▼お礼返しはどう誘おう




--本当、兄さんの頼みじゃなかったらこんな所来ないのに。


律は少し前を歩く霊幻の背中を見て思う。
郊外の閑散としてはいるがどう見たって普通の住宅地。
こんな所に人に危害を加える程強い悪霊がいそうには思えず、律はただ霊幻の後をついていく。
夕暮れの薄暗い通りは確かに少しは不気味かもしれない。
でもそれだけだ。


「…いませんね」
「……そうだなぁ」


通りの突き当りに行き当って、霊幻は丁字路で立ち止まる。
左右の道を確認すると、より暗い方を指差して「俺はこっちを少し見てくるから。ここで待ってろよ」と言い電灯の少ない道へと向かっていった。


--…何がそんなに引っ掛かるんだか


霊がいれば自分でもわかる。
律の感覚には全くそんなものが感じられなくて、無駄足だったなと思う反面これで兄の義理も果たしたろうと息を吐いた。


「…あれ…」


ふと霊幻とは反対方向の道を見ると、少し先の電灯の下に見覚えのある姿を見つけた。
確か隣のクラスの女子だ。
名前は…みょうじ、だったはず、とジャージに記名された苗字を思い出す。
体育の合同授業の時に見掛ける顔だった。
彼女と準備運動の時一緒に組んでいる子はおなまえと呼んでいたか。

おなまえはまるで重たいものを持っているかのようにフラついていて、その足取りは覚束ない。
律は一瞬霊幻を振り返ってから霊の気配がないことを確認し、彼女の元へと走った。


「みょうじさん」
「!……影山、君…だっけ?」
「うん。隣のクラスだよね」


呼びかけると足を止めて、おなまえが振り返る。
その時ぐにゃりとおなまえの周りが歪んだように見えた気がしたが、律が瞬きをすると特にこれといった変化はなかった。
しかし


「……なに、持ってるの?」
「え?」


鞄だけだよ、と首を傾げているおなまえの手に、人の頭程の大きい何かがある。
彼女には見えていないのか、律が何故ここにいるのかとか、自分はピアノのレッスンの帰りだとか話している。
律の視線はその何かに向けらええたままだ。


「影山君…?何かあるの?」
「! 触っちゃダメだ!」


ずっと視線を落としている律の視線を辿って、その手が何かに触れた。
するとその何かにたくさんの目玉がギョロリと現れ、その目全てがおなまえを見た。
咄嗟にバリアを張って律はおなまえを守る。
直後泥のような塊がそのバリアに張り付いて流れ落ちた。
突然響いたバリアが霊を弾くバチンという音におなまえは驚いて身を縮こませる。


「な、何?何の音?」
「僕から離れないで」


バリアに弾かれた霊は道路を伝い、少し離れた所で空中に浮いてまた塊を作る。
おなまえを後ろに庇って、律はその塊と向き合った。
塊はその場から動かずにいると、口が現れてそれはおなまえに話し掛けた。


『オ前ハ何ヲヤッテモ駄目ダナ』『モット、練習シナキャ』
『モット、上手ニナラナキャ』『ドウシテ何度モ同ジ事ヲ言ワセルンダ』


低い男の声と、高い女の子の声が同時に聞こえる。
不安感を煽る不協和音のような声。
聞き覚えのある声がそこに混じっていることに律の目がおなまえを端に捉える。
霊は何度もそれを繰り返していて、おなまえはその声に耳を塞いだ。


「声…聞こえる…なに…っ?」
「…ごめん、今消すから…!」


腕を泥の塊に向けて払うと念動力でそれは散らされて、声も遠くなっていった。
しゃがみ込んで耳を塞いだままのおなまえに視線を合わせて、律はその手に触れる。
小刻みに震えているその指は、たった一瞬の出来事だったのに緊張で血の気が引いてしまっている。


「もう大丈夫だよ」
「……」


理解ができないと言いたそうに揺れている瞳が律を映す。
おなまえの冷え切った手を自分の熱が伝わるように握り締めると、霊幻の声が届いた。


「おーい律!待ってろっていったろ…誰だその子?」
「すみません。悪霊がいたので」
「あく、りょう…?」
「こっちに現れたのか…、怪我してないか?」


俺の霊能力に恐れをなしてそっちに行ったんだなと続ける霊幻を律は物言いたげに見つめる。
霊幻の問いに「僕も彼女も無事です」と答えると、霊幻は「ならもう暗いし引き上げよう」としゃがみ込んでいる二人を立たせた。


「で。えーと?」
「あ、みょうじおなまえです。影山君の隣のクラスで…」
「塩中生か。家どっち?」
「え…っと」


突然現れた霊幻に混乱が解けないでいるおなまえは霊幻と律を交互に見る。


「…変な人じゃないから。女の子の一人歩きは危ないし、送るよ」
「ん?俺が警戒されてるのか?」
「影山君がそう、言うなら」


律の言葉を聞いてあからさまにホッとしているおなまえに、霊幻は一時保護者だからな!?と二人の少し後ろから訴えた。


---


「影山君」


昼休みのチャイムが鳴って机の上を片付けていると、廊下から律を呼ぶ声が聞こえて振り返る。
そこにはおなまえがいて、目が合うとちょこちょこと手を招いてきた。


「みょうじさん。どうしたの?あの後また何かあった?」


ザッと彼女の様子を見る限り、悪霊の気配はないなと律が思っているとおなまえは首を横に振ってみせる。


「違うの。昨日のお礼にと思って…」


そう言って後ろ手に持っていた袋が律に差し出される。
ラッピングされたマフィンがその中に覗けて、律はそれを受け取った。


「手作りなんだけど、そういうの苦手だったら別のもの用意するよ」
「別に良いのに…。あ、これは嬉しいよ。ありがとう」
「良かった!…私、悪霊に取り憑かれてた…んだよね…?」


周囲を気にして声を落としながらおなまえに尋ねられ、律は頷く。


「憑いてたね。手に」
「…今はもうない?」


そう言って自分の両手を律の前に出す。
律はもう一度その手を見てからおなまえの体に一通り視線を滑らせて「ないよ。大丈夫」と答えた。
もし憑いていたらと不安だったのか、おなまえは息を吐いてから笑顔を見せる。


「安心したぁ。実はね、ピアノのレッスン…あの後止めることにしたんだ」
「あぁ…あんなに暗い時間に帰るの、危ないしね」


そう言いながら律は再びおなまえの手を見た。
あの悪霊が憑いてたのは左手だ。
ピアノでは勿論手を使う。
どういうレッスン体系かは知らないが、個人の家で開いている教室だったら隣について指導するものかもしれない。
もし隣に講師が座っていたのなら、一番講師に近付く部位は。
おなまえも同じように思ったのか自分の左手の甲を右手で摩る。
両手だともどちらの手だとも言っていないが、薄々気が付いているようだった。


「安心していいよ。憑いてたらすぐわかるから」
「…うん!影山君がいてくれたら平気だね。ありがとう!」


そう言うと律の手を握ってから「またね」と手を振って隣の教室に帰っていった。
律も同じように返してから自分の席に戻って、貰ったマフィンに口をつける。
手作りと言っていたっけと律は思い出す。


--…みょうじさん、律儀な人だなぁ。


バターの香りにフワフワと甘い生地。
もしかしてお菓子作り、得意なのかな。
昨日の怯えた姿を見て少し心配していたけど、今日は笑顔を見られて良かったと律は微笑んだ。



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02.28/悪霊に襲われたところを助けられる



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