零の調律
陸(No.6)
小さい頃からの憧れ。
物語によく出てくる、天井まで積み上がった本の山。西洋の古い図書館などは、そんな光景は当たり前。
日本の見慣れた図書館は機能性と利便性を追求した形で、情緒の欠片もない。
だから、目の前に広がるまさに楽園に、マコトは歓喜のあまり硬化していた。
足元で大人しく“犬役”に徹している師匠が、呆れたような視線をこちらに向けてくる。
隣に立っていたエミナは、そんなマコトの様子に苦笑を浮かべた。
「本当に本が好きなのね。それに関われる仕事が出来るなんて、結構すごい事じゃない?」
「好きこそものの上手なれ、です」
いつもよりいくらか高い声音のマコトに、師匠が笑うように耳をそよがせる。
目の前に広がるのは、まさにマコトにとって夢見た光景。壁に埋め込まれた本棚に隙間なく仕舞われた本たち。クリスタリウムという名の図書館は吹き抜けになっているようで、中心にある手すりから顔を下に向ければ、これまた広い空間に沢山の本、本、本。
そこで本を読んだり、机に向かって勉強している候補生たちが羨ましい・・・・。
「でもホントにいい時に来てくれたわぁ。これで本の管理に文官を当てなくて済むわ。それにしても、あのドクターアレシアの知人の娘ってのには驚いたわ。あの人に知人なんているの?」
「・・・・・・・まぁ、はい」
何とも言えない表情を浮かべる。
昨日の時点で、マコトが異世界から来たという事は、アレシアとマコト、そして師匠の間での秘密という事になった。
戦場でマコトが召喚される場面を目撃した朱雀兵(たとえばイザナ)には、それとなく繕った言い訳を言うつもりだ。
色々疑問に思うところはあるが、取りあえず寝食の確保と金銭面での補償を得たのだがから、細かいところは後で考えるとしよう。昨日の夜、宛がわれた部屋のベッドで師匠と決めた。
クリスタリウムの中を観察するように歩いていると、見慣れない顔立ちが目を引くのか、候補生たちが好奇の目でこちらをチラチラと見てくる。
でも昨日よりはマシだろう。今日はアレシアが用意してくれた紺色のワンピースを着ているから。と言っても、その上にいつもの灰色のパーカーを着てしまっているから意味はないが。
「しかしすごい蔵書の数ですね。とても古いものばかりのように見受けます」
「この魔導院が出来てからの物もあるから、かなりの数になるわね」
遣り甲斐がありそうだ、と一人やる気に火をつける。
「今日はすみません。お仕事もありましたでしょうに、私の案内役などを」
「いいのいいの。丁度いい息抜きになるしね。それに折角噂の眼鏡ちゃんに会えてうれしいんだから」
「噂、ですか」
目を瞬かせるマコトに、エミナは吹き抜けの階段を下りて行きながら笑いかける。
「あのクラサメくんをあそこまで感情的にさせるなんてねぇ。昨日会ったけどあんなムラムラしてる彼を見るのは候補生時代以来よ」
「・・・それ“ムラムラ”じゃなくて“イライラ”です」
「しかも魔導院移動中もずぅっと言葉の応酬を続けてたんでしょ?あのクラサメ君と同レベルに言い合いができるなんてねぇ〜。彼頭の回転早いから口からパッパと毒舌が出るのよねぇ」
あはは〜、と笑う彼女は、あれだ。クラスで一番中心にいるタイプだ。いつも笑顔で、明るい。人気者の典型的パターン。
どう考えても自分とは真逆な人間だ。
別に彼女が悪いわけじゃないが、マコトは性格上こういう人がどうも苦手だった。
そういえば。
「・・・・エミナさんはクラサメさんと同級生なのですか?」
「さん?」
「あ、えっと・・・・・・・エミナ」
「ふふっ、まあいいわ。でも同年代なんだし、そんなに固くならないで。――――――そうね。同じ武官をしているわ。お互いクラスは持っていないけどね。後もう一人同期生がいるけど、これが随分と変わり者でね。変態だからマコトも気を付けた方がいいわ」
「はぁ・・・・」
ちらりと足元の師匠を見る。
エミナと初めて会った今朝の事はまだよく覚えている。
我が家の変態はエミナに出会った瞬間、目の色を変えて彼女に飛び掛かったのだ。しかも胸元へ。
あのアレシアが煙管を取り落す中、マコトは目にもとまらぬ速さで近づくと、呆然とするエミナの胸元へ顔をうずめる師匠の身体を回し蹴りで叩き落としたのだ。
白目を剥いて泡を吹く師匠をぶら下げながら。エミナや、彼女を紹介してくれたアレシアに深々と謝罪の礼をして、ようやくこうして職場となる図書館ことクリスタリウムへとやってきたのだった。
因みに、罰としていつもは抱き上げている師匠を床に降ろしている。案の定師匠は短い脚で必死にマコトたちを追いかける羽目になっているのだ。
正直、変態はもうコレだけで十分です。
そんな訴えを宿した視線に、居た堪れなさげに耳を垂らして縮こまる師匠。・・・・・ホントにこれで神なのか。
「ここが受付のカウンターよ。本の貸し借りは、ここで行われるわ」
エミナが指差した先には、結構使われてきたであろう古い香り漂う細長いテーブル。
オレンジ色の柔らかい光を放つランプの置かれたシックなデスクだ、図書室の一番奥に静かに鎮座していた。
「・・・・・・そういえば。エミナ。今までどうして気づかなかったのか自分でも不思議ですが・・・・・・司書って私一人なのですか」
「えぇ、そうよ」
まじっすか。
こんだけ膨大な量の蔵書を、一人で管理していけっていうのかオイ。
「まあ、一応分類別にはなっているはずだから、あとは管理だけね。必要な事は前任の司書が書面に起こしているはずだから、心配しなくてもいいわ」
「はぁ・・・」
途方に暮れかけながら、返事をする。
いやいや、引き継ぎってものをしないで何をしろっていうんですか。大丈夫ですかこの図書館。
足元で師匠が同情めいた視線をこちらに寄越してくるのがムカつく。言ってきますが貴様も働くんですよ?わかっていやがるんですか?
じゃあ後は頑張ってね〜、と満面の笑みで手を振りながら去っていくエミナを若干恨めしく思いながら黙って見送ったマコトは、足元の師匠を顔を見合わせるようにしゃがむ。
「・・・・・・で、どうしましょう」
ひそ、と小声で問いかけるマコトに師匠は耳をそよがせる。
「どーしようもこーしようも。やるしかないでしょう?」
「私達だけでは管理しようにも出来ませんよ」
「前任は一人でもやってたんでしょー・・・・・・って。ちょっと待って。私“達”って、私も手伝うの!?」
「何を言ってるんですか当たり前ですよ」
イヤァ〜ン!と野太い声で腰をくねらせる師匠を冷めた目で見つめる。
「それに、前任の方は奥様がいらっしゃって、ご一緒に仕事をなさっていたそうですよ?後、戦争で亡くなったそうですが助手の方もいらしたそうですし」
「・・・・上も酷ネェ」
働く前からもう疲れた声を出すマコトと師匠。
でもまぁ仕方ない。これでも衣食住を提供してもらう代わりだ。“働かざる者食うべからず”。
もう一度視線を合わせた師匠とマコトは、お互いに苦笑を浮かべながら頷き合った。
「いたたた・・・・・もーほんっとにクラサメ君は容赦ないなぁ〜」
「お前がもう生徒達に手を出さなければいいだけだろう」
「なぁに言うんだよ!それあれだよ?僕に研究するなってい言っているようなものだよ!?」
「その方が魔導院も平和になるだろう」
「クラサメく〜ん!」
至極困った様に情けない声を上げるカズサの腕を振り払う。
同期のカズサは人をみると研究して見たくてたまらなくなるという悪癖があるため、今日も餌食になりそうであった候補生を助け、お灸をすえたばかり。
その後いろいろとお説教を含めた制裁を加えたのだが、この分ではすぐに復活してしまうだろう。
候補生時代から振り回され続けている事がなんだか悲しくて、思わすため息がマスクの中に漏れる。
「あれ?クラサメくんどうしたの?ため息つくと幸せ逃げるよ?」
誰のせいだ誰の・・・・!
