▼友達になろう




7月。
あと十数日登校すれば夏休みだというそんな時期に、転校生がやってきた。
親の転勤の都合だとかで、黒板に彼女の名前がチョークで刻まれていく。


「みょうじおなまえです。…よろしくお願いします」


分厚い眼鏡に今時地味なお下げ髪。
浮わついた雰囲気の教室と相まってその地味さが際立っている。
教師に促されて空いた自分の席に着くと、すぐにいつものホームルームが始まる。
連絡事項が全て伝えられ、チャイムが鳴る。


「僕、花沢輝気。よろしくね、みょうじさん」
「…花沢くん。よろしく…」


隣の席だから、教科書とか何かわからないことがあったらいつでも手を貸すよ、と言うテルに、視力がそれほどにも悪いのかおなまえはしかめるように目を凝らしてテルを見るとお礼を告げた。


「レンズ…随分分厚いね。みょうじさんそんなに目が悪いの?」
「……うん」
「…?」


5時間目の授業中。
おなまえに失礼でない程度に隣の席の様子を伺っていたテルはその違和感に気がついた。


--みょうじさん…なんで眼鏡掛けてるんだろう…?


少しだけ眼鏡を下にずらしてから板書しているおなまえ。
下げた眼鏡を掛け直すでもない。
逆に眼鏡を掛けている間は何を確認するでも全て目を細めてよくよく見なければいけないみたいだ。
まだ手配されていない教科書を今日一日机を寄せて2人で見合っているので、その様子が余計に気になる。
お節介かとも思ったが、テルは教科書の端に書き込んでおなまえの肘に自分の肘を少し当てて合図した。


「…?」


僅かに振り向いてテルに首を傾げるおなまえ。
それを視界の端で確認し、テルは前を向いたまま教科書の隅を指差す。


"目、悪くないよね?"


おなまえはその文字を見て、返事を書こうと一瞬腕を動かしたがやめた。
返事のないまま終業のチャイムがなり授業が終わる。


「教科書、書いちゃって良かったのに」
「…ううん。私…目、悪いから……」
「…」


こちらを見ないまま答えるおなまえの横顔をテルは見つめる。
その視線に答えずに、おなまえは会釈した。


「…教科書、ありがとう。花沢くん」
「…どういたしまして」


手早く帰り支度を済ませて立ち去るその背中をテルは見送った。


---


やっぱりお節介がすぎただろうかとテルは気にかかっていた。
後悔という程ではないにしろ、おなまえの反応が気になる。
もし気に障ったのなら謝らなきゃなと思ってはいるのに、彼女がテルを避けているので中々謝れないまま数日が過ぎてしまった。
席は隣なのに、だ。

挨拶をすると会釈で返ってくる。
その後の呼び掛けには無視。
さてどうしたものかと考えていると、廊下を歩いているテルのすぐ側を形の朧気な霊体が通り抜けていく。
それを目で追って、無害なただの浮遊霊か、と意識の外に追いやると廊下の向こう側にその悩みの種のおなまえが角を曲がってきたのが見えた。
少し離れているからか、テルに気付いた様子はない。


--…あれ。


校内の廊下はご丁寧に右側通行と決められていて(守ってる人は新入生くらいだけど)、廊下の中央にはその目印の線が引かれている。
曲がってきた時おなまえはそれに倣って右側を歩いていたのに、突然左に寄って歩いた。
少し早歩きで、数歩そのまま左側を歩いてからまた右側通行に戻る。
何かを避けるみたいに。
こちらに近付いてくるおなまえの顔にしっかり眼鏡が掛けられているのを確認して、自分との距離が縮まるまで待ってからテルは声を掛ける。


「みょうじさん」
「! は、花沢くん?」
「うん。…みょうじさんがこの廊下曲がってきた所から見てたんだけどさ」
「…」
「みょうじさんてもしかして、幽霊が見えるのかい?」
「な…なんのことですか」
「さっき飛んでたのを避けてたろう?」


そう指摘すると、おなまえはようやく顔を上げてテルを見た。
少しの驚きと混乱が窺える。


「花沢くんも…見えるの?」
「まあ…そうだね。見えるよ」
「それは」


言いかけておなまえは躊躇うように口を閉ざして周囲を見回した。
近くに他に人がいないことを確認してから再びテルに向き合う。


「…それは花沢くんの纏ってるもののせい?」
「え?」
「その…繭?膜、みたいな。ごめんなさい、他に形容できるもの、思いつかなくて」
「へぇ、驚いたな。コレも見えるんだ?」


超能力者が自然と帯びている気がおなまえには見えているようだった。
テルの目にはおなまえにはそんな気が感じられない。
見えるだけ、か。と少し残念に思っている自分がいた。


「あ。もしかして、それでそんな度の強い眼鏡かけてるのかい?」
「……うん。でないと、いつの間にか話しかけられてそれに答えたりしちゃうし…」
「ああ。なるほどね…」


本当のことを言うと、テルも実は幽霊なのではないかと疑っていたというおなまえ。
しかし眼鏡を掛けてもハッキリ見えない=人間、と見て判別していたと。
でも、と言ったきりおなまえはそこから先は言いにくそうに視線を彷徨わせている。


「…でも、どうかしたかい?」
「……初めて見たから、そんなの持ってる人。何かあったら嫌だし、花沢くんもこんなこと言う人と仲良くしたくないでしょ。構わなくていいよ、もう」


教科書届いたから、ありがとう。と言って横を通り過ぎて去ってしまうおなまえ。
何かあったら嫌、か。とテルは自分の手を見つめる。
なるほど確かに、その通りかもしれない。
もし超能力も霊も同じように見えるのなら、それから身を守る術のない彼女はひたすら避けたい対象だろう。


--仲直り、以前の問題だったな…。


---


そんな。
ない。

更衣室でおなまえはもう一度自分の荷物を入れていたロッカーを手探る。
扉を全開にして中の物を全て取り出し、ひとつひとつ衣服を確認する。

やっぱり、ない。
落ちて…も、ない。
どうして。

周囲を見回してみるがやはり探している物は見つからず、荷物を抱えている手に震えが走る。
いつまでも更衣室から出ようとしないおなまえを見兼ねて、同じクラスの女子が声を掛けた。


「どうしたの?大丈夫?」
「う…うん、大丈夫…」
「じゃあ行こう、皆待ってるよ」


おなまえはそれに何とか返事を返して、彼女と一緒に外に出る。
気が付けば更衣室にはもう二人しか残っていなかった。

今日は校外学習で山林に掛かる川下りの授業だ。
よりによって外でだなんて、とおなまえは無防備な自分の目元に触れる。
眼鏡を何処かで落としてしまったのか、それとも嫌がらせか何かで持ち去られたのか…あんなにキツイ眼鏡だ、間違って持っていかれてしまうということはないはず。

おなまえはなるべく前だけを見るように注意して進む。
でないと何が見えてしまうかわからない。
前に注視しすぎたのか、足元の木の根に気付かず転びかけるとクラスメイトの腕がそれを抱きとめた。


「大丈夫?」
「ご…めん、ありがとう」
「皆待ってるよ、早く行こう」
「うん…」


もう転ばないようにだろうか、おなまえの手を掴んでクラスメイトはぐんぐん山道を進む。
川下りの後は道路につけたバスに乗って帰るはずなのに、更衣室からこんなに離れた所にバスがあるのだろうか。
そもそも、今歩いてるこの道は川からも大分離れている上にどう見たって舗装された道路とは程遠い。


「…ね、ねぇ…どこ…いくの…?」
「皆が待ってるよ」
「こんなに山に入る訳ないよ…!み、道、間違えたんだよきっと!」


引き返そうとおなまえが足を止めると、信じられない程の強さで腕を引かれて足元の土に引き摺られた跡が残る。
掴まれた手を離そうともう片方の手でクラスメイトの手を引き剥がそうとするが、びくともしない。
クラスメイトが振り返る。
その目は大きく見開かれ、充血しきっている。
瞳は左右にブレながらおなまえを見て、「はやくいこう」とだけ呟く。


「…い、嫌!行きたくない!!離して!!」
「はやく」
「嫌だ!!誰か!!!」
「みんなが」
「やめてよ!!」


必死に掴んでいる腕に爪を立てて抵抗するが、びくともしない。
誰か。気が付いて。
ありったけの声で抵抗する。
せめて誰か、近くにいて。声が届いてくれたら。
おなまえの願いも虚しくズルズルと確実に山奥へと進んでいってしまう。

怖い。嫌だ。行きたくない。行きたくない!!
恐怖で涙が溢れる。
泣くな、泣いたら声が出なくなる…!
震える唇で大きく息を吸った。


「助けてぇえ!!!」


布を裂いたような悲鳴が木々に吸い込まれる。
と、突然腕の感覚が消えておなまえの視界が水色に染まった。
背中に重みを感じると、前にある水色の壁に押し付けられる。


「気付くのが遅れてごめん。…怖かったね」


水色の壁が耳に届く声に合わせて振動する。
この、声。


「…は、なざわ…く………っう、ぁ…っ!」
「うん。僕だよ。もう大丈夫…大丈夫だよ…」


顔を上げると間違いなく隣の席のその人で、おなまえは安堵から嗚咽を漏らす。
座り込んでしまったおなまえの背中をテルは優しくさする。
泣きじゃくるおなまえの頬に手を当て、その涙を拭う。


「…眼鏡、なくなっちゃったの?」
「…っ…、更衣室、から……探、した…けど、…どこにも……っ」


しゃくり上げながら答えると、テルは持っていたタオルをおなまえに差し出した。


「バスまでコレ、目に当てて冷やしなよ。腫れちゃうからさ」
「…ひ、…く…っ…」
「大丈夫。みょうじさんは僕がおぶっていくよ。動けないよね」
「……ご、…ごめん…」


おなまえの前でしゃがみ込んで腕が回されるのを待つが、その気配がなくて振り返る。


「どうしたの?悪霊なら僕といれば平気だよ、安心していい」
「……私…ひどいこと、言った、のに…」
「…あぁ、そんなことか」


気にしてない…は強がりすぎかな、と笑うと、おなまえはようやく涙が収まってきたものの赤いままの目でテルを見つめる。


「僕のこれは霊とはまた違うけど、似たようなものなのは確かだからさ。みょうじさんが怖いと思うのも仕方ないよ」
「……ごめんなさい…」
「謝らないで。…そうだなぁ…僕は怖くないって、これから知って貰えたらそれでおあいこってことにしよう。…どうかな?」


ぱちぱちとおなまえが目を瞬かせる。
今だ腕をかける気配のないおなまえにテルは痺れを切らしてその体を浮かせた。


「!? きゃっ…う、浮いてる…!」
「急がないと。先生たちも待ってるからさ」


そうして自分の背中にしがみつかせると、テルは山道を下っていく。
ちゃんと掴まっててね、と言えば躊躇いがちに回された腕に力が込められた。
数分後、バスが停められている道路と、そこに立つ担任の教師が見えた所でテルはおなまえの様子を伺う。


「…もう落ち着いたかい?」
「う、うん。降りるよ…重かったよね、ごめん…」
「そんなことないよ」


降りやすいようにしゃがむと、背中から体温が離れた。
離れる間際に耳元で小さく聞こえた「ありがとう」に、テルは笑みをうかべる。


「その方がいいよ」
「…え?」
「ごめんより、ありがとうの方がいい。…って、僕は思うな」
「…うん」
「あと」


頷いたおなまえの顔に掛かった髪を横に流して耳に掛けてやる。


「眼鏡もない方が、僕は好きだな」
「……まさか、花沢くんが隠したんじゃないよね?」
「ち、違うよ!」


慌てて否定すると、もうおなまえはバスに向かって歩き出していた。
また言動を間違えたかな…とテルは思いながらその後に続く。

翌朝、席に着く前に隣から声を掛けられてテルが反射的に振り向くと。


「おはよう、花沢くん」
「! おはよう、みょうじさん」


眉の辺りまで短くなった前髪に、結ばれずにストンと肩まで流れた毛先。
落ち着かなさそうに無防備な目元を気にしているおなまえが座っていた。


「…うん、やっぱりない方がいいよ。可愛い」
「……ありがとう…」


でも、落ち着かないしやっぱり怖いよ、というおなまえに良ければだけど。とテルはカバンを探る。


「じゃあこれ貸そうか?」


そう言って自分の伊達メガネをおなまえにかけてやった。
黒縁のそれには度がなく、本当にただのオシャレメガネだ。


「で、でもこれじゃあ見えちゃうよ…」


それはさ、とテルは自分の席に座る。
自分の眼鏡をおなまえが掛けているのが妙に小気味良い。


「一緒に帰れば解決するよね。今日一緒に帰ろう」
「…え…?」
「みょうじさん何で学校まで来てるの?バス?自転車?」
「歩きだよ…」
「僕も歩きなんだ。じゃあ家まで送れるね」
「…えっと…うん」


返事に困っている様子のおなまえを半ば強引に頷かせる。
じゃあ決まりだ!と鞄から筆記用具を取り出していると、何か言いたげな視線がその手を止めさせる。


「どうして、そんな…?」
「…そんな?そんなことするのかってこと?」
「うん」
「そんなの、みょうじさんと仲良くなりたいからさ」


屈託のない笑顔で答えられて、おなまえはいよいよ困惑している。


「僕のこと、怖くないって覚えてもらわないと友達になれないかなって」
「…も、もう、怖くないよ!大丈夫…」
「そうかい?なら…」


ようやくちゃんと挨拶できるね、と手を差し出した。
おなまえの手が控えめに差し出されるとそれを握る。


「よろしくおなまえ!僕のことはテルって呼んでいいよ」
「…あ、ありがとう……テルくん」


あと数日で夏休みだ。
去年に夏休みの過ごし方は学んだから、きっと今年は楽しく過ごせるだろう、とテルはまた笑顔を浮かべた。






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