My Dearest
No.12 友のもとへ
自分にまっすぐ向かってくる男が居る。
命を懸けてくれるなと涙した姫が居る。
彼らに向けて差し伸べたい腕は、数多の命と血に濡れ、取ってもらう資格などない。
だが、陰陽師ではない自分が、化生でもない自分が、それだけでは足りないと訴える―――――。
人通りのなくなった都の外れ。所々盛り上がった土の間を、白い鳥と、四つの青白い炎をまっとった黒い影が疾走している。
妖馬の背にしがみ付いた真琴は、段々と濃くなってくる異様な気に神経を尖らせていた。
「・・・・・馬さん。大丈夫?無理しないで帰っていいんだよ?」
心配そうに自分を覗き込む真琴に、妖馬は気にするなというように嘶いた。
都に入ってすぐ、雑鬼たちは路に居た仲間の下に降ろしてきた。
心配そうに見上げてくる雑鬼たちの視線を感じながら葬送の地、鳥辺野にやってきたが、そろそろこの妖馬もねぐらに返すべきだろう。
死気の漂う地に入ってから、この優しい妖はビクビクと身体を強張らせている。
「無理しなくていいから。もう帰りな?」
ここまで送ってくれたのだ。あとは笠斎の式である鳥を追いかけていけば、姫と、彼女を攫った化け物にたどり着けるだろう。
だが、妖馬はいきなり足を止め、首をめぐらせて真琴を射抜いた。
片目だけでも分かる胡乱気な視線に、真琴は眼を瞬かせる。
これは、自分に対する抗議のまなざしだろうか・・・・・?
しばらく見詰め合う(一方は睨んでる)。
「・・・・・・・・・・・・えっと、お願いしても、いい?」
結局折れた真琴がそう言うと、馬は任せろというように鼻を鳴らして再び走り出した。
本当は怖いのだろうに、それでも自分を送ってくれているのは、この妖の優しい心根故なのだろう。
有難さと共に、こんな所にまで付き合わせてしまった罪悪感に、言葉が出ない。
無理に言葉にすると、安っぽいものになってしまいそうで、思わず闇に輝く首筋に抱きついた。
驚いたように首を竦める動きをした妖馬は、自分に抱きつく温かい体温に、目を細める。
一人の女を乗せた妖の馬は、白い鳥に先導されながら、死気を振り切るように野を疾走した。
白い鳥は、ある古く崩れ落ちた寺を示すように一度旋回すると、そのままただの紙となって真琴の手に落ちた。
寺から少し離れた場所で足を止めた馬から身軽に降りる。
「・・・・・ここだね」
硬い声音で呟く。さっきからひっきりなしに背筋を悪寒が駆け上がる。
ここに最大の敵がいるんだ。そして、姫と笠斎も。
ぎゅっと風呂敷包みを胸に抱きしめる。
「・・・・・馬さん。やっぱり帰ったほうがいい。ここは危険だ」
妖馬は真琴の真剣な瞳に、黒曜の目を瞬かせた。
確かに、自分がここに居れば危険だし、もしかしたら彼女と、連れの陰陽師の足手まといになるかもしれない。
その時、真琴と妖馬の耳に、他の馬の嘶きが聞こえてきた。
同時に首を巡らせると、1頭の馬が寺の近くにある木に繋がれている。
多分笠斎が乗ってきたのだろう。馬はこの異様な気に興奮しているらしく、目は血走しり、しきりに足をバタつかせている。
なんだかこの妖馬に慣れてしまっていた所為か、これが普通の馬の反応だよな、と呑気に思ってしまう。
とりあえず如何にかしたいと馬に近寄る。
「どうどう・・・・・。大丈夫?って、そんなんじゃないよなぁ」
思わず肩を落とす真琴。
と、その後ろから妖馬が音もなくやってきて、怯えて我をなくしている馬に、すり、と自分の首を寄せた。
びくりと身体を震わせた馬は、その瞳を目の前の妖馬に向けた。
妖馬は、じっと馬の目を見つめる。
その視線に、馬の瞳はようやく色を取り戻す。
二匹が目と目で語り合う光景に、真琴はあんぐりと口を開けた。
同じ馬とは言えど、一方は妖である。それなのに怯える馬を放っておけずに宥めるとは・・・・。
この妖馬、やりおる。
感嘆のまなざしを贈られた妖馬は、真琴を振り返って誇らしげに胸を張った。
どうだ。自分だってやれば出来るんだ、と。
真琴は仕方なさそうに苦笑した。どうやら彼は此処から動く気は無いようだ。
諦めたことを示すように首を叩いてやると、妖馬は真琴に頬を摺り寄せた後、馬を守るようにその身を寄せた。
