると、疑問符が脳内を駆け巡る。





「誰に宛てて?」

「もちろん僕にですよ」





つまり彼は自分宛の、わたしからの手紙が欲しいらしい。先ほどよりも頬を緩めて、ニコニコという効果音が聞こえてきそうなくらい、機嫌良くこちらを見ている。





「…それって、もしかしなくても、ラブレター?」



おずおずと尋ねると、彼は待ってましたと言わんばかりに、



「もちろんです」





楽しそうに微笑む彼を目前に、わたしの脳内はいろいろな思考が駆け抜けた。何故唐突にこんなこと?何故今更?毎日会っているのに?メールも電話もあるのに手紙?何よりわたしが一方的に書くの?



最後の疑問を訊こうと、わたしが言葉を発する前に、彼が先手を打った。





「もちろん**だけに書けと言う訳ではありませんよ。僕からもあなた宛てに書きましょう」

「はぁ…書いてどうするの?」

「書いたら、渡すんです。直接渡しても構わないし、靴箱に入れておくのも良いかもしれない」

「え、そんなの、渡したり入れたりしてるの見られたら恥ずかしいよ!」





思わず声を荒らげてしまった。だってわたしは、ラブレターを見られて堂々としていられるほど図太くはないのだ。これでも一応女の子なのだから。


彼はそんなわたしの反応を面白そうに見つめ、小さくくすくすと笑いながら言った。





「それだったら、**、今僕が貸しているCDがあるでしょう。その中に入れて渡したらいい。大丈夫、僕はあなたのようにうっかり落としたりはしませんから」





…そういう問題なのであろうか?たとえ周りから気付かれなくとも、付き合い始めて4年経った今、改めてラブレターを書くなんてこっ恥ずかしくてなんだか落ち着かない。



彼はわたしのそんな様子を気に留めることもなく、さらに無茶な要求をしてきた。





「それから手紙の最後には、必ずキスをして下さい。見えなくて良いですから、便箋の右下のところにキスをするんです」





これではまるで古典的な少女漫画じゃないか!そう思っても、目の前の彼の嬉しそうな顔を目にすればそんなこと言えなくなってしまう。結局わたしは彼には敵わないのだ。


渋々わたしが口を開く。





「…でも毎日会ってるのに、話題もないよ?」

「なんだって良いんですよ。例えば今日は晴れだったでも、授業が面白くなかったでも」





普段は必ず間を置いて返答する彼の言葉に、今日は一瞬の間もない。それほどに、彼は楽しみにしているのだろう。そうわかっても、わたしの頭にはまるっきり、わざわざ手紙で書くような話題など浮かばなかった。頭を抱える。



机の上で手持ちぶさたに組んでいた手に、不意に彼の手がかぶさった。わたしのよりか少しだけ大きく骨張っていて、温かい。じんわりと皮膚越しに体温が伝わる。





「一通目は僕が書きましょう。**はそれに返事を書く。それにまた僕が返事を書く。どうです?」

「うん…」

「そうしたら早速明日、手紙を書いて来ます。明日は金曜日ですから、あなたは月曜日に返事を書いて来て下さい。良いですね?」



嫌とは言わせない口調。とりあえず訊いてみるけどもちろん同意してくれるよね、そんな空気だった。





「…わかった」





なんとなくその場の流れで承諾してしまったのだ。















そして今、彼からの手紙を目の前にして困惑している。彼の真意がまったくわからなかった。何故突然言い出したのか。何故手紙なのか。何故今なのか、まったく予想もつかない。右手に握ったボールペンをくるくると回した。

外が暗くなって来たせいか、部屋が白熱灯の橙に染まる。純白の便箋もうっすらと紅茶色に染まった。



白熱灯にさらされた手が、熱を吸収してじんわりと温まる。彼が自分ね掌で包んでくれた時と同じようだった。なんだか心臓のあたりがほんわかと温かくなる。わたしはペンを握り直した。





はじめちゃんへ





まるで小学生のような書き出しだ。仕方の無いことではあるけれど、すべて平仮名だと、どこか間抜けっぽく幼稚な印象を持つ。おかしくなって思わず笑ってしまった。




こうして書いていると、昔の交換ノートを思い出す。今でも同じだろうか。大体小学校中学年くらいになると、みんな一斉にやり始めるのだ。一瞬の流行だったのかも知れない。もちろんわたしもその流れに乗って、数冊の交換ノートをつけていた。あの頃の話題は何だったのだろう?小学校の内は学校や漫画の話題だったかも知れない。中学校では恋愛の話題も多く書いていた気がする。思い返せば、恋人である彼の話題もよく書いていた。懐かしさに頬が弛んだ。





「…これでいいかな」





書き終えたわたしはペンを置く。白い便箋には黒い文字がいくばかりか書かれていた。古典的に香りを薫いてやろうと、アロマオイルを垂らしておいた。




わかって居ながらも、部屋に自分以外に誰も居ないことを確認してから、便箋にそっと口付ける。ふんわりとアロマオイルのローズの香りがした。なんとなく恥ずかしくなり、すぐに封筒の中に入れ、言われた通り、借りていたCDの歌詞カードの中に挟んだ。





「**、夕飯」





階下から母の呼ぶ声が聞こえる。


わたしはCDジャケットを閉じ、明かりを消して部屋をあとにした。










はじめちゃんへ

お手紙ありがとう。読みました。わたしもはじめちゃんの緊張が伝染してしまったみたいで、ちょっぴり緊張しています。

はじめちゃんからの手紙を読んで、こうして返事を書こうとして、いろんなことを思い出しました。はじめちゃんと付き合い始めた頃、はじめちゃんと付き合う前、はじめちゃんに出会う前…どれも懐かしく思います。はじめちゃんと居る今この日々も、いつか懐かしく思う日が来るのかなと思うと不思議だけれど、いつかそう思えたらいいと思います。それまできっと、わたしのことを愛していてね。


**













後日、借りていたCDを、顔を赤らめながらぶっきらぼうに彼に突き付けたのは、また別の話。
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