▼目をつけられる




通勤中のこと。
交差点の長い信号待ちに足止めを喰らう同じように通勤してたり通学してたりであろう人々の隙間から、白い杖が僅かに見えた。
信号機の柱の隣に立っていたおなまえは、なんとなしにすぐ横の歩行者支援の押しボタンを押す。
青に切り替わった信号に合わせて人の波が流れていく。
駅に向かう人、駅から町へと出て来た人、バスターミナルに向かう人…様々な向きの流れがスクランブルに組み合う。
チラッと杖の見えた方を気にして振り返ってみるが、そこに杖はもうなく「渡れたかな」と相談所方向の歩道に辿り着いてからも交差点を見ていた。

道の脇に立ち止まったおなまえを避けていく歩行者たちに会釈をして、点滅し始めた信号に渡り途中の波は速度を上げていく。
その流れに取り残されたように立ち止まっている杖と背中を見つけて、おなまえは駆け出した。


「あの!信号!赤になりますよ!」


慌てて声を掛けると白杖を持った人物はおなまえの声がした方に顔を向ける。
既に赤に変わった車道で尚も立ったままの男の元まで駆け寄ると、一番近い歩道に向かって腕を引いた。
車のクラクションが急かす様に鳴って、それに頭を下げながら歩道に辿り着くと「急に引っ張ってすみません」とおなまえは背後の人物に向かって謝る。


「こちらこそ。いつもは通らない道なので距離を測りきれなかったようで」
「いえ」


下げた頭を戻して目の前の人物を見ると、静電気を表面に纏ったような感覚が走った。
違和感を抱くのも束の間「どうもありがとうございました」と会釈をされ、おなまえは「お気をつけて…」と去っていく男の背中を見送った。


---


いつかの休日。
友人とプラプラ街を歩いていた時。
デートの予定だった友人がドタキャンされたとかで、その持て余した時間を一緒に潰す役をおなまえは買って出た。
社会人になると仕事に関係のない人間との関りが希薄になっていく。
例え友人にとって都合の良いように扱われていたとしても、人の縁が切れるのが一瞬であるのを思えば、こんな縁でも繋ぎ留めておきたいと思ってのことだった。
適当に入ったカフェで友人のスマホが鳴り、コール音の長さから着信であることが伝わる。


「…あ。彼氏だ」
「いいよ、電話出なよ。もしかしたら埋め合わせの話かもよ」


テラス席に腰掛けたまま、「ごめんね」と断って電話に出る友人にヒラヒラと手を振っておなまえはトロピカルフルーツティーに口をつける。
"全く意識していませんよ"という風を装いながらも耳は友人の声音を敏感に聞き取って、「ああコレは置いてかれるパターンだな」と薄々気が付く。
パカリと携帯を取り出し、今日この後一人でどう時間をやり過ごそうかを考えていると電話を終えた友人が「おなまえ」と少し下がった調子で声を掛けてくる。


「あの…本当にゴメン。あのね彼氏、用事早めに切り上げられたみたいなんだ!だからさ…」


「やっぱり」と心の準備をしていたおなまえは軽く笑うと「良かったじゃん。行ってきなよ」と友人が電話に出た時のようにヒラヒラ手を振ってみせた。
友人は申し訳なさそうに手を合わせてから、もう一度「ホントごめん!ありがとう、またね!」と店を後にしていく。
残されたおなまえは机の脇に伏せられたままの伝票をチラと見てから何の気なしにメニューを手に取って、パラリとデザートの名前を視線で追った。


「あー…どうしよっかな…」


そう独り言を呟くと、トン、とテラスの床に響いた音に顔を上げる。
「あ」と声を漏らしたおなまえの瞳に、いつだったか駅前の交差点で腕を引いた男が杖をついている姿が映り、向こうもおなまえの声に気が付いた。


「どうも」
「え…ど、どうも」


微笑まれて一瞬おなまえは口ごもったが、すぐに挨拶を返すと彼は「どなたかとご一緒です?」と話し掛けてくる。


「いえ。今一人になった所です」
「そうですか。…良ければ相席させて頂いても?勿論会計は私が持ちます」
「え?」


突然の申し出に困惑していると、おなまえのすぐ側まで彼は歩いて座っているおなまえを見下ろした。
正確には、微笑んだままおなまえの返答を待っている。

何で相席?…あ、前に手助けしたからそのお礼に…?…や。そもそも助けたのが私ってわかってるのかな…でも「どうも」って言ってたし。あれ、「どうも」って初対面でも使う?…ん?

少し考えた後に「どうせ暇になったんだし」とおなまえは「どうぞ」と席を立ち、彼が座り易いよう椅子を引いてやった。


「ありがとうございます」
「いえ。…あ…メニュー、わかりますか?」


点字のないメニューに気が付いておなまえが「飲み物、ホットとアイスどちらがいいですか?」と男に尋ねる。
「アナタと同じもので」と言われて「私トロピカルアイスティーなんですけど、コーヒーでなくて大丈夫ですか?」とおなまえは念を押した。
「そういう気分なんです」という返事におなまえは店員を呼んで注文と追加で手拭きを貰えるよう伝える。


「前にもお会いしましたよね。その時も助けて頂きました」
「あ。覚えてたんですね?助けたって程のことはしてないですよ、別に」


友人が置いて行ったレモンティーの残りを彼の前から避けながら「すごい記憶力が良いんですね」と言う。


「私、島崎と言います。お名前を窺っても?」
「みょうじです」
「…下は?」
「え?おなまえ、です。みょうじおなまえ」
「おなまえさんも私を覚えてたじゃないですか」
「それは…」


白杖を持っていた印象が強かったから、と言っては失礼だろうかとおなまえは言葉を選ぶ。
すると島崎は笑って左手に杖を持ち上げて見せた。


「コレ、があるから覚えてた。ってとこですかね」
「えっと」
「あとは…能力者だからってのも、ありますか?」
「……」


島崎の言葉におなまえは「気のせいじゃなかったんですね」と零す。
島崎はクスリと笑うと、白杖を畳んでしまいこんだ。


「…ソレ、しまって平気なんですか?」
「ああ。もう、いいんです」


おなまえが首を傾げると、島崎はその様子が見えたかのように笑みを深めて「視力がないのは本当なんですけどね」と前置く。


「覚えて貰えたので」
「……それは…えっと、どういう…?」


おなまえが言いかけると、そこに店員がお絞りとドリンクを運び新しい伝票を置いて行った。


「どういう意味だと思います?」


逆に聞き返されて、おなまえは言葉に詰まる。
カラリとおなまえのグラスの氷が音を立てた。


---


以来島崎という男は頻繁におなまえに会いにやって来た。
初対面の時の様に通勤中のこともあれば、二回目のように休日の出先。
帰宅途中や依頼で出張したその先でまで。
幽霊かとでも言いたくなるほど、気が付けばおなまえのすぐ側に現れる。
大抵は世間話をして「ではまた」と勝手に去っていくのだが、毎回気の緩んだ時に不意を突かれることでおなまえは毎日毎時落ち着けなかった。


「--てことで、俺と芹沢は除霊に出るから。おなまえは留守番よろしくな。何かあったら電話しろ」
「…はい」
「みょうじさん、元気ないですね…。具合とか悪いんですか?」
「そういうんじゃないんです。ちょっと最近…」


言いかけておなまえは口を閉ざした。
今これから出張しようとしている二人に、「もしかしたらストーカーに遭ってるかもしれません」なんて言ってもみよう。
除霊の仕事を先送りにしてストーカー対策に打って出る可能性が無きにしも非ず。
お客を待たせる訳にはいかない。


「…疲れが溜まってるみたいで。それだけです」
「そうか?じゃあ…四時になったら事務所閉めて早上がりしていいぞ。無理するなよ」
「わかりました。すみません」
「珍しいしな。日頃の勤務態度が良いおなまえを慰労してやろうっつー、上司のありがたい計らいだ。気をつけてな」
「じゃあ、行ってきます」
「二人ともいってらっしゃい〜…」


バタリと事務所の扉が閉まって、二人の足音が遠のいていく。
一人になった事務所でフゥと息を吐き出すと、おなまえは伸びをして体の緊張を解いた。
いつも疎らな客入りの事務所だ。
あと数時間程度一人でいたって回せるはず。マッサージの客でさえなければ。

そう、思っていた。


「…事故物件、ですか」


古いビルの除霊を頼みたいとやって来た不動産メーカーの男からの依頼内容に、おなまえは顎を手にやり考え込む。


「この辺りの霊能事務所には粗方お願いし尽くしまして…、これ以上改装工事を先延ばしに出来ないんです」
「…つまり、生半可な霊能力では祓えないくらい強力な悪霊が憑いていて、すぐにでも除霊してほしいってことですよね?」


ずばり核心をついたおなまえの言葉に男は頷いた。


--芹沢さんは霊幻さんと出ちゃったし…モブ君やテル君たちもまだ学校だ…


自分一人で祓えるだろうかとおなまえは汗を滲ませるが、ダメ元でエクボさんを寄越して貰えないだろうかと携帯を開きモブにメールを打とうとする。


「念の為、応援を呼べないか手配してみますね」


そう言っておなまえはポチポチと携帯を操作していく。
電話帳の"影山茂夫"の下にあった"島崎亮"の文字を見て、カーソルを動かしていたその指を止めた。


---


「おなまえから初めて呼び出されたかと思えば…ちょっとデートには向かない場所じゃありません?」
「デートじゃないです。聞いてましたよね?除霊を手伝って欲しいんです」


おなまえはもう一度島崎に依頼内容を説明した。


「島崎さん。わかると思いますけど私そんなに強い方じゃないんです。だから念の為に応援が欲しくて」
「頑張ってください」
「そういう意味じゃないです。…わかっててやってますよね!?」
「勿論」


関係者以外立入禁止のステッカーが貼られた廃ビルの入口を、依頼人から預かっていた鍵で開け中に入っていく。
本来立ち会うはずの依頼人は、怯えた様子でおなまえたちに"後は任せます"と早々に立ち去ってしまった。
一階の見回りを終え、二階に続く階段に差し掛かる。
先を歩いていたおなまえはチラ、と島崎を振り返って「階段、登ります」と様子を窺った。


「お先にどうぞ?」
「手、貸さなくて平気ですか?」
「おなまえの動きを視てるので、大丈夫ですよ。貸してくれてもいいですけど」
「…島崎さんて、本当に見えてないんですよね?」
「嘘じゃないですよ」


笑いながらおなまえの言葉を否定する島崎に、眉を顰めながらおなまえは手を差し出す。
「どうも」と島崎はその手を取って共に段差に足を掛けた。


---


「…次のフロアを見たら、あとは屋上で終わりです」
「この後出掛けません?デートの仕切り直しってことで」
「出掛けません。仕事であってデートじゃないですし」
「…じゃあ、私への謝礼ってことで。行きましょうよ」


「私そちらの職員じゃないんですよ?」と島崎に言われ、おなまえは"そう言えば勝手に部外者を除霊に駆り出したけど相場がわからないな"、と思い至った。


「私の時給分包みますから、それで勘弁してください」
「結構。プライスレスって言葉知ってます?」
「プライスにできるならしときま…!」


霊幻に協力者への謝礼についてメールを送ろうと携帯を操作していたおなまえの体が急に引き寄せられた。
かと思うと、直後視界に先程まで背にしていた窓が写る。
おなまえが記憶していた自分の立ち位置には青黒く揺らめく何かがいて、床に大きな衝撃痕を残していた。


「アレが悪霊です?」
「た、多分…」


自分が島崎に抱えられていることに気が付いて、礼を言い離れようとすると「来ますよ」と声がして咄嗟におなまえはバリアを厚く張る。
バァン!とそのバリアに黒い靄が泥のように張り付いて、ビリビリとバリア越しにも伝わってくる強い殺意におなまえは「バリアを一瞬でも解いたら終わる」と察した。
島崎ごとバリアに包んでしまったから身動きが取れない。
これは悪手だった、とそうおなまえが焦りを滲ませていると、バリアの向こうにいた悪霊が真横に吹っ飛んでいった。


「!?」
「…よくわからないですけど、叩き潰せばいいんですよね?」
「あ…アレ、島崎さん…さっき隣に…」


いつの間にかバリアの外に出ていた島崎が横から悪霊を殴り飛ばしたのだと気が付く頃には、既に悪霊は島崎の攻撃を受け続けたことで霊体を削られ、すっかりそこらにいる低級霊ほど小さくなっていた。
いると思っていた場所から別の場所に移動しては悪霊を投げたり弾いたりしていた島崎に「結構…パワータイプなんですね、意外でした」と言いながら、その手の中の悪霊に指を突きつけてトドメを刺す。


「他に霊の気配は…もうないですね。お疲れ様でした」
「お疲れ様です」
「じゃあ依頼人に連絡したら一度事務所に戻って、謝礼お渡ししますね」


おなまえが依頼人に電話をし、念の為依頼人同伴で最後の見回りを終え報酬を受け取るのを見届けてから、島崎は「送りますよ」とおなまえに触れた。
瞬間霊とか相談所の事務所にいて、おなまえは驚いて島崎を見上げる。


「高速移動じゃなくて、テレポート…ですか?」
「ご明察」
「…神出鬼没なのも頷けました」


おなまえが苦笑しながら送ってくれたことへの礼を述べつつ、霊幻の机に今さっきの報酬の封筒をしまった。
そのまま謝礼用の茶封筒を出そうと引き出しに手を掛けると、その手に島崎の手が被さって引き留める。


「じゃあ、謝礼、貰いますね」
「だ…だから今…えっ」


しゃがみこんでいるおなまえに影が架ると、項を支えられてすぐ眼前に伏せられた睫毛が。
思考が停止しているおなまえの唇が吸われて、柔い舌が歯列をこじ開けて侵入してきた。


「ん、んむ…っ!」


我に返って身じろぐも項の手が後ろ頭を確りと掴んで離れない。
何とか島崎の胸を押し返そうとするがそれもびくともしなかった。
抵抗している合間も口内は蹂躙され続けて、上顎や舌に触れられる度ビリビリと背筋に快感が走る。


「は…ん、く……っぅ」


時間を掛けて舐られ続けたことでおなまえの体から力が抜けていく。
しゃがんだ状態からぺたりと床に腰を落とすと、ようやく解放されて大きく息を吸い込んだ。


「ハハ…立てます?」
「っふざけ…!」


おなまえが怒鳴り返そうと机に手を掛け立ち上がる。
と、事務所のドアが開き「あれ?おなまえまだいるかー?」と霊幻の声がした。
ハッとしてそちらを見ればこの部屋の主が驚いた顔をしていて、「あっ、あの」とおなまえは状況を説明する言葉を何とか捻りだそうと慌てる。


「早く帰っていいって言ったろ?芹沢はもう現地で帰しちまったし」
「え?あ…」


部外者がいるのに気にもしない素振りの霊幻。
それを不思議に思い隣を見れば、いると思っていた場所に島崎の姿はなかった。
テレポートしたのだと理解してホッとする反面、一人残されていることに無性に苛立ちもして、おなまえは「アレ」と制止する。
口では霊幻たちが出た後にやってきた依頼のことを説明しながら、頭の中で自分の胸に渦巻く感情の輪郭が段々と明確になっていることに戸惑う。

何で置いてかれて怒ってるんだ私?怒るならキスされたことを怒るべきでしょ。…え?


「……いやいや…動じてるだけ…それだけ…」
「…どうしたんだブツブツと。…明日休む?」
「そうしま…いや!………休み、ます」
「それがいいぞ…ゆっくりしろよ」


休めば島崎に会う確率が高まる。
でも出勤中にも会わない保証はない。
もし明日仕事に集中できずにミスを起こしたら。

そう思って結局休みを取ったおなまえに、霊幻は怪訝そうな表情のまま「お大事に」と告げた。


---


明日外に出たら鉢合いそうな強い予感に、おなまえは「明日は引き篭ろう」と翌日の分の食材も買い込んで帰路についた。
転移できるのなら無駄だろうが、周囲への警戒を怠ることなく無事にマンションに辿り着き、自室に入ってようやく詰めていた息を吐き出す。


「…疲れたな……さっさと寝よう」


ノロノロと買ったものを冷蔵庫に移し、風呂の準備をしている間に夕食用のおにぎりを腹に収めた。
身についた日常生活のルーチンというのは優秀で。
心ここに在らずの状態でもしっかり顔と髪、体を洗って湯に浸かり、スキンケアをして歯を磨き、髪を乾かし部屋着に着替えアラームをセットし横になる、という所までスムーズに進行する。
さあ後は寝るだけ、という場面まで来て落ち着きなくおなまえは寝返りを繰り返し、終いにはむくりと起き上がった。
険しい顔で枕元の目覚まし時計を見ればまだ11時半だ。
ベッドに入ってから30分しか経っていない。


「…うー……」


唸り声をあげてボスリと身をベッドに沈めると再び目を閉じ寝ようと試みる。
疲れているはずなのだ。
眠れないわけが無い。
そう思っていると、しんと静まり返った自室に流れる換気扇を回す音さえ耳につく。


「…はぁ……とめよう…」


溜息を吐いて重たい体を起こすと、ベッドから足を下ろした。


「眠れないんです?」


ピクリとおなまえが固まる。
動揺もここまで来れば狂気だな、と幻聴に苛まれている自分に笑いまで込み上げてきた。


「そういう時ホットミルクがいいんだそうですよ」
「重症だわこれ………アレ」


早々にキッチンに向かおうと立ち上がるおなまえの足元に、島崎がしゃがみこんでいる。
幻覚もか、と思っていたら「それとも」と言いながらその幻覚がおなまえの脚に触れた。


「語らいます?その方が私も楽しいです」
「え………っと?島崎、さん?」
「はい」


脚から胴を伝っておなまえの肩へと島崎の手が滑っていく。
肩に着いた手はおなまえをベッドへと引き戻した。


「夢とか幻とかではない、島崎さんですよね」
「夢に見る程私のことを考えてくれてたんですか?光栄だなぁ」
「待って下さい。ちょっと。何で私の部屋にいるんですか!?」


「安心して下さい、靴はちゃんと玄関で脱ぎましたから」と土足ではないアピールをする島崎に、「そこではない」とおなまえは首を振る。


「何でって…、謝礼が途中だったので」
「途中…?ってアレは……、ちゃ、ちゃんとお金なら払いますから」
「金なんていりませんよ。それに、私の事を話してもいないんでしょう?おなまえ一人で依頼を成功させたとあの男は思ってますよ」
「それは…そう…ですけど」
「説明して私の分の謝礼を用意させるべきだったんです。そうしていたら、アナタは此処でその金を渡せば私を追い返せたのに」


霊幻に島崎のことを言うつもりでは、あった。
けれど結局おなまえは彼のことを伏せたまま、除霊依頼の報告をした。
事務的に島崎に対応をすれば、体面上あのキスをなかったことにできる。
でもそれは島崎を傷つけることにはならないだろうか?一瞬そんな考えが過ぎって口に出来ないまま、こうしておなまえは帰ってきてしまった。


「だ…だから!あの…キス、で十分なんじゃ」
「順番ですよ、順番。まさかセックスしましょうって言って急に前戯もなしに挿入するなんて野暮なことすると思います?」
「セ……え?例えです、よね?」
「さあ?どうでしょう」


キシ、ともう一人分の体重がベッドに加わる。
頭のすぐ横に手を付かれて、島崎の顔が近付いた。
鼓動が速さを増して熱い血が巡る。
数時間前のキスを思い出しておなまえが瞳を伏せると、唇が触れる寸前の所で止まった。
想像していた感覚がこないことに瞳を開けば、至近距離で昏い瞳がおなまえを見つめている。


「おなまえ」


名前を囁かれておなまえが反応すると、「…わかりますよね、もう」という島崎の声が胸に刻まれるように深くおなまえを揺さぶる。
島崎の言葉で、動揺しているだけだと思い込みたかった本心が暴かれていく。
録な抵抗をしないおなまえの本意が島崎には見透かされている。

期待をしているのは、私の方。
あのキスをなかったことにしたくなかったのは、私だ。


「…っ」


ベッドに置いていた手を上げて、島崎の背に回す。
回した手に力を込めて頭を少しだけ浮かせれば、待ち侘びていた唇に舌を自ら差し出した。


---


気持ちいい、のに焦れったい。
胸の奥のわだかまりがどんどん溜まっていくような感情におなまえの指はシーツを掻き分ける。


「ぁっう、はぁ!んんっ」


背後に伝わる島崎の体温にさえ感じてしまっているのでは、そう思うくらいおなまえは高められていた。
枕元の時計は既に2時を過ぎた頃を指し示して、それだけの時間挿入されないまま指だけで中を責められている。
すっかり解けきった蜜壷の中で島崎の指がザラついた箇所に円を描くように押し擦るとおなまえの膝が跳ねて爪先が伸びた。


「あぁ、あ"っダメ…っダ…メェ…っ!」


何度目かの絶頂におなまえが喉を反らせると、島崎はその首筋に吸い付いて痕を散らす。


「はぁ…は…、っぁ……し、ま…ざき…さん」


震える指先で彼のズボンを掴むと、唇を塞がれながら抱き抱えられてベッドに寝かされた。


「おなまえ…綺麗ですよ、すごく」
「…見えないん、ですよね…」
「この目は別です」


瞳孔が赤く光ってギラつく。
膝が持ち上げられて、とうとうその時だと思うと不安が胸を掠めた。
ちゃんと付き合ってもいないのに、体を合わせたりなんかしてお互いの為にならないんじゃないか。
捨てきれない理性がおなまえにそう囁く。
ツキンと傷んだ胸をやり過ごすように目を瞑れば、島崎の左手が頬を撫でた。


「怖いですか」
「……怖い…のは…」


余りにもその声が優しく宥めるようなものだったせいで、快感による生理的なものも合わさっておなまえの瞳から涙が溢れる。
目尻から耳へと流れていったその雫を島崎の指が追って拭うと、「本当に今は見えてるんだ」とおなまえはぼんやり思った。


「しちゃったら…島崎さんを、好きになりそうで、怖い…です」
「……俄然やる気にさせるだけですよ、それ」
「セ…セフレはやです!」
「……セフレ?」


パチリと島崎が瞬いた。


「からかわれてる…だけなのに、好きになっちゃったら…こ、怖いじゃない、ですか」


大人らしく報酬を体で払っただけだと割り切るのは自分には難しいのだと、震える声でおなまえが言う。


「こんな…気持ちいいの、知らなかったのに…最後までしちゃったら、多分…っ、忘れられないです…ぅ」
「…おなまえ?おなまえ、待って。ちょっと待って下さい」


半ば泣きじゃくりながらそう言うと、島崎はおなまえの両頬を手で包み制止させた。
濡れた睫毛が数回瞬いて雫を払う。
島崎は笑みを浮かべていた口許をぐっと引き結んだ後、咳払いをしてから「言っておきますけど」と真面目な表情になる。


「私、セフレなんかで収める気、毛頭ないですよ」
「…?」
「だからおなまえに好きになって貰わないと困るんです」
「その方が都合良く使えるから」
「待って下さいって。どうしてそうなるんですかねえ」


「困ったな」と島崎がおなまえに掛ける言葉を探していると、おなまえが「だって…付き合ってないのにこういうことするのは…セフレなんですよね…?」と零す。
そこでようやく島崎はおなまえの恋愛経験の乏しさを考慮してなかった自分に気が付いた。


「すみません。私、二回目のキスで付き合うことに了承して貰ったものだと思ってました」
「…好きって言わなくても、付き合えるんですか?」
「好きでなければしないでしょう。…ね?」


島崎の問に頬を赤く染めておなまえが頷くと、「それでいいんです」と口付ける。
ちゅ、と音を立てて唇が離れると「ということで、仕切り直したいんですが…お許し頂けますか?」と恭しくおなまえの手の甲に唇を落とした。


「ど…うぞ」
「じゃあ、深呼吸しましょうか」


島崎の言う通りに深く息を吸い込むと、声に合わせて息を吐く。
それに合わせて島崎の自身が中に埋まっていき、窮屈な感覚に「う」とおなまえが息を詰めると島崎も動きを止めた。


「…っ、…大丈夫、ゆっくりしますから…」


苦しげに眉を寄せる島崎を見ておなまえは再び深呼吸して息をゆっくりと吐く。
おなまえの腰を掴んで自身を捩じ込む合間も、島崎はおなまえの様子から目を離さない。
その真剣な眼差しと絡み合って、おなまえの体温が上がる。
そんな僅かな変化さえ目敏く気が付いて、「どうかしましたか?」と島崎は尋ねた。


「えっ」
「脈が早まりましたけど、痛いですか」
「ち…違います!これは…島崎さんが……格好良くて」
「……ふー…」


島崎が俯いて息を吐き出した。
ポタリと汗がおなまえの体に落ちてきて、ピクリとおなまえが反応するとグイッと両膝を持ち上げられた。


「!?し、島崎さ…」
「んー…ちょっと、無理させますけど。すみません」
「え……ん、あぁっ!」


謝りながらもおなまえの片膝を肩に掛ける。
もう一方の膝はおなまえの胸につくほど上げると、グッと腰を押し付けられて島崎自身が根元まで埋め込まれた。
ジンジンと鈍い感覚が結合部から広がっていく。
島崎はおなまえの下腹部を見つめながら探るように腰を回すと、ある一点を擦るように抽挿する。


「あ、あっ…ん、や!?ひ…っぁああ!な…に…っ」
「ココ、気持ちいいです…?」
「はぁっ、あぁ、き…もち…、い…っ!」


突かれる度にビクビクとおなまえが反応する。
指で慣らした甲斐あって、自身でもこのポイントでイケそうだなと島崎は快感に眩むおなまえを見下ろした。
蕩けた表情で熱に浮かされるおなまえに、ゾクリと胸が波打つ。


「し、…ぁっ、ざきさ…っ!も…きちゃ、うぅ…はぁ!んっ」
「…は…、…いいですよ、イッて…」


うねる中がざわめいて島崎を締め付けた。
息を抜きながら限界まで律動を送ると、おなまえが高く嬌声を上げて島崎にしがみつく。
跳ねるその体を掴んで更に腰を打ち付けると声にならない声が上がる。
桃色に染まった肌が快感に震える様を見て、島崎も奥に熱を放った。
この様が普段は見れないのが本当に残念でならない、と思いながら短く息をするおなまえに口付ける。


「好きです、おなまえ……私の事、好きになってくれました?」


唇、頬、瞼と唇を落としていくと荒い呼吸を繰り返しながらおなまえが掠れた声で「ひ、きょう…です」と愚痴を漏らす。
人をこんなにしておいて、好きじゃないなんて、言えるはずがないのに。
すると島崎は愉快そうに昏い瞳を細めた。


「晴れて恋人になれたんです。今日は一緒に過ごしましょう」


既にカーテンの隙間から覗ける空は薄明るくなりつつあるのに、体を起こされて再び挿入される。
力が満足に入らない体を必死に支えながら、口は勝手に甘い声を吐き出す。
これは、今日休みにして正解だったと思っていると「あの時休みにしなければ今のでやめたんですけどね」と言われて息を呑んだ。


「島、ざ…さんっ……何処まで…っあ、」


この人は一体何処までコッソリ着いてきてるんだろうかと尋ねかけると、ズンッと腰を落とされて喘ぎ声に上書きされていく。


「……どこまで、でしょうね?」


すぐ耳許で乱れた息混じりに笑みを含めた声がして、おなまえはぶわりと快感を煽られながら「正しくは、いつからかを問うべきだったか」と遠くで思った。




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04.10/島崎に気に入られる相談所勤務年下敬語夢主との裏



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