その姿を見とめて、真琴は崩れかけた寺へと駆け出した。
寺へ飛び込んだ真琴は、すぐにその異様な空気に全身があわ立つのを感じた。
驚くほど綺麗に掃除された寺の中は、廃寺であることを一瞬でも忘れてしまいそう。
でもそこに充満するあの香と同じ甘い香りが、真琴の直感を酷く尖らせる。
と、突然奥のほうからなにかがぶつかり合う激しい物音が響いてきた。
神経を尖らせていたせいで敏感になってきた真琴は、面白いくらいに飛び上がった。
こんなことをしているが、真琴だって本当は陰陽術も使えない時間旅行者の一般市民なのだ。
偶々この件に関わって偶々言霊を使えることがわかって偶々呼ばれたから来ただけの、ただの一般市民。
自衛官ではあるが、実戦にも出たことはない。当たり前だけど。
ましてや得体のしれない人外の者の相手など、皆無だ。
随分と遅れてやってきた恐怖に、生唾を飲み込む。
不意に、耳に聞きなれた声が聞こえてきた。
今まで聞いたことがないくらい切羽詰った声に、真琴は顔を上げる。
「笠斎・・・?」
震える足を叱咤して、壁沿いに進んでいく。
ガタン、と一層激しい音がして、獣の唸り声がいくつも響いてくる。
急いで震える足で、目の前の廊下を駆ける。
やがて広い部屋に飛び込んだ真琴は、次の瞬間顔を歪めて叫んだ。
「笠斎――――!!」
転(まろ)ぶように駆け出した真琴は、顎をカパリと開けて突っ込んでくる狼を呆然と見ていた友に思いっきり体当たりをした。
「のわあっ!!」
どうっと倒れた二人はそのまま縺れるように転がった。
下敷きになった笠斎の上で、強かに打った頭をおさて呻く。
そんな真琴を見上げて、笠斎は目を丸くした。
「真琴!?」
「え?あ、うん。真琴です」
思わず普通に返してしまった真琴に、笠斎は掴みかかる。
「なんでこんなところにいるんだよ!危ないだろう!」
「はぁ!?君が呼んだんだろう!?式を使って!」
「俺がお前に式を放ったのは、もしももう一つの式が晴明のところに届かなかったときに奴に知らせてもらうためだ!」
「それ言ってくれなきゃ分かるわけないだろう!?」
ぎゃあぎゃあと言い合う二人の耳に、ぐるぐると唸る獣の声が。
はっとして目を向けると、自分たちを取り囲む漆黒の狼が三頭。
イカン。すっかり忘れていた。
さぁっと顔を青くする二人。
「はっ!ていうか笠斎!姫さんは!?」
本来の目的を思い出して、詰め寄る真琴仰け反る。
「そ、それが、あの公達に連れて行かれて・・・」
「えええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!??」
ほとばしった絶叫に、取り囲んでいた狼たちもびくりと固まる。
一番近くでその絶叫を受けてしまった笠斎は使い物にならなくなった耳を押さえて倒れこんだ。
「お前・・・・!近くでそんな大音量で叫ぶ奴があるか・・・・!」
「叫ばせてんのは君でしょうが!何呑気にわんちゃんの相手してんの!」
キッと今し方自分がわんちゃん呼ばわりした狼を睨みつける。
と、突然凄まじい振動が建物全体を震わせた。
何事かと目を剥く一同のまえで、突如として現れた竜巻が自分たちのいる寺へと突っ込んできた。
唖然と見ていると竜巻が向こうの建物を壊し、瓦礫と木端が舞い上がる。
その中に、慣れ親しんだ気配と、神気を感じて、真琴と笠斎は目を見開いた。
ちらりと狼たちをみると、さすがに呆然としてそちらを見ている。
チャンスだ。
「どけっつてんだろうがこの犬っころ共ぉぉぉぉぉぉーーーーーーー!!!!」
イヌ科の動物は、自分より大きな声のものには一瞬でもたじろいで委縮する・・・・・・って○○家の食卓で昔やってた。
叫びながら突っ込んできた真琴に、今まで歯を剥き出して唸っていた狼たちは思わず後ずさった。
そんな狼たちのことなど見向きもせず真琴は部屋を横切って向こうの建物へとかけていく。
「お、おい!ちょっと待て!」
逃げ損ねた笠斎が、あわてたように叫ぶ。
「私はか弱い一般市民だから我が身を守るだけで精一杯なの!だから頑張ってね陰陽師!」
「こんなときだけ陰陽師って言うな!!」
真っ青になって叫ぶ笠斎に背を向けて走り出す。
笠斎をおいてきたのは、自分がいると足手まといになるだろうし、晴明まではいかないが彼の実力を信じているから。
本当だったら三匹のうち一匹くらいの狼なら相手で来たような気もするけど、本気で襲いかかってくる狼の相手などしたことがないから、それはやっぱり勇気がない。
外を見ると、暗い闇夜にこれまた黒い蝙蝠の群れ。
空を覆わんばかりの群れに、なんだか胸の奥が気持ち悪いと訴えてくる。
その耳に、甲高い少女の声が聞こえた。
はっとして周りを見回してみると、反対側の建物から貴船で感じたのとはまた別の神気が爆発して、真琴の着物や髪を巻きあげた。
腕を交差させてその衝撃をやり過ごした真琴は、急いでそちらへ向かう。
以外に広い境内を駆けていく。
途中また狼が襲いかかってきて、手に持っていた風呂敷に包まれた物を獣の腹部に叩きつける。
もんどりうって倒れこむ狼に内心謝罪し、その身体を飛び越えてまた走る。
どんどん充満していく妖気に、悪寒が止まらない。
ふと外にいる馬の嘶きが聞こえてきて、真琴はぎょっとして立ち止った。
「馬さん・・・!」
あの優しい妖馬が傷付くところなど見たくはない。
あわててそちらへ向おうとすると、不意にそちらにも神気を感じて瞠目する。
そのすぐ後、立ち上った水柱に目を剥く。
どうやら神将の誰かが彼らを助けてくれたらしい。
心からほっとして息をつくと、真琴はもう心配はないとまた走り出す。が。
突然、向こうの建物で妖気が爆発し、稲妻にも似た閃光が真琴の眼を焼いた。
驚いて足を止めるも、一瞬視力を失ったためにバランスを崩して座り込む。
くらくらする頭で、なんとか壁伝いに立ち上ろうと、する。
その時、耳に獣の嘶きが。
はっとして後ろを振り返る。
少し戻ってきた視界の端に、ぼんやりと映る黒い影。
先ほど自分が攻撃した狼だろうか。口からよだれを垂らしながら、牙を剥いてこちらに走ってくる。
反射的に身体を後ろに反らす。途端に、右袖に感じる違和感。布の裂けるいやな音。
そのまま背中から固い板張りの床に倒れ込む。
強かに打ち付けた背中を駆ける痛みに呻きながら、すぐに足を曲げた勢いで起き上がった真琴は、袴の横から手を突っ込み、太ももに着けていたベルトからナイフを取り出す。
さっきの衝撃は、この狼が飛び掛かってきたせいだろう。お陰で狩衣の右の袖が破け、肩から先が無くなってしまっている。
しかもここ最近やっと白くなってきた肌に朱い線まで引いてあるオプション付き。こんのやろぉ・・・・・っ。
腕から滴る血を見つめていた視線を、目の前の狼に向ける。
自衛隊とは名の通り。自国を守るために存在する。その為に真琴に実戦経験はない。別に自衛隊が無能というわけではない。自衛官だって、日々厳しい訓練や鍛錬を積み、もしもの時の為に備えている。
それでも、本気で殺意をもつ相手を目の前にしたことなど、ない。
額から滴る汗を拭うこともせず、睨み合う。
喉の奥で低いうなり声を上げる狼の後ろには、先ほど吹っ飛ばしてしまった“相棒”が。
あれをどうにか取り戻したい。
体勢を変え、腰を落とす様に足を開くと足元で古くなった木張りの床が大きく軋んだ。その音に、獣の瞳がぎらりと光る。
まずい、という言葉が脳裏を駆けるのと同時に、目の前の獣が力強く地を蹴った。
身体をしならせ、その力強い四肢を伸ばしてこちらに飛び掛かって来る黒い毛並みに、真琴は無意識の内にナイフを突き出す。
途端に感じる弾力、肉を裂く獲物の感覚。
そのまま腕を振り下ろすと、赤い飛沫の代わりに黒い靄のようなものがぶわりと広がり、慌てて避ける。
それでも完全には避けきれずにほんの少し、黒い靄が真琴の鼻擽った。
ガクン、と突然力の抜けた身体に、目を見開く。
床に叩きつけられる前に、なんとか腕を突き出して上半身のみ支える事が出来たが、それでも腕が震える。
しまった、瘴気か!
咄嗟に周りに手を伸ばすも、倒れた時に落としまったナイフは、手の届く少し先。
終わりだ。
座り込む獲物に嬉々として飛びかかる獣。それから目を離せない真琴。
その瞬間、視界いっぱいに広がった真っ赤な炎が、真琴の見開かれた瞳を朱色(あけいろ)に照らし出した。