思わず振りかぶってしまいそうな拳を理性で押さえながら、クリスタリウムの扉を開く。
途端に、クラサメは足を止める事になる。
「あ・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・何をしているんだ」
目の前に立つ問題女に、クラサメは何とも言えない顔をする。
つい昨日、ドクターアレシアの部屋で別れたはずの謎の女、マコトが、前が見えないほどの本の山を抱えるようにして、立っている。
彼女の足元を見てみると、デブい身体を持ち上げて二足歩行をするあの犬モドキが、頭の上で本を数冊器用に乗せながらこちらを見上げている。一体なんなんだ。
周りを見ると、何故か数名の生徒が同じように本を抱えていて、棚がいくつか空になっている。
「・・・・あれ?君ってもしかして・・・」
後ろにいたカズサが嬉々としたような声を上げる。
そんな見知らぬ男の様子に、マコトは驚いたように目を瞬かせる。
そういえば。さっきエミナが変態の同期生が居たとかなんとか言っていたような・・・・・・・もしかして。
「もしかして・・・・・」
「え?」
「変態さんですか?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「ぶっ」
音がしそうなほどビシリと固まったカズサ。
その横でクラサメはまさか面と向かって変態というとは思っていなかったのか、カズサの横で顔を横に向けて噴き出した。
「いや、ちょ、君ねぇ。初対面で変態っていうのは・・・」
「あ、すみません。エミナに気を付けるようにと言われていたもので」
「やっぱり彼女か原因は・・・!!」
拳を震わせて唸るカズサを、マコトは目を丸くして見つめる。
白衣姿の男は、眼鏡の奥の瞳を嫌そうに細めながら隣でそっぽを向いたままのクラサメを睨み付けた。
「うわー珍しー。あのクラサメくんが笑っているなんてー。何がそんなに面白いのかなー」
「見事なまでの棒読みですね」
「誰が原因かなぁ・・・!?」
・・・・・・どうやら自分の発言は彼を不機嫌にしかしないようだ。
「・・・・ねぇ。いつまで笑ってるのさ!帰って来てよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・すまん」
「ったくもう」
ゴホン、と咳払いをするが、まったく恰好が付いていない。見間違いでは無ければ、マスクから微かに覗く頬が笑い過ぎて上気しているような。
「・・・・で、お前は何をしていたんだ?本が散乱しているが」
「分野別に棚訳をし直していました。」
「へ?でもここ前任のタチバナさんがやめる間際まで整頓してたよ」
「えぇ、丁寧に仕分けされていました。私はそれに少し手を加えているだけです」
カズサの言葉に、マコトは腕の中の本を抱え直しながら答える。
しかしクラサメはマスクの下で顔を引き攣らせる。
これで少し・・・・・?
少し手を加えるだけならなにも棚の本を全部出す必要なんてないような気がするのは自分だけだろうか。
遠巻きに見ている候補生達も何事かと戸惑ったような顔をしている・・・・・と思ったら。
「マコトさん。この本どうしましょうか」
「あ、ありがとうございます。ではそこの机に置いておいてください。後でラベルを貼っておきますので」
「その時は呼んでくださいね。手伝いますから」
「ありがとうございます」
律儀に深々と頭を下げるマコトに候補生の少女は若干驚いた様子だったが、すぐに笑って会釈し返した。
よく周りを見ていると、似たように作業をする候補生たちの姿がちらほらと見えて、クラサメは思わずマスクの下でぽかんと口を開けてしまった。
「・・・・・彼らになにをしたんだ」
「随分失礼な言い方ですねクラサメさんって私に何か恨みでもあるんですか」
眉間に皺を寄せてこちらを睨んでくるマコトに、後ろの候補生達は苦笑する。
「先ほどから一人でずっと作業をしていらしたんで、私はもう用事は済ませたのでお手伝いをする事にしたんです」
「本を出しては、『これどういう意味なんですか』って聞いてくるんで、答えているうちにいつの間にか参加してたんですよ」
「久しぶりに大掃除やったら、なんか楽しくなってきちゃって」
口々にそういう候補生達に、もう言葉も出ない。
奥の方じゃ師匠が少女たちのいい的になっているけれど、今のクラサメにはまったくどうでもいい事。
はぁ、と深いため気をつくクラサメの横で、カズサが眼鏡の奥で悪戯っぽく目を細めた。
「貴様、人を自分の仕事に候補生を巻き込むな」
「べぇーつにそんな気全然ありませんよでも皆さんが快く手伝うと申し出て下さっていつの間にかこんなに沢山の方に手伝って頂ける状況になっただけですていうかなんですかクラサメさん私に一人で残る所蔵書すべてを整理しろとおっしゃるんですか鬼畜な方ですね嬉しくて思わずその細い喉に噛み付いてやりたくなりますヨ」
「殺す気か貴様」
「で、なんか様ですか冷やかしなら間に合ってます恋愛相談でしたらほかの方へどうぞBL関係でしたら5番の窓口へ」
「「違う!!」」
マコトの言葉に、イチャついて・・・・いた二人は同時に反応売る。
その時後ろの方から俗にいう“黄色い歓声”なるものが聞こえた気がしたが、ここはあえて何も突っ込まないでおこう。
マコトの問いに答えようとカズサが口を開けるも、それより先にクラサメが回りの候補生達へとマスクの下で口を開く。
「――――――諸君、ご苦労だった。そろそろ時間だ。後の事はこの新任に任せて休むと良い」
その言葉に、その場に居たほとんどの人間が壁にある時計に目を向ける。
針は丁度夕飯時を示していて、それに気付いた数名のお腹が空腹を訴えるように低く鳴り響いた。
恥ずかしそうにお腹を押さえる候補生達にクラサメは微かに微笑み、近くに居た生徒が抱えていた本をそっと取り上げる。
「特に2組と7組は明日合同の実戦訓練がある。今日は早めに休め」
その言葉に、青色と桃色のマントを纏った少年少女たちが「あっ」と顔を引き攣らせる。
実戦訓練とは・・・・・・その名の通りなのだろうか。
だったら悪い事をしてしまった。
「・・・すみません。気が利かず」
「あ、いえいえ!謝らないで下さい」
「そうですよ。僕たちだって自分で手伝いたくてやっているんですから」
「また何かあったら呼んでくださいね」
口ぐちにそう言ってくれる彼らに、マコトは戸惑ったように視線を彷徨わせる。
今まで碌に人間付き合いをしてこなかったから、こういう真っ直ぐな心を向けられるとちょっと戸惑う。
何と言えばいいのだろう、と回らない頭をフル回転させていると、不意に女子候補生の腕に抱かれた師匠と目が合う。
大きな瞳は静かに揺れる水面の様で、それでいてなにかを訴えている様。
その外見とは似つかない落ち着いた雰囲気が、荒れた水面みたいだったマコトの胸を沈めていく。
金のように輝く瞳と夜のような深い色の瞳が交わり、意思を解す。
そうか・・・。
彼らが求めているのは、謝罪ではない。もっと感謝の気持ちを込めた、想いを込めた言葉。
師匠からそっと視線を外したマコトは、目の前に立つ候補生達を見て、やがて小さく頭を下げた。
「・・・・・・ありがとう、ございます」
ぎこちなく、でも気持ちを込めて紡いだ言葉は、言った本人の心にストンと落ちる。
そろりと顔を上げると、勿論だと言うように頷く候補生達。
それを見ていたカズサは、隣に居た同期の肩を抱いて引き寄せる。
「っ、なんだいきなり」
「もしかして・・・・・あの子が噂の眼鏡ちゃん?」
「は?眼鏡・・・?」
何の事だ、と怪訝そうな顔でこちらを見るクラサメ。
なんだ、噂しらないのか。
「それよりカズサ。お前も本の整理手伝えよ」
「えっ?」
「えっ?じゃない。お前だってここの“利用者”だろうが」
「いやま、そうだけど・・・・・・・はぁ、分かりましたぁ。手伝わせて頂き・・・・・・・・・ってクラサメ君、あの子手伝う気?」
「あぁ」
「・・・・・・・・」
まじか。
信じられない。あんなに自分やエミナ以外を寄せ付けないような雰囲気を醸し出していた彼が、出逢ったばかりの女を気にしているんだから。
いつの間にかガン見していたようで、しつこい視線に居心地が悪くなったクラサメが「なんだ」とこちらを睨み付けてくる。
それに首を振って、扉の前に立ちっぱなしであった足をゆっくりとマコトへと歩ませる。
気付いた怪訝そうな彼女の顔を一瞥し、カズサはため息をつく。
「まったく・・・・・・人使いが荒いねクラサメ君は」
僕徹夜明けだよ?と言いつつ、困ってはいるが柔らかい笑みを浮かべながらこちらへ近寄ってくる。
でもエミナの忠告がまだ頭の中に残っているマコトは、そろりと一歩後ずさった。
そんな彼女の動きにすぐに気付いたカズサは、今度こそ困った様に眉を下げて腕を組んだ。
「あれ?もう嫌われちゃったのかな。後でエミナ君に文句言わなくちゃ」
「あながち間違っていないがな」
「ちょ、酷いよクラサメくぅーん」
目の間で睨み合う彼らは、それでも仲の良さがにじみ出ている。
何度も腕を伸ばしてくるカズサを鬱陶しげに振り払いながらも、クラサメの纏う雰囲気はそんなに棘々していない。眉間の皺は隠し様がないけれど。
きっと、こういうやり取りをずっとやってきたんだろうな。
「・・・・・・で、お二人は何の用ですか」
一番大切な改題を問うマコトに、カズサは微かに笑った。
この堅物のクラサメを、あんなふうに動かしたくらいだ。
これから彼女がどうかかわって来るのか、楽しみだ。
それに・・・。
唇に意味ありげな笑みが浮かぶ。
クラサメが手伝う旨を言うと、彼女は何故か顔をぎゅっと中央に寄せてしかめっ面を作る。
変な奴。でも、話すクラサメは、嫌そうな顔をしているが、引こうとはしない。おかしなことだ。
以前の報告によれば、彼女は戦場に突然現れたという。
その原因を調べるように言われていたが、そのすぐ次の日にはもうそれは却下されてた。
調査を取り消したのは、魔法局長アレシア・アルラシア。
なにか知られてはまずい事が、彼女にはあるのだろうか。
薄いフレームの内側で、狐の様な目に科学者の情熱が灯った。