▼多用しないだけ

※事務員夢主



タイミングが悪かった。
霊幻さん不在の間にやってきた客を前に芹沢は困惑していた。

そのお客さんに悪霊は憑いていない。
しかし相当参っているようで、自分の体を守るように前で組まれた腕としきりに噛まれる爪が助けを求めている。
リラクゼーション技術を持ち合わせていない自分ではそろそろ限界だ。
いや、仮に持っていたとしても俺みたいなのが女性にやったら掴まりそう。
と、そこに救いを告げるドアの音がした。


「おはようございます。………」
「お、はようございます…」


事務員のみょうじさんだ…!
入ってすぐに真顔の瞳と目が合う。
彼女は俺より不愛想だ…どうしたらいいんだ…。
とうとう汗を隠しきれなくなってお客さんがみょうじさんを見ている隙にハンカチで額を拭った。
みょうじさんはこちらに向かってくる。
口では「いらっしゃいませ」と言ってはいるが、ニコリともしない。


「代わります」
「え…?」
「受付お願いします」


耳打ちされて席を替わると、みょうじさんは「対応代わりました、みょうじと言います」と名刺を差し出して本当に接客している。
受け取ったお客さんが名刺をまじまじ見ながらみょうじさんと交互に視線をよこす。
その間にみょうじさんは接客用の記入シート(病院でいう問診票みたいなアレ)を確認した。


「…なるほど。毎夜悪夢を見るんですね」
「そ、そうなんです!ここ最近ずっとそうで…さっきの人にも言ったんですけど…昨日なんて、昼間にうたた寝してた一瞬だったのに…!もう、怖くて、怖くて…」


真っ赤に充血した目は思い出した恐怖で右へ左へと忙しない。
誰でもいいから助けて欲しいんだと震える声が、彼女がどれほど思い詰めているかを伝えてくる。


「夢で溺れたり殴られたりするとありますね。…夢の中で殴ってくるのは誰ですか?」
「え…殴る…、なぐるの、は…」
「……」
「おもい、だせません」


じっと客の目を見つめていたおなまえは、「少し失礼しますね」と客の両頬に触れようとした。
しかし突然その手を強く払い除けられる。
痛みが鈍く走り、ズグリとした感覚が手の甲で広がっていくが反射的に出る声を噛み締めれば、今まで怯えて縮こまっていたはずの彼女は奇声を上げながら目の前のおなまえに暴れ始めて掴みかかった。
テーブルの上の湯呑みが弾みでこぼれておなまえの服を濡らす。


「! みょうじさん!」
「大丈夫。静かに…ゆっくり、退かすだけにして」


ギリギリと首元に指が食い込むのを、芹沢が念動力でゆっくり引き剥がす。
自分の意思でない強い力にバッと客はおなまえと距離を取ると、事務所の隅で呻りながら荒い息遣いで二人を睨みつけている。
人ではないような声にやはり悪霊かと思うが、何度見ても霊はいない。
おなまえは腰を落として視線を客に向けたまま芹沢に言う。


「…芹沢さん。部屋の奥にゆっくり、目線は床に落として後ずされますか」
「…また暴れたら、対処が遅れます…」
「じゃあ、しゃがんで下さい。もうちょっと離れて」


芹沢が前に出ないように後手に制し、離れたのを確認するとおなまえは先ほど客に向けていたままの声のトーンで話しかける。


「私の声、聞こえますか」


客は呻りを強くし牙を剥いている。
尚もおなまえは続けていく。


「此処が何処かわかりますか」
「#######」
「…あなたが探している人はいない」
「###!!##########!!!」


唸り声の中に床が震えるような低い声と甲高い声が混じる。
おなまえは言葉を聞き取ったようでそれに返事をしていく。


「嘘じゃない。あなたがその人を連れてきた。此処にあなたが探してる人は来ない」
「……###…」
「その人は逃げられたの。もう誰にも殴られない所まで」
「…##、#…」
「思い出して。…此処が何処か、わかりますね?」


しばらく見合ったままの硬直状態が続いたが、ふいに客が意識を失い倒れたことでそれは終わった。
床につく前にピタリと空中でそれを止めながら「もう大丈夫です。処置室に一旦寝かせましょう」とおなまえ。
慌てて芹沢は部屋の奥の扉を開ける。


「警察に連絡しますか…?それとも救急車?」
「ちょっと待ってください。この人の荷物見ます」

--お客さんの財布や手帳を躊躇いもなく見てる…き、緊急時だもんな…


手帳の中から目星の連絡先を見つけたのか、おなまえは電話を掛け始めた。
その腕と手に荒い引っかき傷が出来ているのに気が付いて芹沢は救急箱を持ってくる。
それに気付いたおなまえは電話口の相手と話しながらジェスチャーでお礼を告げた。

鋭利であればマシだったろうに、痛々しく血が滲んでいる傷を消毒してガーゼを巻いていく。
腕だけじゃなく、掴み掛かられた時にできた傷が首にもある。
話している相手の首に断りなく触れることが躊躇われて、脱脂綿を摘んだピンセットを中途半端にさ迷わせていると、おなまえが顎を上げて見せたので首の傷にも絆創膏を貼れた。
電話を終えれば、おなまえは芹沢に改めてお礼を言って処置台に横たえられた客の爪を綺麗に拭いている。


「この人、別人格の記憶を悪夢と思ってました。今は信頼できる人の所に住まわせて貰ってるみたいなので、迎えに来てもらうよう連絡しました」
「霊幻さんにも電話…」
「ただいまー」
「する手間が減りましたね」


「アレ、誰もいない?」という声に「こっちです」と答えれば訝し気に覗きこまれ、処置室の状態に霊幻の目が見開く。


「え、客?寝てるの?てか何それ怪我?除霊で?」


労災?病院?その人も救急車?とたくさんの情報が霊幻の頭に流れていく。
混乱している霊幻が芹沢を見るが、説明できそうになくて首を振る。


「この人、霊はついてないんです。でも様子がおかしくて」
「私と代わって貰って、中を少し覗いてみました」
「…うん。それで?」


おなまえはテレパシストだ。
本人曰く”うるさいと疲れる”そうで多用はしない。
入って早々に青白い顔の芹沢と客を見て仕方なく代わってみれば、客から複数の声が聞こえるものだから別の人格があるとわかったという。
人格には役目があり、それが果たされれば自然と消えていくものだからこの客はもう通常の生活を送れるとのこと。
既にこの客の縁者に連絡はしており、今は迎えを待っている状態と説明すれば霊幻はふむ。と頷いた。


「……よし、大体わかった。この人の後の対応は俺がやる。おなまえは病院行ってこい」
「霊幻さん当事者じゃないのに大丈夫なんですか」
「責任者だからな。その格好だと外寒いから、服乾いたら病院行ってこい。芹沢もな。職場の人間が立ち会ってた方がいい。診察終わったら二人とも上がりな」
「わかりました」


そう言われて処置室から出て零れたお茶を片付けたり暴れられて倒れたり動いた本やソファーを2人は戻してから、濡れた服にタオルを当ててドライヤーを上から掛ける。
その途中で電話がなり、迎えが来たことを伝えればいつの間にか意識を取り戻した客と一緒に霊幻が外に出ていく。
ペコリと下げられた客の頭に同じ様に頭を下げれば、ドアが閉まる音が響いた。


「…服も乾きましたし、近くの病院探すのでもう少し時間貰っていいですか?」
「勿論…あ、電話俺しますよ。喉の傷に響くかもしれません」
「これくらい平気です」
「…さっき、俺ほとんど何もできなかったので。これくらいさせて下さい」
「……」


事務所からそう遠くない場所にクリニックがあった。
そこへの連絡が終わってみょうじさんの鞄を代わりに持つと、何か言いたげにみょうじさんが座ったまま見上げてくる。
利き腕を怪我しているからと思ったけど、やっぱり一言なくては失礼だったと謝罪の為に口を開けば、俺が声を出すより彼女の方が早かった。


「芹沢さんは、自分で出来る限りのことはしてましたよ」
「……そんなこと、…」
「あの接客シート書いて貰いましたよね。ヒアリングして掘り下げられたこと、書き加えてくれてました」
「それだけです。本当に…役にはとても…」


なるべく詳細にわかることを付け加えられていたそれは、きっとおなまえでなく霊幻が対応しても客本人に自覚させることができただろう、と思う。
それ程客の書いた文字が前半と夢の内容を書いている後半とで筆跡が明らかに違っていた。
しかし芹沢の顔は暗く伏せられたままだ。

寧ろこんな図体のでかさなのにみょうじさんの盾にすらなれなかった、とガーゼ下の痛々しい生傷を思い出して苦い表情を浮かべる。


「女性なのに、こんな傷まで負わせて…」


絶対痛いはずだ、あんな、軽いとはいえ抉られたみたいな傷。
その内熱を持って腫れてくるだろう。
なのにみょうじさんは一言も痛いなんて言わない。
お客さんを無駄に刺激しないように、ひたすら冷静だった。
慌てふためく俺とは正反対だ。


「いいえ。私一人だったら首を絞められた時そのまま落ちてました」
「……」
「芹沢さんに守って貰ったから対処できたんです」
「…守れて、ましたか」
「生きてますし、こんなのすぐ治ります」


相変わらずの無表情でプラプラと腕を振ってみせられる。
安静にしてくださいとその腕を下ろさせた。


「傷に障ったら早く治るものも治らなくなります」
「…それもそうでした。早く行きましょう芹沢さん」


パッと立ち上がり足早に戸締りをしていって出入口前で振り返っておなまえは芹沢を待つ。


「どこですかクリニック」
「知らないのに先に行くから…えっと、駅ビルの中の…」
「…私方向音痴なので、任せました」


初耳だ、と1人で迷路のような路地に迷い込むみょうじさんを思い浮かべた。
…しかししっくりこなくて想像の中の彼女はいつの間にかゴールの病院に辿り着いている図しかイメージできなかった。
事務所の鍵を回せば、隣でクスリと笑い声が聞こえて振り向く。
「人間一長一短ですよ」と言う背中が芹沢の先導を待っていた。



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02.16/冷静沈着年下能力者夢主に芹沢が精神的にすがりたい



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