零の調律
壱(No.1)
鼓膜を突き破る様な激しい爆音で、イザナの意識が浮上した。
目の前には誰かの手が・・・・・・だと思ったら自分の手。だが何故か傷だらけだ。
ぼうっと己の手を見つめていたが、瞬時にその目に光が戻った。
ガァァァンッ!!!!
「っ!?」
思わず首を竦める。結構近くで爆破が起こったようだ。
顔に降ってくる小さな瓦礫を手で払い、慌てて身体を起こす。
一瞬だとはいえ気絶してしまった。こんな火の絶えない戦場で。
頭がクラクラするから、どこか打っているのかもしれない。頭を押さえ、どうにかバランスを取りながら走る。
周りを見回しても、朱を纏う朱雀軍と、獅子をかたどったマスクをかぶった皇国兵が、黒い煙が上がる戦場で入り乱れていた。
イザナは朱雀兵のマスクの下で、苦々しげに眼を眇める。
白虎との国境にある朱雀の村に攻めてきた敵軍を制圧するために、イザナ達朱雀軍の者達は来ていた。最近になって活発的に動き出したミリテス皇国軍のせいで、もうたくさんの村が焼かれ、消えていった。彼の住んでいた故郷ももはや跡形もない。
目の前に迫ってきた皇国兵に、魔法を放つ。手のひらから迸った雷(いかずち)が直撃し、皇国兵は軽く吹っ飛ぶ。
しかし、その背後に隠れるようにしていたもう一人が躍り出て、イザナに迫る。
咄嗟の事に反応が遅れてしまった。弾が切れているようで、大きく振り上げられた銃の先に付いた刃が鈍く光る。
それを目に写した瞬間、イザナはほぼ無意識に身体をずらしていた。直感としか言えないなにかが働いた。
それとほぼ同時に視界を走る一筋の光。
次の瞬間、左の米神に強烈な痛みが走った。目がちかちかして、痛みに上がりそうな悲鳴を唇を噛むことで耐える。
切られた顔に手を伸ばす。すぐに素肌に触れたから、マスクはさっきの斬撃で吹っ飛んでしまったようだ。
イザナはよろめきながらも、また武器を振りかざす皇国兵に手を振り上げた。
途端に地面から咲く様に、氷の棘が敵を貫く。
マスクの間から僅かなうめき声が漏れて、皇国兵はどしゃりと崩れ落ちた。
はぁ、はぁ、はぁ・・・・・。
ジクジクと痛む顔。フラフラな身体で、今しがた自分が倒した敵を見下ろす。
後少しもしないで、自分はこの相手の事を綺麗さっぱり忘れてしまうんだろう。クリスタルの“配慮”で。
僅かな痛みを残して。
はぁ、はぁ、はぁ・・・・・。
荒い呼吸の中で、何とも言えない思いが横切る。
何気なく、傷を押さえる手をどけてみる。目の前にかざした手は、案の定自分の血でべっとりと染まっていた。
命の色。熱き血潮の、焔(ほむら)の色。
赤に染まった視界が、やるせない痛みに揺らぐ。
と、視界の端で魔導院からの支援として投入された候補生は走ってくのが見えた。
釣られるようにそちらを見ると、他にも掛けてきた候補生が集まり、そろって拳を天に突き出した。
軍神を召喚しようとしている。
「―――――っ、皆離れろ!」
叫ぶように声を上げると、同じ朱雀兵が弾かれた様に下がっていく。
そんな中でも、イザナは憔悴しきった身体を震わせて魔力を放ち、候補生たちを守るようにウオールを放つ。
召喚の最中に弾が当たってしまっては元も子もない。
青白い透明な壁が、イザナと候補生の間に立つ。
と、その中の一人がこちらを振り向いた。黄色いマントを羽織った短髪の少女だ。
振りかざす腕と腕の間から、イザナを見つめる瞳は、何を思っているのかは分からない。だけど、その顔がくしゃりと歪んだのが、イザナの胸を刺した。
まだ若い、十代の子供なんだ。なのに。
掲げられた拳から、ゆらりと目に見える魔力の波動が揺らめく。まもなく刻限だ。
彼らを囲むように、地面に眩しいくらいの光を放つ魔法陣が現れる。
その光が一層強く輝いた。
その瞬間、候補生たちは突き上げていた手をだらりと落し、その身体を地面に投げた。
―――――軍神を召喚するには、術者の命が対価となる。
倒れ伏した彼らの放った魔力は一つになり、黄金(こがね)の輝きを放ちながら高く浮上する。
イザナや周りの兵が見つめる中、その光はまるでガラスが砕けるようにはじけ飛んだ。
途端に吹き荒れる突風に、朱雀兵も皇国兵もよろめきながらもどうにか体勢を留めようと足を踏ん張り、顔を手で覆う。
一番近くに立っていたイザナは、突然の事に反応できず、風に足をすくわれて背中から転がった。
「ぐっ」
強かに打った背中の痛みに呼吸が詰まる。
それでもすぐに身体を起こして、砂の舞い上がる風の中から状況を確認しようと血で滲む目を凝らす。
世界を埋め尽くさんばかりの光が、陽炎のように揺らめきながら段々と弱まっていく。
その様子を眼で追ったイザナは、驚きのあまり息を止めた。
「げふぉっ、ごふぉ・・・・・おえっ、煙い・・・!」
――――― 召喚されたのは、白い毛並みの犬を抱きしめた、この場にはあまりに不釣り合いな華奢な女だった。
もくもくと立ち上る土煙で、目は痛くて霞むし、喉はイガイガするし、気分は最悪。
マコトは涙を乱暴に拭いながら、腕にしっかりと抱いた家族に視線を落とす。
「げほっく、し、しょう・・・・大丈夫ですか?」
「くぇふぉっ・・・・・もーいや!身体黒くなるぅ」
多少擦れているが、聞きなれた低い男性ボイスの女口調が聞こえてきたことに、顔には出ないが、ほっと安堵の息をつく。
そこでようやく、マコトは周りの異様な状況に目を向けた。
「な・・・・・・っ、なんなんですか、これ」
自分を囲むように倒れた揃いの制服をきた少年少女たち。師匠を降ろし慌ててその身体に触れてみるも、微動だにせず、もはや冷たくなっていて、思わず息を詰めた。
コレハナニ。
身体を嬲るような熱気を含んだ風が、彼女の癖のある黒髪を攫う。釣られるように顔を上げた先に広がる光景に、真琴は息を詰めた。
赤くそまった大地。こちらを驚愕の色を浮かべて見る白と朱を纏った武装兵達。その手に握られた血塗れた武器。
すべてが異質で、驚きと恐怖で身体が震える。
ココハドコ。
その内、白い独特なマスクをつけた兵の一人が、震える銃口をこちらに向けてきた。
すぐ横で師匠が毛を逆立てて唸るのが分かる。
撃たれる、と身体を竦めたマコト。
だが、予想だにしなかったことが起きた。
突然、目の前に半透明の壁が出現し、マコトを貫こうとしていた弾丸を防いだ。
「ぼうっとするな!立つんだ!!」
瞠目するマコトの耳に切羽詰まった声が届いたと思うと、ぐいっと強い力で身体を引き上げられた。
驚いて顔を上げると、顔の半分を血で染めた朱を纏うその人は、マコトの手をしっかりと握ったまま走りはじめた。
半ば引き摺られるように走るマコト。訳が分からないまま、目の前の広い背中を只々追いかける。
耳には人々の叫び声や怒号が響き、激しい爆音が身体を震わせる。その全てが、まるで映画のワンシーンみたいで。
しかも今自分の手を引く男も、銃を振り上げて襲い掛かってくる白い兵を手から雷(いかずち)を放ちながら撃退している。
これはあれか。自分の認識が間違っていなければ“魔法”とかいうやつではないだろうか。
冷や汗だかなんだか分からないものが背中を伝う感覚がやけにリアルで、マコトは走りながら生唾を飲み込む。
と、背後からピリリとした何かを感じて、ほとんど無意識に首を回したマコトが見たのは、こちらに銃を向けながら走ってくる白の兵士。
自分を引っ張る男は前しか見ていない。
ダメだ・・・!
ぐわあぁ―――――っ
突然目の前を黒い影が横切り、今にも発砲しようとしていた白い兵を弾き飛ばした。
はっとして顔を上げると、黒い獣が牙を剥き出して周りに威嚇強いた。
それは巨大な狼。
黒曜色のしなやかな肢体の狼は、鋭い爪を地面に立て、まるでマコトを守る様に立ちふさがっていた。
驚いて足を止めた男も、こちらを振り返り驚きの色を浮かべる。
「な、なんだ、これ・・・!?」
思わず声を漏らす男。恐怖が混じっているようなその声音。
だが、マコトは恐怖を微塵も感じていなかった。
だってそれは、彼女にとって知り慣れたものだったから。
「・・・・・・・・・・・・、しょう?」
かすれたような声に、黒い獣は切れ長の瞳をちらりとこちらに向けた。
その視線が「グズグズするな、行け」と言うように細められる。
絡み合った視線に、凍り付いていた四肢が溶けていくのが分かった。
マコトは静かに頷く。
何時もの光が瞳に戻ったのを見て、獣は満足げに口元を引き上げる。それがどうにも獲物を狙って牙を剥き出しているようにしか見えず、周りの兵は恐れるように一歩足を引く。
獣は視線を彼らに落し、身体を反らすとがっぽりと開いた大きな口から、空を割らんばかりの咆哮を上げた。
「―――――――――!!!!!」
切り裂くようなその咆哮に、ある者は腰を抜かし、ある者は尻尾を巻いて逃げてゆく。
そんな彼らを追い詰めるように、黒い獣はその四肢をしならせ、風の様に戦火を掛けていく。
「・・・・・これで大丈夫ですね。さあ、逃げましょう」
「へっ?」
思わず聞き返してくる男。突然乱入してきた巨大な獣に驚いて、まだ心がどっかに旅立っているようだ。
逆に、今まで手を引かれていたマコトは冷静になり、男に「どこに逃げればいいですか」といつもの無表情で聞いている。
「あ、あっと、西の方に朱雀の基地がある」
「西ですね。分かりました」
そう頷くと、マコトはさっさと走っていく。・・・・・一人で。
「え!?ちょ、待ってくれ!!」
慌てて男も彼女の背中を追うように駆け出す。
周りではまだ、どっからか飛んでくる爆弾やらなんやらがドッカンドッカンと炎を上げているが、今のマコトはそれ程の恐怖を感じてはいなかった。
顔の半分を押さえ、ふら付きながら走る男の手を掴んで、驚く彼を一瞥もせずに走り出す。
そんな彼らを守る様に、黒い獣が襲い掛かる白の兵を蹴散らし、威嚇するように喉の奥から唸り声を上げる。
その姿を横目に移しながら、マコトはただ。ただただ必死に男の手を引いて戦場を駆けた。
一つの仮説を、確信にして胸の内に抱いて。