▼雨上がりの翌日春一番

雨上がりの空は空気が澄んで気持ちがいい。
流れた雲の後に差し込む陽は温かくて、買い物日和のいい日だった、と隣の男性が笑う。
そうだね、とおなまえは答えると二人でデパートの紙袋を下げて百貨店前の通りへ出た。
そのまま駅へと向かって移動しているおなまえの耳に女性の悲鳴が届いた。


「ど、ドロボーッ!!!」


数メートル離れた広場で倒れている女性、と走り去る男の後ろ姿。手には女物のバッグ。
おなまえは隣に目をやると荷物を任せて走り出した。
逃げていく男は足こそ早いが人の波を押し退けて進んでいる分モタついている。
距離を詰め射程距離に捉えると、おなまえは地を蹴って男に膝蹴りを落とした。
呻きを上げながら男は持っていたバッグを道路に投げる。
と、バイクで仲間がそれを拾い上げそのまま走り去ろうとする。


「逃がさない…!」


おなまえは咄嗟にすぐ側のコンビニに立てられていた傘を掴み、方向を変えようとしていたバイクのタイヤ目掛けて投げる。
鈍い音と共に無残に傘が巻き込まれ、バランスを崩したバイクが転倒した。
最初の男を引き摺ったまま駆け寄りバイクの男も捕まえると、その首根っこを掴みあげた。


「警察行こうか」


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「あぁ…!助かりました!どうもありがとうございます」


ペコペコと何度もお辞儀をする女性。
近くの交番で調書を取ったり、事故を起こしかねないとおなまえが厳重注意されている間に外はすっかり暗くなってしまった。
「お母さん、もう暗いからご家族に連絡しておいたからね」と気の良さそうな交番員。
もう自分たちはお暇しようとしていたのだが「最後まで責任持って見届けなさい」と男に言われ、彼が言うならと女性の話に男と一緒になって相槌を打つ。
しばらくそうしていると、「あ」と女性が立ち上がった。


「ひったくられたって?大丈、夫…か……」
「この人たちがね、……あら?どうかしたの?」
「あ、芹沢さん。こんばんは」
「この人と知り合いかい?おなまえ」


交番にやってきたのは芹沢だった。
固まる芹沢におなまえは説明する。


「ひったくりに遭った所に私たちがいて、捕まえたんです」
「そ、そうだったんですね。えっと…俺の母がお世話になりました」
「お母様でしたか。ご挨拶遅れました、克也さんと同じ職場で働いてますみょうじおなまえです」

--…克也さん…!

「あらぁー!そうだったのぉ〜!?偶然ねぇ〜!」

--……うるさい…


急にテンションが上がった母親に芹沢が頭を抱える。
その手の隙間からチラリとおなまえの隣に立っている恰幅の良い男性を見た。
自分より少し高い背。服の上からでも厚みがわかる筋肉質な体だ。
色素が薄めの人なのかグレーがかった明るい髪にニカリと笑う白い歯が自分とは正反対な気質を感じさせる。


--おなまえって呼んでた…。だ、誰なんだこの人…。


芹沢が胸のわだかまりに冷や汗を滲ませていると


「パーパ、こちら私と同じ職場の芹沢克也さん。芹沢さん、こちら私の父です」

--パーパ…!?

「よ、よろしくお願いします」
「よろしく!うちの娘がいつも世話になってるそうだね」
「や、いや…俺の方が、助けて貰ってばかりで…」


思いがけない父親の呼び方に動じている内に力強く握手を交わされて萎縮してしまう。
母親からの視線も居心地が悪いし、芹沢は軽く吐き気を感じた。
いや、何も親同士がたまたま会っただけなんだからと自分に言い聞かせてそれを堪える。


「そんなにおなまえは活躍しているのかい?」
「普通だよ。芹沢さんだって働きながら学校の勉強してて努力家だよ」
「なぁんだ!君…えーっと、ケンショウ…」
「謙遜」
「それだ。ケンソンすることないじゃないか!」


駅へと4人で向かいながら話す。
家族だからなのかそれともこれだけ話し続けていれば自ずとそうなるのか、心無しかおなまえの口数も多い気がする。
…表情は相変わらずではあるが。
努力家と言われて少し気持ちが浮つきながらも、やり取りに違和感を覚えておなまえの父を見た。
よくよく見れば瞳が青いような気がする。


「…海外の方、ですか?」
「ああ、ロシア人だよ。高校の数学教師なんだ」
「日本語お上手なんですね…。……数学…!」

--勉強教えて貰いたい…でも……


母親をチラリと見れば見たことない程ゆるみきった眼差しでおなまえに話し掛けながらこちらを見ていた。
おなまえは母親のマシンガントークに持ち前の無表情と謎に絶妙なタイミングの相槌でそれに答えている。
会話が途切れる様子はない。


--ああダメだやっぱり早く帰ろう。みょうじさんに迷惑が掛かる。

「じ、じゃあ俺たちはこの辺で…」
「あらやだわ。ちゃんとお礼をさせて下さい、どうですかお食事でも。ご馳走させていただけません?」
「やめろって…」
「お気持ちだけで結構ですよ。荷物もありますし」
「荷物なら、パーパが持って帰るよ。マーマには私から言っておくから、おなまえはお言葉に甘えなさい」


そう言うと「娘を頼みます」と頭を下げておなまえの手から紙袋を取り上げた。
一瞬笑顔を抑えて「失礼のないようにな」と言うと改札へと向かっていく。


「お父様もああ言ったことですし!ね?」
「え…っと…」
「! 母ちゃん、みょうじさん困ってるから。無理言うのやめろよ」


あのおなまえが言葉に詰まったのを見てとうとう芹沢は母親とおなまえの間に割って入る。
「えー…」と納得いかない顔をした母親は、またすぐ元の調子に戻った。


「ああ!そうね、私ったら気が利かなくて。2人でいってらっしゃいな!」
「えっ」
「おなまえさんもそれなら気を遣わなくていいものね?」
「お母様、本当にお気になさらなくて構いませんので。私、帰ります」
「あら…」


お辞儀をしておなまえは父親の後を追っていく。
芹沢はその背中を見送って、謝れなかったことを後悔しながら溜息を吐いた。



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次の日。
生憎と2人はそれぞれ別の仕事に当たることになり全く話す余裕が無かった。
どうして今日に限ってこんなに心霊相談が集中しているんだと、ようやく除霊を終えて霊幻と共に事務所に戻る。


「お疲れ様です」
「おー。留守番ありがとうなおなまえ。流石に今日はもう閉めよう、出ずっぱで明日に響く」
「ハシゴし通しでしたしね」
「ラーメン食ってこうぜー。付き合えよ二人共」


閉めようと聞いて早速戸締りを始めたおなまえは淡々とした口調で「お蕎麦がいいです」と要求する。


「ふむ。蕎麦か…それもいいな。芹沢どっちがいい?」
「じゃあ俺も蕎麦にします」
「決まりだな」


久し振りに3人で行くなぁと言いながら店に向かう霊幻の足取りは軽い。
そんなに楽しみなのかと思う一方、ようやく時間が出来たと芹沢は前方を歩くおなまえの隣に移動する。


「あの、みょうじさん」
「はい」
「昨日はすみませんでした。母の誘い…迷惑でしたよね?」
「…それなら、私も悪かったです。あと、芹沢さんが謝ることないです。お母様もよかれと思って誘ってくださったのはわかりますから」


それに、と続ける。


「私は迷惑だと思ってません。芹沢さんが困ってそうだったので断ったんです」
「…俺、ですか?」
「はい。芹沢さん、お母様が食事に誘ってくれた時にやめろって言ったので。なのに父がああ言ってしまったものだから、逆に芹沢さんを困らせてしまいました。私の方こそすみませんでした」
「……」


芹沢は驚いて言葉が出なかった。


--みょうじさんがこんなに喋ってる…し………何だ、これ…すごい、…ソワソワする…!


咄嗟に出た自分の言葉を慮っての態度だったことを知って、何かがジワジワと湧き上がってくるのを感じた。

ちょっと待ってくれよ。


「霊幻さんちょっと待ってください。芹沢さんが」
「ん?何……どうしたんだよ芹沢」
「………すみません。何でもないんですけど、ちょっと1人にしてください。後で行きますから」
「具合悪かったら肩貸すけど。おなまえ片方持てよな」
「立てますか?」
「だい、ホント大丈夫なんで。すみません先行ってください」


急にしゃがみ込んでしまった芹沢を心配するが、顔を伏せたまま両手を上げて大丈夫と示される。
そういうなら、と霊幻はおなまえを連れて先に店に向かって歩き出した。

言ってあげないと。
みょうじさんは謝らなくていいって。
俺は困ってないって。
だけど、その前に落ち着かないと


「……どうすんだよ、コレ…!」


早く収まってくれと熱を持った顔を掌で覆った。



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02.26/ひったくりを飛び蹴りで撃退したら助けた人が芹沢母

春一番の後は寒さが増すらしいんですけど、上がり続けたらいいんじゃないかなと思います



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