▼再会したのも縁




ふらり。
ふらり。

もう何件飛び込み営業をしたろうか。
外回り用にヒールを持ち歩くことすら億劫だ。
なんでこんな靴なんぞ持ち歩かなければいけないんだ。
車で回ると飲食と喫煙が禁止され、更には使用前後の書類や走行距離の記載やら、制限されることが多くて嫌だけど荷物を自分で持たなくていいという何者にも得難い利点があるなと肩にくい込む多量のパンフレットの入った鞄を掛け直した。
もう此処で最後にしよう、と適当に目に入った看板のビルに入る。

出入り口前で靴を履き替えて、鏡で身嗜みを整えた。
ドアに貼られている【セールス・勧誘お断り】なんてステッカーを見て笑顔を貼り付ける。
こんなもの、"自分は押しに弱くて断れないタイプです"と言っているようなものだ。
チャイムを鳴らすと、ドアホンからの応答はなく足音が扉に近付いてくる。
手にパンフレットを持って営業トークの準備をすると、開いたドアの奥にいた人物に驚いて固まった。


「はいはーい、どちら様…ん?お前……」
「え…霊幻さん…?」
「…あぁ…ウチに営業?」


そこにいたのはかつて私に営業ノウハウを教えてくれた先輩で、私の手の中のパンフレットを見下ろすと合点がいったと言うように声音が変わる。
「お前まだその仕事してたの」なんて言いながらも、ドアを開けたまま部屋の奥に入るよう促された。
私はその言葉に苛立った気持ちをパンフレットと一緒にしまいこんで、誘われるまま足を踏み入れる。


「はい、お茶」
「あ…お構いなく…」
「……」
「……」


さっきまで貼り付けていた笑顔はとっくに引っ込んで、出されたお茶から立つ湯気をじいっと見つめる。
世間話。世間話くらい、しないと。
そう、むず痒い指先を指同士で擦り合わせながら言葉を捻り出そうと口を開くと、その前に霊幻さんが話し始めた。


「営業、しねーの?」
「え…」
「セールストーク。売りに来たんだろ?ウォーターサーバー」
「霊幻さんに売り付ける訳ないじゃないですか…ただの水ですよ…」


私の言葉に、霊幻さんが大袈裟に首を横に振る。


「オイオイ、駄目だろぉ?みょうじ。そこは"我社の水はイオンを含んだ天然水で"〜って言わねぇと」
「い、いいんです!どうせもう帰社しようとしてた所ですし!」
「ふぅん」
「霊幻さんは…今何されてるんですか?」


私の質問に、壁に掛かったポスターを示されて振り返る。
"21世紀の新星"と掲げられたポスター。
そこに記された"霊とか相談所"の文字をそのまま口に出すと、霊幻さんは頷いた。


「日々心霊現象に悩んでいる方を救済する徳の高い仕事だぞ」
「そんな胡散臭いことありますかね…」
「ある。現にみょうじ。今お前は悪霊に取り憑かれてる」
「え!?」


無駄にワキワキと動かした後、ズビシと人差し指が突き付けられて私は身じろいだ。

私に…悪霊が…?

今までそんな事考えもしなかったけれど、霊幻さんが余りにも真剣な眼差しで言うものだから、本当に悪霊はいて、私はそれに取り憑かれているんじゃないかという気になってくる。


「その生きる気力の無い目、ガチガチに凝り固まった肩に浮腫みまくった足。夕方になると必ず襲ってくる頭痛から極端に眠りが浅くなったことさえも、全て霊障だ」
「……!な、何でわかるんですか…!?」


前半は外回りの仕事をしている人間にはありがちな悩みだろうが、後半のやけに具体的な症状に私が驚きを隠せないでいると不敵な笑みを浮かべて霊幻さんは一枚の紙を差し出してくる。


「ウチは良心的だから、2000円のお試しコースから見てやる」
「……それ、コースいくつあるんですか…?」
「お試しのAコースが2000円、真面目なBコースが5000円、全力のCコースが12000円。以上みっつから選べるぞ」


「追加除霊は2割引だ」と料金表を示しながら説明される。
私はそれをしばらく見つめて考える。
実は夜にゆっくり眠れないことが気掛かりではあった。
けれど頭痛は夜には収まるし、他に何処が悪いかもわからなくて何科に罹るべきか迷った挙句ついつい先延ばしにして今に至る。
お試しで少しでも軽くなるのなら、2000円なんて安いもんだ。
「お試しコース…やってみます」と財布を取り出そうとする私を見て霊幻さんは「ストップ」と掌を突き出す。


「施術してからの後払いだから」
「え…それじゃあ施術に納得いかなくて払わない、なんて人出ませんか?」
「たまにいるな。…でもまぁ、やってみればわかる」
「…?よろしくお願いします」


施術室に通されると、首元を寛げて施術台に横になる様指示された。

……これ、いやらしい系のマッサージとかじゃあないよね…?
首元だけだし、気にし過ぎかな…。


「ボタン、タオル掛けるから。もっと開けて」


シャツの上二つを開けた状態で鎖骨から下を隠すように二つ折りにされたタオルが掛けられる。

…これなら胸元までは見えなさそう。
言われた通りにさらに二つボタンを外すと、「首失礼しますね〜」と肩口までシャツの襟元が広げられた。


「…これいやらしい系のじゃないですよね?」
「何言ってんだお前」


鼻で軽く笑いながら霊幻さんは洗面器に両手を浸している。
聖水か何かなのかな…。
次に掌に伸ばしてるのは聖油とか?ジェル…聖ジェル?そんなのあるかわかんないけど…。


「首触るぞ〜」
「はい」
「ホントは顔を刺激するのが手っ取り早いんだが…お試しだしみょうじこの後会社戻るし、それはまた次な」
「え。はい」


ナチュラルに次の施術を取り付けようとしている…。
なるほど、これも営業テクニックか…。

マッサージされながらも私は勉強になるな、と感心していた。
もう新人でもないのに、霊幻さんといると入社したての頃の気持ちがどうしても引き摺られる。

温かい手が鎖骨から肩を撫で、肩の後ろから首筋に上がっていく。
何度か繰り返されてから左側の鎖骨に両手が重ねられグッと圧を掛けられると、反対側の鎖骨へとゆっくり移動する。
その手がシャツの内側の、胸と脇の境目ギリギリまで入り込んで思わず「ちょっと…」と声を上げた。
でも霊幻さんの手はすぐに引き上げて、また同じ様に逆側にも両手を滑らせながら「何か?」と聞いてくる。
飽く迄も事務的な様子に、私の考え過ぎだろうと別の話題で誤魔化した。


「か…顔、隠したりとかしないんですかこれ」
「本来は顔もやるからなぁ」
「ガーゼとかタオルとか…」
「しない」
「…ソウデスカ」


会話の合間にも行程は進んで、やっぱり鎖骨周りから脇のギリギリまでを往復したり、首を横向きにしてグリグリ首の裏側を指圧されたりしていく。

気持ちい。

目を閉じる…のは気恥ずかしくて堪えていると、痛くないか尋ねられた。
それに頷いて応えれば施術が終わったら起こすから寝ても良いという甘言が。
身体の内側からポカポカする上に、掌の感触が心地よくてつい瞼を閉じた。
これはもう確実に次回もやって貰おうと心に決めて、私の意識は陽だまりに溶けるように薄くなって行った。


---


"おなまえちゃん、来週いつ暇?"


メールに気が付いて首を傾げた。
あれから定期的に霊幻さんの事務所に通っていて、つい一昨日も施術してもらったばかりだ。
いつも隔週なのに、もう悪霊の気というのが溜まったんだろうか。
でも遭遇してないのに、見もせずにわかるもの?
とりあえず手帳を広げてスケジュールを確認すると、予定の無い日を返信する。
すぐにその返事が返ってきて、"電話する"の文字を確認した直後着信が来た。


「はい」
「もしもし。今大丈夫か?」
「もう家なので、大丈夫ですよ」
「来週の土曜なんだけど」
「土曜ですね」


手帳の日付に"霊幻さん"と書き込む。
すぅ、と電話口で息を吸う音が聞こえて、時間を告げられるのかと言葉を待つ。
しかし中々声が聞こえなくて、ん?と思い始めた頃に霊幻さんがぽつりと。


「…飯でも食いに行かねぇ?」
「除霊の後ですか?」
「除霊抜き」
「え?」
「除霊は しない」


「あぁ…そうですか…」と言いながら私は"霊幻さん"の隣に書きかけていた"除"の字をボールペンで塗り潰す。


「えっと…何食べます、か?」
「え…いいの?」
「そりゃあ、悪い訳ないじゃないですか。かつての先輩のお誘いなのに」
「ああ…そう」


中華とか串物とか、指定あれば予約しておきますよと言えば「いや、俺がする」と断られた。
特に嫌いな食べ物もアレルギーもないことを伝えると、適当に決めとくわ、と間延びした調子の声が聞こえる。


「…あっ。俺次の休みの日買い物行こうと思ってたんだわ。昼平気?悪いけど付き合ってくれよ」
「いいですよ。じゃあ何処で待ち合わせましょうか」
「ラッキー。荷物持ちな」
「はいはい」


じゃあこの日はほぼ丸一日霊幻さんと出掛けるのか。
私は塗り潰した文字の隣に"とお出掛け"を書き加えた。


---


土曜日。
行ってみれば私服姿の霊幻さんがいて、何だか新鮮だった。


「お。よう」
「こんにちは。いつもスーツだから、変な感じですね」
「そういやそうだなぁ…」


チラッと私に視線をやると自然に隣に立って歩き出しながら、「可愛いじゃん」とサラリと言われる。
不意をつかれて噛みながら「霊幻さんもかっこいいですね」と返せば「男前だろ〜」と笑いながら口の回らない私の背を軽く叩いてきた。

買い物したいって言ってたはずなのに、霊幻さん自身は碌に店を見ようとはしないで私ばかりが雑貨を見たり買い足したかった春物を買ったりしている。


「霊幻さん何買いたかったんですか?」
「ん?色々だけど」
「さっきから私ばっかり見てますし…」


そっと視線を霊幻さんの手元にやった。
私が何かを買う度「何買ったんだぁ?」と覗き見るフリをしてそのまま荷物を持ち歩き続けているのだ。
そのことについさっき気がついてから、ソワソワとしてしまう。
これでは私が買い物に付き合わせているみたいで。
さっきまで全く気付かずに楽しんでいたのが嘘のように霊幻さんの顔色を窺う。


「おっ。コレこの前みょうじが観たいって言ってたやつ?」
「…はい」


ちょっと前の除霊の時に話していた事を覚えていたらしい。
ショッピング街の通りに貼られた映画のポスターを指差して、霊幻さんは「すぐ隣だし観に行こうぜ」と劇場のある方へ向かい出す。


「い、いいですよ!今日霊幻さんのお買い物の日なのに」
「ついでだろぉ?…しかもすぐ観れるじゃん。これは今この時観ろって天からの啓示だぞ」


「俺ホットドッグ食いたくなったから買ってきて。飲み物も」と2000円を握らされる。
販売カウンターの方に押しやられて列に並びながら、券売機に向かう霊幻さんの背中を見た。

こういう所の飲食物は割高だ。
とはいえこの額、きっと私の分の飲み物も買って来るよう持たされたんだろう。
しかも券売機の方が台数が多い分手早く買えてしまう。
これでは私の分の入場券まで霊幻さんが出してしまう。
私が観たい映画なのに。


「…絶対後でポケットに捩じ込んでやる…」


---


数時間後、私たちは二人揃って泣きながらご飯を食べていた。


「あそこでジロは卑怯だろぉ〜…」
「健気すぎましたよねぇ!?うぅ…っ」


実話を元にした半フィクション映画。
雪山で遭難した登山隊の冒険譚だったが、その途中で現れた救助犬に私たちは胸を打たれて思い出しては繰り返し泣いてしまう。
大人二人肩を並べて泣きながら料理をつつく様はとっても不思議だったろうが、幸い半個室タイプの席で周りの目を気にしないで良い。


「鼻詰まって味わかんねぇ」
「霊幻さん…ひどい顔してます…」
「お前に言われたくない。…っていつまで泣くんだよ、やめろ。俺まで思い出して釣られて泣くだろ」
「ず…すみませ…っ」


ポケットティッシュを差し出されて鼻をかんだ。
生憎霊幻さんのハンカチは私の手の中で絞れそうな程水浸しだ。
涙目でもそもそと食べ進める霊幻さんの口周りがソースで汚れていたから、テーブルナプキンで「ついてますよ」と拭き取ってあげると、霊幻さんが面食らった顔をした。
その顔が面白くて笑い泣きすると「ブサイク」と一吐き捨てられて雑に頭を撫でられた。


---


何だかんだで私が楽しませて貰ってるのでは?
そう気が付いたのは飲むまいと思っていたアルコールを飲んでほろ酔った帰り道だった。
いつの間にか私の肩には霊幻さんの紫のカーディガンが掛けられていて、重たい瞼を数回瞬かせた。

あれ。私何で飲んだんだっけ。
お酒好きじゃないのに。
思い出せない。


「…何か…すみません、私ばっかり楽しんじゃって」
「楽しかったんならそれでいいんじゃねーの」
「……」


「俺も楽しかったし」と言いながら手を引かれている。
モタつく足取りに合わせてくれてるのか、歩く速度はとってもゆっくり。
「本当に楽しかったですか…?」と隣の霊幻さんを見上げると、目が合った。
何か…妙な雰囲気、と思うと立ち止まる。


「みょうじ。…お前なんでまだあの仕事してんの?」
「……急に何ですか…」
「"向いてない"って昔、言ったことあったろ。俺」
「アハ、その話します?てか覚えてたんですね」


ツキンと胸が痛くなった。
酔った体にそれは響いて、波紋みたいに広がってく。

私もよく覚えてる。
中々成果を伸ばせなくて、いつも良い成績を残してた霊幻さんにコツを聞きに行ったんだ。
ロールしてみせると開口一番「お前、向いてないよ」と言い捨てられた。


「泣き虫なのは変わってないし」
「……あの時と今日だけじゃないですか。泣き虫じゃないです」


「今日泣いてたのは霊幻さんもでしょ」と言い返す。
何でそんなことまで覚えてるんだこの人。

向いてないってことなんか、自分でもわかってた。
でも出来ないことが、振る舞えないことが悔しくて。
霊幻さんにそう言われてから我武者羅になって仕事に打ち込んだ。
見返してやりたい、その一心で売りまくった。
霊幻さんについて回ってトーク術を盗んで、アフターケアまで手を尽くすよう立ち回り続けた。
ようやく、あと少しで肩を並べそうだという所まで来たら霊幻さんは辞めてしまって…余計にのめり込んだ。

私にはそれしか残ってなかったから。
誰もあんなに功績を残した霊幻さんを振り返らなかったから。
そんな会社の中で私が出来ることは、彼を踏襲し続けることしか、思い付かなかったから。

そこまで思い出したら、再会した時の「まだやってたの」の言葉にまた腹が立ってきた。

私が、どんな気持ちでこの仕事にしがみついてたことか。
今、言ってしまおうか。
思い知って、ちょっとくらい申し訳なさを感じてくれたら収まるかもしれない。


「霊幻さんが、教えてくれたことですから」
「……」
「あの会社の中での生き方。だから続けてます」
「…向いてないのに?」
「憧れの先輩からの教えを守る、律儀な後輩でしょう?」


そう言って、笑顔を貼り付けて見せる。
向いてない、なんてもう誰も社内で私に言う人はいないくらいには成長したつもりだ。


「まだ憧れてんの」
「見返してやろうって思ってますよ」
「…可愛くねー後輩」


また雑に頭を撫でられる。
でも、と声が続いて私は笑顔を引っ込めて首を傾げた。


「みょうじのそういうとこ好きなんだよ。やることなすこと何でも必死な所」
「…褒めるんなら、素面の時にして下さいよ」
「愛の告白なんだけど」
「……よ、余計です…」


顔が熱いのは酔ってるからで、
声が震えるのも酔ってるからだ。
だから握られた手を握り返すのも酔ってるからだし、こんなに鼓動が早く脈打つのも酔ってるから、だ。


「…じゃあおなまえちゃんが忘れねぇように手帳に書いといてやるよ」
「え。ちょっと。返事もしてないのにやめて下さい」
「んじゃ、お返事どうぞ?」


勝手に鞄を探られて手帳を取り出される。
そう言えば私の荷物は今全部霊幻さんが持ってるんだった。
"霊幻さんとお出掛け"の文字を見たのか、少し笑った顔で霊幻さんが促してくる。


「い、今私酔ってますし…ホラ、正常な判断が、できませんから…」
「へぇー。そう」


そう言って私の手帳に霊幻さんは文字を書き込むと、鞄にそれを戻した。
そして私の手を握っている指を組み替えて、私の指と霊幻さんの指が絡まる。


「それって俺に付け込んでくださいって言ってるようなもんだけど?」


頭の中に【セールス・勧誘お断り】のステッカーを見て笑みを浮かべた自分が思い出された。
やっぱり私、酔ってるんだ。それも大分。


「再会できたのも運命みたいなもんだろ」


じゃなきゃこんな安い台詞に、頷く訳なんかない。
精一杯言い訳を連ねる脳内と裏腹に、私はもう言い返す気もなくしていて。
「運命なら仕方ない」と頭の中の自分を黙らせた。




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