▼鍵の在り処




「おー、おー。荒れちゃってまあ」


突然暗い室内に声が降ってきた。
カーテンを締め切って、夜だと言うのに電気も点けず、ひたすら時間が過ぎるのを待っている最中だというのに、俺の耳は久し振りに聞いたその声に驚くよりも早く安堵する。
ガサガサとビニール袋の揺れる音と共に鍵を閉める音がして、足音が近付いた。


「……不法侵入…」


高潮して早くなっていく鼓動をかき消すようにそう呟いた。
今日初めて吐き出した声は情けなく震えて、動揺していることを隠しきれてない。
おなまえは気にしてない風に「鍵まだ持ってたからさ」と袋の中身をテーブルに出していく。
その悪びれない口調は記憶の中のおなまえと全く変わってなくて、胸が苦しくなった。


「何か食べた?すぐ食べれそうなものとー、あと何かしら作れそうなもの買ってきたけど。食べられる?」


亀のようにゆっくり布団から顔を出す。
テーブルに並べられているレトルト食品や食材たちに混ざって酒まで買ってきてるらしい。
どういうつもりだよ。


「…何しに来たんだよ」
「困ってんじゃないかなあって」
「……お前状況わかってんの?」


俺とおなまえは二年くらい前に別れた。
だから、ただの他人同士な訳で…もう飯を作って貰ったり掃除して貰ったり、そういうことはする必要が無い。
家の鍵はそういえば返してもらうのを忘れたままで、俺もおなまえの鍵を返しそびれたままだ。


「金、払うし…お前んとこの鍵、そこの引き出しの中だから」
「後にしようよ。別に電気消したままでもいいしさ。ねぇ、どれ食べる?ちなみに私は牛丼食べたい気分なので勝手に作って食べます」
「聞けよ人の話を」


玉ねぎと牛肉を取り出して暗いままの室内を移動していくおなまえ。
引き留めようと起き上がってようやくちゃんとした声が出た。
おなまえは手元が照らされるように計量カップの上にスマホを橋渡しさせて、ライトの明かりを頼りに包丁を取り出す。
勝手知ったる我が家のようにサッサと身支度を始めた背中に「今ならまだ間に合うから早く出てけって」と言えば、腕を動かしたまま「んー」と気のない声が返ってきた。


「もう遅いんじゃない?外めっちゃカメラあったよ。腕章つけてる人も」
「………」
「だから新隆買い物もいけてないんじゃないかなーって。一応ティッシュとかも買ってあるから、使ってね」
「…はぁ……もう…何なんだよ……」


トントントン。

包丁がまな板に一定のリズムを刻んでいって、それが終わるとコンロに火が点けられる。
「すぐ出来るから座って待っててよ」と言われて、料理中は何を言っても無駄だと諦めた俺はテーブルの上を片付け始めた。
一応人が座れるくらいのスペースを確保して、念の為テレビの電源を入れてチャンネルを回す。
夜のニュース番組でやはり"インチキ霊能者"と報じられているのを確認するとリモコンの電源ボタンを押した。


「……」


静かになった部屋に肉と玉ねぎが炒められる音だけが響く。
テーブルに広がっていたものをビニール袋に収め直して、その袋の中にレシートが入っていないかを探してみたが生憎と発見できなかった。


「新隆も牛丼食べるよねー?」
「……食べる」
「じゃあご飯のパック、チンして貰っていい?もうちょっとで出来るから」
「おー」


余りにも自然過ぎて、俺たち別れてるんだよな?と自分の記憶を疑いかける。
思い返して見てもやっぱり「別れる」と切り出されたことはとても夢とは思えない程の衝撃で、胸の苦しさが増すだけだった。
電子レンジの明かりを険しい顔で見つめていると、「食器出す?パックに乗っけちゃう?」と尋ねられる。


「洗い物が面倒臭い」
「だよね。じゃあチン終わったら乗っける」
「ほい。…箸ある?」
「二膳貰ってきてるよ」
「ん」
「七味あるー?」
「あー…ない」
「ないかぁ…キムチ買ってあるからそれで良しとしよう」
「どんだけ買ってきてるんだよ…」


そうこうしている内にピピー、と電子レンジが温め終了を告げて、激熱の湯気を吐き出すパックを注意しながら取り出した。
おなまえの方もそれに合わせてコンロの火を消して、俺が置いたご飯パックの上に盛り付けていく。
湯を沸かして即席味噌汁を紙コップに用意すると、「持ってってー」と声を掛けられた。


「はい、いただきます!」
「…いただきます」


暗い部屋のまま向かい合って牛丼をつつく様は不気味以外の何物でもないことだろう。
でも「電気つける?」と聞いても「面倒でしょ、外のが来たり撮られたら」と言われた。


「味噌汁零さないようにだけ気を付けてね」
「うん…」
「私ビール開けていい?」
「やめろよ酒臭くなる」
「えー、功労者なのにぃ」
「…だから、何しに来たんだよマジで…」


暗がりでお互いはよく見えない。
それでもテーブルを挟んだ向こう側でおなまえが笑ったのが雰囲気で伝わる。


「困ってる新隆を助けに来たんだよ」


当然だとでも言いたげな声に、箸を持つ手を止めた。


「だから…何でだって……もう、別れたろ、俺ら」
「それはそれ。これはこれだよ」
「は?」
「恋人じゃなくったって、新隆は私の大事な人だから。困ってたら助ける。泣いてたら慰める」


何だよそれ。
…大事な人だってんなら、何でじゃあ別れるなんて言い出したんだよ。


「…泣いてねーし……何なんだよホント…」


やめろよこんな、ガチで凹んでる所にやって来るの。
俺が余計に悲しくなるだけだぞ。
わかんねーよなお前には。
俺が、どれだけ、必死に忘れようとしてたのか。
なのに。

そう言うと、「知らなかった」と淡々とした声が返ってくる。


「けど、知ってることもあるよ」
「……」
「新隆はちゃんと人を助けてること。困ってる人からお金を騙し取るような人じゃないってこと」
「……」
「人の期待に応えようとして変に頑張りすぎちゃうとこがあるのも。弱音を上手に吐けないのも」


気が付けば鼻水が出てて、鼻を啜っているとおなまえがティッシュをケース毎よこしてきた。
それで鼻をかむと、「だから半分こしようよ、苦しいの」とテーブルに身を乗り出して頭を撫でられる。
まるで子供にするみたいに。


「新隆が飲めそうなお酒も買ってあるよ」
「…頭痛くなるだろが…飲まねぇって」
「残念」


そう全然残念でなさそうに言うと、一度身を離して俺の隣に移動してきた。


「溜まった鬱憤はお酒に流しちゃうのが徹取り早いのに」
「……今飲んだら間違いが置きそうだから飲まねぇ」
「そういうとこ真面目だなぁー…知ってるけど」


またグリグリ頭を撫でられる。


「第一…、お前こそこんな夜に元彼の家何かに上がり込んで良いワケ」
「私新隆と別れてからもずっとフリーだからいいんですぅ」
「は?結婚してくれる人探すんじゃなかったのかよ」
「探すのやめちゃった」
「何…ホント…」


"女の婚期は男より短いの"。
そう言ってバッサリ切られたことは、さっき思い出してたせいで記憶に新しい。


「思ったより情熱的な性格だったみたいで、私」
「…どういう意味、それ」
「条件が合うからってそれで結婚は無理みたいなの。…やっぱり好きな人とじゃなきゃね」
「……難儀な性格だな」
「フフッ、そうだね」


完全にペースに載せられている。
酒のせいにもできない。

いよいよ言葉に困って固まっていると、「冷める前に食べちゃおうよ」と向かい側に置いていた紙コップと簡易牛丼を引き寄せておなまえが食べ始めた。
それにつられて箸を進める。


「お腹空いてる時は判断も鈍るし、まずは元気にならなきゃ」


そう隣で穏やかに言われて、甘辛く煮られた牛肉を飲み込んだ。


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翌朝、目覚めるとゴタついていた部屋がこざっぱりしていた。
部屋に干しっぱなしになっていた洗濯物がなくなって、床に散らばっていた服がない。
昨日食べた牛丼の跡すらも綺麗になくて、冷蔵庫を開けてみた。
そこには昨日おなまえが買った残りの食材が少しと、自己主張の激しいパッケージのキムチがいて、新入りのお茶のペットボトルと一緒にこちらを見てくるようだ。
泊まっていかなかったんだな、と浴室に干されていた新しい洗濯物を見てからおなまえの家の鍵が入っている引き出しを開く。


「……!」


そこには書き置きと一緒にマスキングテープで鍵が貼り付けられていた。
雑な文字で"避難所にしたっていいんだからね!"というメモと、その下にあるおなまえの携帯番号を見て自然と笑いが込み上げる。


「ツンデレかよ…」


テープから鍵を外して、書き置きはそのまま引き出しに閉まった。
キーケースにその鍵を収めると、チャリと手の中で揺らしてみせる。
二年ぶりに収まったケースの隙間を、鍵も懐かしむようにカーテンの隙間から差し込む朝日を受けて輝いた。




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04.06/元恋人設定のホワイティ後



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