零の調律 | ナノ
零の調律
零(No.0)



 マコトは都内の区立図書館で働く新米司書だ。
 幼い頃から本が好きで、外で遊ぶよりも、屋内で読書をする方が好きな「超」が付くほどのインドア女。それが真琴だった。
 両親を早くに亡くし、祖母の家で育ったマコトは、同年代の子たちに比べて随分と大人びていた。本を読むことが好きだったから、余計にそうだったのかもしれない。
 おまけに目を皿のようにして暗い所でも本を離さず見ていたから、案の定酷い近眼になってしまった。
 しかもなぜかサイズの合わない眼鏡を掛けていたから、鼻の上に載ってる眼鏡がズルズルと滑ってきて、男子に随分とからかわれた。
 それに加えて、祖母が作った服を毎日着ていったらそれが地味だといわれた。周りの子たちが着ているのは、色の洪水のような派手なTシャツ。一方の真琴は灰色のワンピース。しかも手作りと分かる代物。
 だが、マコトにとってそれは祖母が丹精込めて作ってくれた、世界に一つだけの、自分だけのワンピース。大量生産で皆似たような服を着ているのと、同じになんてされなくなかった。
 そんなこともあって彼女の担任もクラスメイトも、なんとなく距離を置いて接していたのを、真琴は冷静に気付いていた。
まあ言ってしまえば風変わりな子である。
 決して友達がいなかったわけではないが、心と心の間に大きなガラスの板が挟まっているみたいで。
 見えるのに、絶対に触れない。そんな感じ。
 でも、人間関係なんて、所詮そんなものだ。どんなに仲良くしていても、それは結局上辺だけで、中では何を思っているかは分からない。
 自分には、おばあちゃんがいてくれればそれでいい。
 そう思っていたのに・・・・・。





「−−−−−お先に失礼します」
「あぁ、お疲れ様ぁ。また明日ね」
「はい」

 ニコリと微笑んでくる上司に挨拶をして、事務所を出る。
 すれ違う同僚とも、別れの挨拶をする。皆人の良い笑みを浮かべていて、裏はない。
 分かっていても疑ってしまうのは、幼少期の影響が強いのかもしれない。
 そんなことを考えながら、図書館の外に出る。
 ガラスのドアを開けると、外はシトシトと小粒の雨が降っていた。
 しまった。傘を忘れた。
 マコトは肩を下ろしてため息を付く。朝何のためにニュースを見てたんだ。今日の天気予報をチェックする為じゃないか。

「・・・・ほんとやんなっちゃう。小雨って眼鏡の大敵じゃないですか。ったく」

 思わず悪態をつきながら、赤いふちの眼鏡を指先で押し上げる。
 湿気で癖のある髪が余計にボワボワになってきたが、もうどうでもいい。
 まぁ、家はすぐ近くだ。この小雨なら、走れば何とかなるだろう、多分。

「なんでちゃんと見なかったんでしょう・・・・・あ、そうだポチ様がお神酒(みき)が無いって騒いだからそれどころじゃなかったんでした。あのクソ神、今日の夕飯はお預け決定ですね、いい気味です馬鹿やろー」

 ブツブツと呟く姿はなんとも不気味。一人でいることが多かったマコトは、もはや独り言が癖になっている。極力直そうとしているから、仕事中は出ないが、一人になるとどうしても出てしまう。

 鞄を胸に抱えながら外に飛び出して、底の薄いパンプスで走り出す。

「あのクソ犬マジでシバきます・・・・!」

 何故犬。という問いは、すぐに明かされることとなる。






 
「―――――――ぅんしょ。ぅんしょっ」

ポテポテと二本足で歩くそれは、焦げ茶色の前足で懸命に大きな酒ビンを抱えて、畳の上を懸命に歩いている。
 時々ヨタ付きながらも、それでも酒ビンは離すまいと前足に込める力は半端内容で、プルプル震えている。
 ようやく、部屋の真ん中にあるちゃぶ台にたどり着いたそれは、最後の力と言わんばかりに後ろ脚を伸ばしてビンを台の上に押し上げた。

「ふぅ〜っ。これでいいわ!さぁて、酒酒っ」
「飲ませませんよ」
「そうそう飲ませな・・・・・・・・・・・・・っ!!??」
「急性アルコール中毒になって死にやがれですこのクソ神がぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「ふごあぁっ!!」

 音のなく帰って着たマコトに、振り返る間もなくそれは蹴り飛ばされる。
 勢いよく壁に激突したそれは「ぎゅっ!」っとなんだか変な声を上げてベタリと落ちた。

「今日は雨に降られてご覧の様にびちゃべちゃです。それもこれも朝っぱらから酒盛りをしようとしたどこかの飲んだくれ犬神のせいで天気予報を見逃したせいです。しかも帰ってきたらまた一人で酒を飲もうとしているっていう現場を目撃するなんてこれは雷を落とせという天照大御神のおもしべしとしか言いようがありません。というわけで大人しく血祭りに上がってください。私が昇天させてあげます」
「ちょーーーーーっとまてぃ!なになになに!?帰って来て第一声がそれ!?他にいう事なにの!?あるでしょ!?」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、ただいま」
「うがぁー!なんなのその間は!?そんなに気づかないの!?」

 仁王立ちで文句を叫ぶのは、何処をどう見ても、犬。しかも子犬。
 見事な黒い麻呂眉の眩しい顔(かんばせ)には、赤い斑模様が走っていて、真っ白い毛並みに映えている。

 実は、これはこの家の庭で土地神として祀られている社の主の犬神。これホント。
 幼い頃に母に連れられて遊びに来ると、この古い日本家屋のいつも縁側でいつも丸くなっているのを見ていた。生まれる前に死んだ祖父も、祖母も母も、皆神と知っていながらも、まるで飼い犬のように家の中で生活する子犬の姿をした守り神に、結構フレンドリーに接していたのを覚えている。
 マコトも「彼はね、この家の守り神なのよ」と衝撃的カミングアウトをなんてことない顔でされ戸惑ったものの、、すぐにすんなりそれを信じた。
 祖母も母も彼の事を「守神様」と呼んでいたが、そんな言い方難しすぎた幼いマコトは、何故かいつからか「師匠」と呼ぶようになった。様はつけているが、まったく意味の分からない呼び方である。
 そんなポチも、幼いマコトの子守りをしてくれ、愚図るマコトを四六時中あやしてくれた。マコトも彼のクルリと巻いた尻尾を追いかけて、一緒に遊ぶことが好きだった。
 それからずっと一緒だ。学校に通い、やがて社会人になった時も。
 母が死んだ時も、祖母が死んだ時も、いつもそばにいてくれた。マコトにとっての唯一の家族。

 そんな師匠の欠点を上げるとしたら、それは。


「酷い!酷いわマコト!あなたが生まれてから27年!手塩にかけて育ててきたのに!こんな子に育てた覚えは私ありません!!よよよぉ〜」
「あんたは私の母ですか。面倒は見てもらいましたが育ててもらった覚えはありませんよ。感謝しているは師匠じゃなくてばあ様です。あ、仏壇にただいまの挨拶を・・・・」
「ちょーーーーーい!私には言わなきゃしなかったのにぃ!?」
「はいはい。ただいまただいま」
「・・・・・・・玉枝。あんたの孫が冷たい」

 よよっ、と泣きまねをしながら、浮かべてもいない涙を拭うふりをする師匠。
 補足するが、彼は性別上、列記とした「雄」である。
 だが、喋り方も、喋り方も、すべてが女性的。
 別に最近流行のオネェというわけではない。この似非神は、街に行けば可愛い女の子を見つけてすり寄り、抱き上げてもらってはダラシナイ顔で胸の谷間に埋もれようとする“変態”である。
 しかも酒豪。三度の飯より酒、酒、酒。

「・・・・・・・・頼みますから、酒ばっかり飲まないで下さいよ。今月だけでいくら使ったと思っているんですか」
「だってぇ。今日は可愛い子に会えなかったのよぅ。こう、あれ?欲求不満を酒でかいしょ「何か言いました?」・・・・・・・・・・いえ、なにもぉ」
 
 しゅん、と肩を落とす師匠。
 立ったままその白い頭を見下ろしていたマコトは、ふっと目を細めると、その小さな身体に手を伸ばす。
 見た目よりも重いが、その重量感がなぜか安心感を誘う。

「・・・・・・今日、職場の先輩が旅行土産に魚の干物をくれました」
「!!??」
「とっても肉厚で、カリカリに焼いて食べたら、ほっぺが落ちそうなほど美味でしょうね」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!」
「・・・・・・・・・・・・・・・・今日だけですからね」
「やったぁーーーーーーーーいっ」

 両手を上げる師匠。クルリと巻いた尻尾が喜びを表す様に勢いよく元気にパタパタと動いている。
 仕方ない。自分も久しぶりに付き合うか、と師匠を抱いたまま台所に向かおうと後ろを振り返った。

と。

「――――――――」
「・・・・・・・・・・・・ん、師匠?」

 突然、腕の中のポチが動きを止め、庭に続く雨の吹き付ける夜色のガラス戸をじっと見つめ始めた。
 いつものヘラリとした雰囲気とは違うそれに、マコトは顔を覗き込もうと首を曲げる。
 
「ししょ―――――――っ」

 そこにあったのは、いつもの家族の顔ではなかった。
 緊張を孕んだ顔で、身体を強張らせている。こんな彼を見たことが無い。

「師匠・・・・・・?」
「・・・・・・・ちょっと出るわ」
「へ?・・・・あっ」

 するりと腕から抜け出した師匠は、タッタッとへ駆け寄り、その小さな手でどうやって開けたのか、立てつけの悪くなってきたガラス戸を開けて、庭に躍り出た。

「ちょ・・・!師匠!!」

 慌ててその後を追う。こんな雨の中では、白い毛並みに泥が跳ね付く。それに雨が嫌いな師匠が、いきなり外に飛び出した理由も気になった。

「マコト!くんじゃないわよ!」
「はぁ!?意味わかりませんよイキナリ何言ってやがるんですか!?」
「それ敬語間違ってるわよ!?危ないから下がってなさい!」
「ちゃんと説明してくださいよ!」
「ちょっと逃げるだけから!大丈夫よ!」
「はい?逃げるって何から―――――――――」

 訳が分からなくて、思わず聞き返したその瞬間。

 突然前方で発生した金色の光。雨脚の強くなった外は薄暗く、それの形がよく見えた。
 陣だ。よく物語でみる、魔法陣みたいな。

 驚いて足を止める。何、何が起きたんだ?
 暗闇の中で輝くそれは複雑な形をしていて、突然現れたと思うと、また溶けるように消える。
 また周りが真っ暗になったと思うと、また違うところで光が走る。それは広い自宅の庭のあちこちで起こった。

 茫然とそれを見ていると、少し離れた場所でまた起きた陣の光になにかが映った。
 それは、見慣れた白い身体。

「っ!師匠!」

 ダッと駆け出す。

 あの陣が何は分からないが、まるで何かを追いかけるように次々に発行している。そのたびに、慣れ親しんだ気配が激しく動き回るのが分かる。
 さっき師匠は“逃げる”と言っていた。まさか・・・。

 必死になって光を追いかける。雨で眼鏡が霞んでろくに見えないが、そんな事を気にしている暇なんてない。
 たった一人の家族を、失ってたまるものか。

 と、光が突然曲がった。きっと師匠がかわそうと方向を変えたんだ。
インドアのマコトにとっての全速力で、その気配に迫る。
光の速さが増す。もう師匠のすぐ背後に迫っている。
それが師匠の真下に現れるのと同時に、マコトは勢いよく腕を突き出した。

 ガシ!!!

「ぐほぉ!」
「師匠!!」

 胸に飛び込んできた小デブな身体をぎゅっと抱きしめる。

「マコト・・・!なにして――――――むぶぉっ」

 暴れる師匠の顔を、自分の平べったい胸に押し付ける。
 その瞬間、視界は黄金色の光に埋め尽くされた−―――――――。


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -