▼最上に憑依される




人混みの中、私は祖母に手を引かれて歩いていた。
祖母は私をいつも優しく包んでくれた。
今日どんなことがあったのかを話すと泣き黒子が皺で見えなくなるくらい目を細めて、頷きながらどんな話でも聞いてくれた。
その手がふと離れて、私は人混みの中に取り残される。


--お婆ちゃん!


声を上げても、もう何処にも祖母はいない。
私の声に周りの人混みたちが一斉に私を見た。
それは人の形に見えた、人ではない何か。
祖母といる時だけは、こいつらは何もしてこなかったのに。

ねえお婆ちゃん、何処に行っちゃったの。
助けて。助けてよ。
いつも見たいに。

徐々に周囲の何かたちは私との距離を詰めて、とうとう目の前の何かが私の首に手を掛けた。
腐敗臭が鼻をついて、泥のようにボタリと人の顔らしきものの一部が落ちる。
ギョロリと落ちた泥の中で目玉が動き、その側に、黒子が。


『お前のせいだ』
「!!!」


おなまえは弾かれたように体を起こした。
必死に息を吸い、吐いて、震える指で自分の首元をさする。
生きてる。
暗い部屋を見回すと蓄光塗料が塗られたアナログ時計が深夜を指し示していた。
頬に伝う汗を拭う掌が冷たい。

あれは夢…悪い夢だ。
お婆ちゃんが、私にあんなことする訳ない。
だってあのお守りもお婆ちゃんから貰ったんだし。
あれは霊から私を守ってくれる。
お守りさえあれば…。

肌身離さず持ち歩いているお守りをポケットの中で手探る。
けれど、ポケットの中には何も無い。


「え…嘘……あ!」


そう言えば今日は制服から出してなかったんだった。
大丈夫、焦ることない………。


「…嘘でしょ……」


何度叩いても、カーディガンや鞄の中まで探しても、何処にもお守りがない。
あれがないと。
霊に襲われてしまう。

………霊?


「…アイツがいない…?」


寝ている間も暇そうに部屋をふよついているあの男がいない、とおなまえは左右を確認する。
最上の気配は少し離れると、向こうが隠すつもりでいれば何処にいるのかも検討がつかなくなってしまう。
少なくとも家の中にはいない、ということしかおなまえにはわからない。

アイツはあのお守りを捨てさせようとしてた…もしかして、アイツが何処かに捨てに行ってるんじゃ…!


「冗談じゃない…!」


急いで上着を羽織って家を飛び出した。
何処を探せばいいのかなんてわからない。
誰もが寝静まっている通りや帰りに寄った広場、藁にもすがる思いで願掛けした稲荷神社など、近所を一通り走り回ってみるが何処にもいない。


「…あの、……悪霊め……!」


思えばアイツが私と一緒に通った道などにいるはずもないような気がしてきた。
私の物を捨てるのなら、寧ろ私が普段行かないような所の方がいいだろう。
そう思ったら、睡眠時間を削ってこんなに体力を消耗していることにも尚更腹が立って来た。

もう呪い殺されてもいい。
アイツに怒鳴り散らさねば気が済まない。
そうだ。死ぬかもしれないんなら、言いたい事を言いまくって悔いのないようにする方がいい。


「華の女子高生に取り憑いてこの変態野郎とか…絶対言ってやる…」


ああ言ってやろう、こう言ってやろうと思案しながら、最後にくるぶし公園の前を通り掛かる。


「……」


この道を直進すれば家だし、もう家でアイツを待って辞世の句を用意しながら戦闘態勢を取ろうと思っていたおなまえ。
でも、万が一…実はただ自分が知らぬ間に落としていただけだったら。
学校を出て、この公園でアイツと話している時まではあったのだ。
最後に此処を見てみるくらい、してもいいかもしれない。
そう思っておなまえは公園に足を踏み入れた。


「………」


入ってすぐに後悔した。
私が調べたいベンチに、誰かが腰掛けている。

服装から女性とはわかるが、明るい時間ならまだしも深夜に見知らぬ人に声なんて掛けられない。
おなまえは仕方なく踵を返そうとした。
すると、振り返りざまにベンチに座っていたその女性が立ち上がるのが見えておなまえは嫌な予感を抱く。

気のせいだ。

そう言い聞かせて早足で歩めば、カツカツとヒールの音も足早に近付いてくる。
もう走って帰ろうとおなまえは駆け出した。
が、数歩進んだだけで足が止まる。
此処から一刻も早く立ち去りたいのに微動だにしない。
鼓動がバクバクと危険を知らせてきても、振り返ることすら出来ずにおなまえの顔から血の気が引いた。

ズシリと身体に何かが伸し掛ったかのような重みが。
すぐ後ろで喉を引き絞ったような笑い声が。


『ツぅかまァエた』


ギシリと背後から喉を締められて、女がおなまえの顔を覗き込む。
大きく見開かれた目は小刻みに左右に動いて血走っている。
悪霊だと今更わかっても、もう遅い。
引き上げられた口角からは唾液が零れて抑え切れないといった様子で奇声のような笑い声を上げた。
女の爪が喉に食い込む。
ブチリと皮膚が裂ける音がして、視界が、狭まる。

悪霊なんかに殺されてしまう。
お守りさえあれば。
アイツを探しになんか出なければ。
変態野郎と罵る前に死ぬなんて。

意識が薄れてゆく中、甲高い笑い声が聞こえた。


『アッアッアッ!随分と余裕じゃないか』
『!?』


ぷらりと力なく撓垂れていたおなまえの腕が女の首を掴んだ。
と同時に女の体内に衝撃が走り女は呻き声を上げてよろけながら後ずさる。
開放された喉からスゥと息を吸い込むように、淡い光が女の体からおなまえの口内へと吸収されていく。


『低級すぎる。だが…肩慣らしには手頃か』


おなまえが手を女に向けて翳し、握り締めると女は胸を押さえて膝をつく。
おなまえの右掌に生々しい鼓動が伝わり、それを握り潰そうと力を込めるのを左腕が手首を掴んで邪魔をした。


「アンタ!…ひ、人の体で人殺そうとするんじゃないわよ…っ!」
『何だ。まだそれだけ余力があるんじゃないか』


グンッと引き上がる感覚と共におなまえの体から何かが抜け出た。
フラつく体を踏ん張って耐えると、頭上から声が降ってくる。


『そら、早くしないとまた来るぞ。仕留め損なうなよ』
「仕留めるったって…!」


私がいるのだ、どうせもうあの悪霊に此方に向かってくる気は無いだろうと最上は足を組む。
それでも向かってくるのなら相当な低級霊だ、と目を細めた。

女の体から抜け掛かっている悪霊は戸惑っているおなまえを見て自分を奮い立たせるように雄叫びを上げると、腕を前に突き出して再び襲いかかって来る。
最上は『…相当だな』と小さく零して膝の上に肘をついた。


「えっ、嘘でしょ!?」


おなまえが思わず腕で身を庇うと、女の腕が目の前でバチバチと弾かれてそこから先に伸ばすことができなくなる。


「え、え?え?」
『ウぅガァあアア"あ"あ"っ!!』
「ひ…無理無理!無理だから!!」


バシンと跳ね返されたというのに再び向かって来る女に、おなまえは"こっちに来るな"と言うように両手を振った。
すると女の体が強い光に包まれて前のめりに倒れる。
急にやって来た静寂におなまえは息を呑んだ。


「…?え…し、死んじゃった…?」


近づいて確かめる勇気はなくてその場から倒れている女を凝視する。
僅かに呼吸しているのがわかるのと最上が『生きているな』と言うのは同時だった。
おなまえは安堵の溜息を吐くと、キッと最上を睨み付けた。


「アンタ!私のお守り捨てたんじゃないでしょうね!?無いんだけど」
『アレなら此処にあるが』


そう言って最上がしゃがみ込む素振りをしてベンチ脇の影を示す。
そうだ、このベンチを探しに来たんだったとおなまえは思い出して落ちていたお守りを拾い上げた。


「…落としてた…」
『そんなことだろうと思ったよ。大事なものなら紐でもつけて首からぶら下げていろ』
「……」


そう言うと最上はフイとおなまえの家に向かって移動していく。
お守りをしっかり握り締めると、倒れたままの女をチラリと見てからおなまえはそれを追い掛けた。


---


『それにしても、君が夜遊びをするとは思いもよらなかったよ』


家族が起きないように静かに玄関を開けて、おなまえは自室に帰って来た。
さっきまでの必死な様を"夜遊び"と一括りにされてイラッとするが、抑える。


「夜遊びなんてしてないです」
『そうかい。では深夜に家を抜け出して一体何を?』
「お守りがなかったから。……」
『私が捨てた、と』


ニヤリと最上が笑う。


「いつも側をふよついてるのに、いない上にお守りもなければそう思ったって仕方ないじゃないですか。お守り捨てろって言ってたし、もしかしてって…」
『ない方が都合が良いと言ったんだ。捨てろとは言っていない』
「……じゃあアンタは何処行ってたのよ」
『………』


ムッとしておなまえが言い返すと、最上は貼り付けていた笑顔をしまって黙った。
その視線がおなまえの手の中のお守りに向いていることに気が付いて、お守りを持っている手を持ち上げる。


「お守り?」
『私だって散歩をしたくなる気分になることもある』
「探しに行ってたの?もしかして」
『…散歩だと言っているんだが』
「え……いや、急に行かないでしょ。ずっと部屋でふよふよしてたじゃん毎夜」
『…君こそ、普段ならぐっすり寝ているはずだが?』


そう言って部屋の時計を示してみせる。
まだ時刻は4時だ。


「夢見が悪かったんですぅ。どっかの悪霊が取り憑いてるせいじゃないかと思うんですがねぇ」
『ほう。私の結界に干渉してこれるとは随分と高位の悪霊がいるものだな』
「結界?」
『…それもない、私もいない、では隙をついて何処ぞの低級霊がやって来るとも知れないだろう?』


『まあ、あれくらいの低級霊を去なすくらいは出来てくれないと私も困るが』と最上はさも善意ですと言わんばかりにお守りを指さした。
お守りに頼りすぎだと言われているようで、ポケットに握った手をしまい最上の視線からお守りを隠す。


「だ、だからってあそこで任せますかね」
『殺したくなかったんだろう?結果オーライじゃないか。お陰で君も霊能力に目覚めた』
「霊能力?」
『バリアを張ったり悪霊を除霊してみせたろう』
「………」


悪霊を除霊。
そう聞いておなまえは自分の掌を見つめて、それをゆっくり最上に向けた。
最上はその腕が真っ直ぐ自分に伸びてくるのを口端を上げて眺めると、おなまえの指に自分の指を絡めてみせる。
強い静電気のような音がその間に走るが、最上は表情を変えることなくおなまえの手の甲に爪を立てた。


『フン。こんな程度か。まだまだ私を除霊するには足りんな』
「…っ、」
『手本を見せてやろう。相手を消すというのはな』


『こうやるんだ』と最上が触れている手をすり抜けておなまえの身体に腕を埋めるように動かすと、まるで体内を掻き回されているようにグニャリと感覚が乱れていく。
体から力が抜けて行って倒れ込むと、最上の腕はおなまえを追う。
その腕が止まると、今度はその腕のある場所から体温が奪われるように急激に冷たくなって、おなまえは口を震わせた。
僅かにだが動く舌を動かして「変態野郎…っ」と罵れば、最上の笑みが一層深まった。
腕が引き抜かれて、体温が戻って来る。
『アッアッアッ』と愉快そうに響く笑い声におなまえは顔を顰めた。


『死ぬ前に少しでも一矢報いてやろうというのか。つくづく肝の座った女だな君は。あんな低級霊には怯える癖にわからんな』
「人様の胸元まさぐって殺そうとしてくる霊も十分恐ろしいわ」


冗談レベルでそのまま殺そうとしてくるなんて。
服で隠れているが鳥肌の立った腕をさする。

悔しいが、今さっきの干渉で大分力の差を痛感してしまった。
コイツと縁を切るには、私より良物件をコイツが見つけるか、私が死ぬか、私がコイツを除霊するかしかなさそう。
二番目は論外とすると、一番に期待しながら三番を目指すしかない。
そんなおなまえの考えを読んでいるのか居ないのか、最上はふよりとおなまえの隣に移動してきて女の爪が食い込んでいた首に触れながら。


『どうせ殺すなら、もっと怨みが募った時の方が面白そうだ。きっと良い悪霊になる』


死んでもコイツと一緒なんて絶対ゴメンだ、とおなまえは二番目の選択肢を頭から消した。



------
03.31/夢主に最上が憑依して霊能力と最上との仲がレベルアップする



back

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -