▼絶望を抜き取る




通路を行きかう人並みを抜けて、待ち合わせ場所の吹き抜けホールで峯岸は休憩用に設置された適当なソファーに腰を下ろした。
エスカレーターやエレベーターが同じ場所にある為人通りは絶えることもなく、落ち着きのない空間で時間を確認する。
待ち合わせ時間はあと5分程。

いつもならこんな場所で待ち合わせたりしないのに、と峯岸はおなまえの提案を珍しく思いつつ本を開いて時間を潰す。
と、2ページ程本を読み進めた所で「稔樹!」と声を掛けられて顔を上げた。


「ごめん、もうちょっと早く来れるつもりだったんだけど…」
「僕もさっき来たから」


そう言いながら駆け寄ってくるおなまえの髪が前に会った時よりも短く毛先が巻かれていて、髪の色も艶やかな栗色になっているのに峯岸は気が付く。
本を閉じて立ち上がるとおなまえはとても急いで来たのだろう、峯岸の前で膝に手を付き息を整えている。
そんな彼女の手を取ると先ほどまで腰掛けていたソファーに座らせた。


「少し休めば」
「うん…、ごめん…」
「別に謝ることじゃないでしょ」


そう言いながら峯岸はおなまえの髪を指で軽く梳いて毛流れを整えてやる。
つるりとした滑らかな指触りが心地良い。
何も言わなかったけれど自分の変化に気付いてくれたのだと察したおなまえは少しはにかみながら峯岸を窺った。


「いつもよりちょっと明るくしてみたんだけど…似合ってる、かな?」
「……」
「あっ、待って今のナシ。もし"似合ってない"って言われたらすごいショックだからやっぱり聞かなかったことにして!」
「…まだ座ってていいよ。そこにいて」


峯岸が僅かに口許を強張らせたのを見ておなまえは咄嗟に撤回した。
すると彼は少し間を置いて、おなまえに此処で待つよう言いつける。
おなまえが首を傾げながらも「え?うん」と返事をしたのを聞き、峯岸は踵を返して人波に紛れて行った。

消えていく背中を見届けて、おなまえは二階部分に掲げられた時計を見上げる。
本当はもう少し早く此処に来れるはずだった。
峯岸がこういう若干賑やかが過ぎる場所を余り好ましく思わないことは理解していたが、二人の休日が噛み合った貴重な一日。
午前中にこのショッピングモール内の美容院を予約していたので、午後一に会えるよう待ち合わせ時間を遅めにしたつもりだったのが、シャンプーやカットの合間に長らく待たされてしまって終わってみたらギリギリになってしまった。

美容院には行きたい、けれど少しでも早く彼に会いたい。
そんな二つの我儘を通そうとしたせいで、もしかしたら彼は気分を害してしまったんじゃ…。

おなまえはくるりと巻かれた毛先を指先で弄ぶ。


「…似合って…なかったかなぁ…」


気分転換には、という意味でも、見慣れないけど、という意味でも「いいんじゃない」くらいは言ってくれるんじゃないかと、心の何処かで期待していた。
待ち時間こそ余計に長くはなってしまったが、個人的には可愛くなれたと思っていたのに。
なんだかもう、数時間前にタイムスリップして「やっぱりキャンセルで」と無かったことにしたくなった。


「ぅー………きゃっ!?」


項垂れたおなまえの頬に、ひやりと冷たい感触が触れてビクッと大袈裟に肩が跳ねる。
顔を上げるとそこには自販機で買ってきたのか、飲み物を差し出している峯岸がいた。


「落ち着いた?お茶、飲むなら」
「…あ…。ありがとう」


ノンカフェインと記されたお茶を受け取り、封を開けて口をつけると花の香りが鼻腔を擽る。
おなまえが近頃好んで飲んでいるフレーバーだと、以前電話で話題にしたことがあるものだ。
「…それで、どうする?」と訊ねられて、おなまえは飲み終わったお茶を鞄にしまうと立ち上がった。


「ウィンドーショッピング!」


さっきまで落ち込みかけていたというのに、峯岸に少し気遣って貰っただけで萎びた気持ちが蘇るのだからなんて現金なのだろう。
おなまえは自分を胸の内でこき下ろすと、峯岸の手を取り雑層としたモール内を歩き始めた。


---


「…」


彼が足を止めるなんて珍しい、と宣言通りウィンドーショッピングを楽しんでいたおなまえは釣られて店内を覗き込む。
観葉植物や色とりどりの花たちが多くあるのを見て、おなまえも峯岸と共に中に入ってみた。


「何か気になる子でもいた?」
「…まあ、そんな所」


天吊りされたへデラたちの下を潜って更に進む。
高低差を活かして立体的にディスプレイされた植物たちは葉や花の色がアクセントになるように並べられていて、隣合うものを互いに引き立て合っていた。
漂う緑の香りも心地良いと感じるようになったのは、峯岸と付き合ってから一層のことのように思う。

一体どの子が峯岸の気をそんなに引いたのだろう、とおなまえが見回していると、峯岸が店員に声を掛けた。
いつもなら「極力他人に話しかけられたくない」と言って避けるのに、そんなに早く迎え入れたい程魅力のある植物なのかとおなまえは隣で目を丸くさせる。
峯岸が「アレなんですけど」と指し示すと、店員はおなまえの方を見てから「今ご用意致しますね」と一旦離れた。


「…? どの子お迎えするの?」
「お迎え?……ああ、そういうんじゃ…」


言いかけてから峯岸はおなまえを見て口を閉ざす。
急に黙った峯岸を見上げると、「…あるのかな…」と小さく呟いていて二人で首を傾げ合う。
そんな状態の二人に店員が「お待たせしました」と戻って来た。
カウンターに短く切られた切り花たちが広げられると


「それではお客様、此方にお願いします」
「おなまえ」
「え。ん?私?」
「はい!どうぞお掛けください」


笑顔の店員が椅子のある方を手で示して、おなまえは腰を掛ける。
店員は「少し失礼しますね」と断ってからおなまえを正面から見たり横や後ろに回ってみたりとしながら注視している。
訳がわからず峯岸を見ると、「じっとして」と窘められた。


「…はい!それでは御髪の方取り掛かりますね」
「は、はい。…?」


反射的に返事をしてしまったが一体何を、と戸惑うおなまえを他所に店員は櫛を片手におなまえの髪を取って編み始める。
耳の後ろの髪が反対の耳の方に向かって編み留められると、また反対側も同じ様にされていく。
あっという間に変化していくおなまえの様子を峯岸は眺めた。

カサ、カタ、と自分の後ろで物音がする度におなまえは振り返りそうになるが、さり気ない力と絶妙なタイミングで店員がクイッと前を向かせてくるので自分がどうなっているのかわからない。


「…お待たせ致しました!」
「あ、ありがとうございます…?」


しばらくそうしていると、店員が姿見をおなまえの後ろに持って来て、三面鏡を広げておなまえの前に立つ。
少し顔を傾けると、自分の髪に淡いオレンジ色のバラに添える様にカスミソウや小さなマリーゴールド、ラスカスが飾られているのが見えて思わず「か…っわいい…!です!」とおなまえはボリュームに気を付けながら言葉を発した。


「あ、花!お花が可愛いです!」
「うふふ、お客様もとてもお似合いでらっしゃいますよ!…花材はお連れ様がほとんど指定されたんです」


こっそりとおなまえに耳打ちすると、「本当に素敵ですよ」と店員が微笑んだ。
またご利用下さいと店先まで見送られてその場を後にすると、おなまえは峯岸に山のように質問を投げる。


「えっ。え!?稔樹、お会計は…てかこれ…え?何で??お花は?」
「花ならあるでしょ、そこに。勿論買ったよ。もう会計済」
「いつの間に…」


「サプライズなの…?」とおなまえが零すと「たまたまヘアアレンジやってますってのが見えたからだけど」と言われてこれがたまたまなのかとおなまえは驚いた。


「…似合ってるよ」
「お花ね。凄い可愛いの、ありがとう稔樹!」
「…うん。違うんだけどね」
「へ?」


出会い頭の質問にすぐ答えられなかった詫びとその返答のつもりだったのだが、おなまえは全く気が付いていない。
寧ろもう似合っているかどうかを尋ねたことすら忘れているかもしれないなと峯岸は思った。
「このお花枯れちゃうかなぁ」と気にしているおなまえに「プリザーブドだから枯れないよ」と答える。


「他にまだ見るものある?」
「んー…」


施設内の端に差し掛かって、インフォメーションの前でおなまえは立ち止まる。
ウロウロとエリアガイドを視線が巡った後、「稔樹は?」と投げ掛けられた。


「僕は…帰りたいかな」
「え。もう?」
「うん」


まだ会ってからそんなに時間も経っていないのに、とおなまえが少し俯く。
峯岸はその横顔に手を伸ばし、おなまえの髪からマリーゴールドを抜き取ると


「お迎えしたい子がいるからね」
「……プリザーブドはお手入れしなくていいんじゃ?」
「こいつじゃないよ」


峯岸の手の中の花を見て言うおなまえの手を取る。


「ほら。行くよおなまえ」


それでようやく言葉の意味を悟っておなまえは上気した頬で頷いた。





------
04.01/ショッピングセンターのフラワーショップを一緒に見て回る



back

×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -