▼もどかしい二人




予約している依頼人の時間に合わせて、おなまえが机を拭いたりお茶菓子の準備をしたりとテキパキ動いている。
鼻歌を歌いながら作業をしているのを見て、「今日すごくご機嫌だなあ」と芹沢が思っているとエクボがこっそり近付いて『前髪切ったのに霊幻が気付いて褒めたからな』と教える。
小声で言われたので、芹沢も「そうなんだ」と返した。
霊幻の方を見れば彼も彼で上機嫌な様子でおなまえが買い足した観葉植物に水をあげている。


「霊幻さんも嬉しそうだね」
『……』
「?どうかした?」


事務所を染める和やかな雰囲気に芹沢も微笑むと、その中で一人エクボだけが真顔で宙を漂っている。
エクボは横目に芹沢を見つめると、はぁ、と溜息を吐き出した。


『お前さんは気付かねぇのか。羨ましい限りだなまったく』
「え?」
『…俺様もう帰りてぇなぁ。お前さんが帰った後ってろくなことねぇからよ』
「具合が悪いとかなら、霊幻さんに言って早退させて貰ったらどうかな?」
『馬鹿野郎。アイツがそれで帰すタマかよ』


『こっそり帰んだよ。サボタージュってやつだ』と言うエクボに、「サボるのはダメだよ」と芹沢は釘を刺す。
そうこうしている内に依頼人が現れたので、エクボはこの隙にと抜け出そうとしたが芹沢に掴まれて叶わないまま残りの時間を過ごすことになってしまった。


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「それじゃあ、ここで。お疲れ様です霊幻さん。また明日」
「おー。おなまえも気を付けて帰れな。エクボ、ちゃんと送るんだぞ」
『わかってるっての、毎回言うな』


結局こうなったな、とエクボは芹沢に構わず抜け出せば良かったと心の中で自分に愚痴る。
芹沢が学校に向かった後の二人ときたら、ことある毎に目が合っては微笑み合い、世間話に花を咲かせ、時間が来たら途中まで一緒に帰り、分かれ道にさし掛かればエクボに送るよう霊幻はいつも言いつけるのだ。

しかもそのおなまえと二人の帰り道となると、会話の切り出しは決まって…。


「今日も霊幻さん格好良かったぁ!」


これだ。エクボはやれやれと言うように下瞼を引き上げる。


『ああ、そうだな。前髪にもすぐ気がついたし』
「だよね…!エクボさん気が付いた?私の前髪」
『全然』
「私もちょっとしか切ってないの。なのにわかるなんて凄いよねぇ!」
『…お前さんのこと、よく見てるんだろ』


何で俺様がこんなことわざわざ言ってやってるのかと思いたいが、これも苦渋の決断の末だった。
もう何日も繰り返されたやり取りの中、エクボがこの状況を破るにはこうするのが手っ取り早く望ましいとの判断で。


「霊幻さんは皆のことを見てるんだよ…私だけな訳ない…」


さっきまでルンルン気分でいた癖にもう落ち込み始めているおなまえ。
これがエクボの悩みの種だった。


『いい加減自信持てよ。今日何回目が合った?今日どれだけ仕事に関係ない話してたよ?何とも思ってない奴とわざわざ毎回一緒に帰って、こんなボディガードつけるか?』
「…霊幻さんは優しいから」
『優しくてもしねぇよ!此処まではしないな。よっぽどのお人好しでだってこんな毎日やらねぇ』


エクボがいない日(滅多にないが)なんて家の前まで送り届けたという話も聞いている。
異性相手にそこまでするなんて好意がなければ出来ないことだ。
なのに何度エクボがそう言ってもおなまえは聞く耳を持たない。

直接どうしてそんなに優しくしてくれるのか聞いてみろと言えば「聞かなくてもわかる。彼が優しいからだ」と言い。
休みの日にでも会おうって誘ってみろと言えば「相手にも予定があるだろうに迷惑を掛けたくない」と言い。
いっそ告白しろと言えば「振られるのが怖い」と言う。

恐るべきは霊幻の方も同じようにおなまえを想って同じように悩み同じように「振られてもみろ。ショックで仕事が手につかなくなったらどうお前が責任取ってくれるんだよ」と足踏みをしていることだ。

『間に入ってる俺様のことを考えろよ』と文句のひとつくらい、言ったって罰は当たらないはずだ。


『もう面倒臭ぇからよ、俺様が一肌脱いでやるよ』


感謝しろよ、と言いながらおなまえの家の前でエクボは夜空へと消えて行った。
残されたおなまえは首を傾げながらも家の鍵と共に携帯を取り出し、霊幻に家に無事ついた報告のメールを送る。
すぐに返信がやって来て、「風邪引くなよ、おやすみ」の文字にさえ高鳴る胸に携帯を押し当ておなまえはドアノブを回した。



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03.31/両片想い



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