▼将来有望




「肉改ィーーー!」
「ファイッ!オー!」
「ふぁい…っ、おぉー…!」


肉改部の面々が校外のランニングをこなしている。
少し遅れてモブがそれについているが、上がる息に胸が苦しくて倒れかけてしまうと、向い側の歩行者がそれを支えた。


「は…はぁ、…す、すみま…」
「精が出るねぇ、モブ君」
「…あ…おなまえ、さん…?」


地につく寸前に回された腕にモブが詫びると、聞き知った声に力を振り絞って見上げる。
そこにはたまに相談所を訪れるおなまえがスーツ姿でおり、ハンカチを取り出してモブの汗を拭っていた。
「影山ァ!大丈夫か?」と前方を走っていた武蔵がモブに気が付いて声を掛けると、おなまえはペコリと武蔵に会釈をする。
モブは「大丈夫、です」と答えるとおなまえに視線をやった武蔵に「知り合いです」と言って自分に構わなくても大丈夫だと合図をした。


「立てなさそう?そこ座る?」
「あ…でも、おなまえさん…何で」
「丁度外回りしてたの」


少し道から逸れた川縁に二人は腰を下ろす。
おなまえが鞄からペットボトルを「さっき客先で貰ったから、口付けてないよ」とモブに差し出した。
それを受け取りお礼を言うと、おなまえはニカッと笑ってみせる。


「モブ君部活頑張ってるんだね!私はずっと文化部だったし走り込みって苦手だったなぁ」
「僕も、苦手ですけど…変わりたい…から…。おなまえさんはお仕事中なのに…すみません」
「んふ。歩くの疲れちゃったから。私もついでに一休みしちゃう」


そう言うと徐にローヒールのパンプスを脱ぎ揃えて脇に置き、鞄を足置き替わりにして足先を左右に揺らした。
モブはストッキングに包まれたその爪先を見てから、受け取ったペットボトルを見つめる。
玉露風味と表記された濃いめの緑茶のボトル。
隣ではおなまえがボトル缶のコーヒーに口をつけていて、鞄の隙間からはシガレットケースがチラリと顔を覗かせていた。


「あ、そうだ。入れっぱなしにしてたから溶けてないかなぁ…これもあるの」
「? なんですか?」


スーツのポケットを探っておなまえが出して見せたのはミルクキャンディだった。
「モブ君これ好きかなぁ?」と渡され、「好き、です」と掌の上の包装に顔を綻ばせると、おなまえも穏やかな表情でモブを見る。


「頑張り者にはご褒美だよ」


その笑顔にトクリと胸が高鳴るが、そんな時間も腕時計を見たおなまえが「じゃあそろそろ行くね」とパンプスを履き直し立ち上がることで終わった。
モブが一口飲んだだけのペットボトルを「…ポケット、入らないもんね」と回収すると「お先に失礼するね。モブ君ファイト!」と笑顔を向けて立ち去ってしまう。
その後ろ姿を見送り、おなまえの背が遠くに消えると尻置きにしていたハンカチに気が付く。


「…忘れ物…」


丁寧に畳んだそれと貰った飴をポケットに入れ、いつ返せるだろう、と思いながらモブは再びランニングのコースに戻っていった。


---


おなまえはたまに相談所に現れる。
いつ来るかは周期が定かでない。
元々は相談所の客だったみたいなのだが、今では世話になることがないらしい。
それでも「偶々近くを通りがかって」と言って何かしらの手土産を持ってくると少しだけ談笑して帰っていく。
会いたくても次にいつ会えるかの予想がつかない。

翌日バイトに出勤したモブは「師匠に聞けば、おなまえさんの連絡先くらいわかるかな」と新聞を広げている霊幻に視線を送ってみた。
元々は客だったのだから、電話番号くらいは知っていそうである。


「…師匠ぉ」
「どうしたぁ?モブ」
「………おなまえさんの連絡先って、知りませんか?」


モブの口からおなまえの名前を聞いて、霊幻は「ん?」と顔を上げた。


「おなまえ…がどうかしたのか?」
「昨日部活中に偶然会って…ハンカチ、忘れていったので返したいんです」
「そうか。ハンカチくらい気にしなさそうだが……最近遊びに来てないし…まぁいいか」


金庫から顧客帳簿だろうか、ノートのようなものを取り出すと「ホラ」とモブに見えるようにそのノートを広げる。
そこに記されたおなまえの電話番号を携帯に打ち込むと、呼び出し音が5回鳴ってから繋がった。
「もしもし?」と少し固い電話口の声に、「あ、きゅ、急にすみません。影山です」と言うとおなまえの声から緊張が抜ける。


「あれ、モブ君?どうしたの?電話なんて」
「ごめんなさい、電話番号は師匠にお願いして教えて貰って。あの、昨日おなまえさん、忘れ物してたので返したいんですけど」
「忘れ物?そっか。んー…ちょっと待ってね」
「はい」


おなまえは小声で「今日…はちょっと厳しいか。明日明日ー…んー…」と悩んでいるようだ。
忙しそうだな、とモブが会えない可能性にしゅんとし掛けると「相談所の方に行く用事がちょっと作れなさそうなんだけど」とおなまえの声。


「そうですか…」
「うん。でもね、時間遅くなっちゃうけど、仕事終わった後でもよければそっち行こうかなって」
「え。大丈夫、ですか?」
「私はね。そっちこそどうかなぁ…一応到着時間は20時目安なんだけど、そんな時間まで開いてない、よね?」
「そう…ですね…」


チラリと霊幻を見るが、霊幻は時計を気にする素振りもない。
この様子では今日は暇そうだし、寧ろ早めに事務所を閉めることも有り得る。
するとおなまえは「あとはねぇ〜」と他の選択肢を上げた。


「私今週末お休みなの。だからモブ君も予定がなければ待ち合わせ?とか」
「週末って…」
「土曜日。事務所でお仕事かな?それならそれで、事務所行くよ」
「予定、ないです」
「わかった。じゃあ…時間と場所は後でメールしよ。ショートメール送るから」
「は、はい」


モブの返事を待ってからおなまえは電話を切る。

"待ち合わせ"。

モブの頭の中でその単語が反芻された。
終話ボタンを押してしばらく携帯の画面をそのまま見つめていると、程なくしてショートメールが届き"私の"という文字と共にアドレスが送られてきた。
携帯を見つめたまま固まっているモブに、新聞を読み終えた霊幻が「おなまえ来るって?」と尋ねてくる。


「いえ…忙しいみたいで、こっちには来られないみたいです」
「そうか。まぁ稼ぎがあるのは良いことだ」


そう言いながらも霊幻は若干期待していたのか、「今日は暇だなあ」と漏らしている。
モブが予想していた通りにその次には「もう閉めるか」と続いて、モブは頷きながら返信をした。


"影山です。時間いつでも大丈夫です"
"OK!登録しておくね。場所考えとくから、家着いたらまた連絡する"


おなまえからの返信を眺めてモブは少し緩んだ顔を隠す様に俯く。
霊幻は「どうしたんだ」と言いながら300円を差し出してモブの様子を訝しむ。
夜を待ち遠しく思う気持ちを抑えつつ「なんでもないです」と答えるとモブは鞄を持って帰り支度をした。


---


ちょっと来るのが早すぎたかな、とおなまえは駅前広場の時計を見上げた。
駅の近くなので駐車場に難儀しそうだと早めに家を出たのが災いしたかもしれない。
けれどモブは待ち合わせ時間より早い時間に来そうな気もするし、適当に店に入った結果モブを待たせてしまうことになったら申し訳ない。


--どうしようかなあ…


周囲を見回したおなまえの目に喫煙所の看板が目に入った。
此処ならガラス窓で待ち合わせ場所も見えるし、一本分くらい時間を潰せるだろう。
喫煙所に入って鞄からケースとライターを出すと煙草に火をつけた。


「ふぅー…」


今日はモブの休日を割かせてしまって申し訳ないし、合流したら適当な場所でご飯でもご馳走しようかとおなまえは考える。
成長期の少年だから…ボリュームがあるお店の方が喜ばれそうだし、どうしようかと頭の中でお店の候補をいくつか用意した。


--あ。モブ君そういえば焼肉が好きなんだっけ。ん?でも昼から焼肉…いや焼肉ランチもあるし…


そうおなまえが考え込んでいると、喫煙所に風が吹き込み出入口が開けられたのがわかった。
灰皿台の場所を詰めようと姿勢を変えるおなまえの前方から発せられた聞き覚えのある声に、おなまえは顔を上げる。


「もう来てたんですね、おなまえさん」
「! モブ君…い、今出るね」


気付けばすっかり短くなっていた煙草を灰皿台に捨てて、ジュッという小さな音と共にケースをしまうと慌ててモブを連れて喫煙所を後にする。
ちょっと考え込みすぎてたな、とモブに気付かないでいた自分を反省し首の後ろを摩った。


「おなまえさん、いつ着いたんですか?」
「10分くらい前?かな。モブ君も早いね」
「あ…待たせたくなくて。でも、おなまえさんの方が早かったです」
「車置くところに迷うだろうと思ったらそんなことなくて、持て余しちゃったんだ」


そう苦笑するおなまえをモブは複雑な気持ちで見つめる。
風上に立つとほんのりさっきの煙草の香りが立って、すごく遠くにおなまえがいるような気分に陥った。


「今日はわざわざごめんね、休日なのに時間取らせちゃって」
「…いえ。謝って貰うことじゃないですし」
「そっか…そうだね、ありがとうだね!」
「あ……どう、いたしまして…」


向けられる笑顔に思わず沈みかけていた気持ちが浮上していく。
「ところで私、何を忘れたんだっけ?」と首を傾げるおなまえに、「これです」と洗われてしっかりと畳んだハンカチを差し出した。


「ああ!尻敷きにしてたんだっけ。洗ってくれたの?…アイロンまで掛かってる!ありがとうー!」
「……はい」


おなまえのものだと思うと丁寧に扱わなくてはという気持ちになって、モブが手洗いし自分でアイロンをかけたのだが改めて口にされると気恥ずかしくて頬を染め俯く。
上目遣いで様子を窺うとばちりと目が合って微笑まれた。


「モブ君いい旦那さんになれるよ」
「そ…んなこと…」
「やっぱりお母さんじゃなくてモブ君がしてくれたんだね」
「…っ」
「ありがとう、モブ君」


頭を優しく撫でられて、モブはつい言葉に詰まってしまう。
心地良さに身を任せそうになって此処が往来の場であることを思い出し、「子供扱い、しないでください」と言うと素直に聞き入れられ手が離れた。


「そうだね、ごめん。…ねぇ、この後まだ時間あるかな?」
「え?時間は大丈夫ですよ」
「良かった。お礼にお昼ご馳走したいんだ!何食べたい?」
「食べたい物…ですか…」
「うん。モブ君の好きな物で!車あるし、ちょっと遠出したって平気だよ」
「………」


その場に立ったまま考え込むモブを見て、おなまえは「…ここじゃあなんだし、車で座って考えよっか」とモブの手を引く。
駐車場に辿り着きおなまえの車に乗り込むと、車内では吸わないようにしているのか煙草の臭いはせず替わりにベリー系の香りが漂った。
おなまえはカーナビで周囲の地図を見つめていて、モブが何を食べたいと言うのかを待っている。


「私好き嫌いないから、モブ君と同じの食べたいな」
「……あの…おなまえさん、料理ってしますか?」
「……ん…?」


モブからの質問に、おなまえは目を瞬かせるとカーナビからモブへと視線を移した。


「僕、おなまえさんの手料理が食べたいです」
「…私?あんまり得意じゃないんだけど……何が食べたいの?」
「何が作れますか?」
「………おにぎりとか、サンドイッチとか、目玉焼きとか…あとは牛丼…」
「……」
「だ、だから得意じゃないんだって!」


おなまえのラインナップにモブが真顔になると、「あ」と声を漏らして外を指さす。
その先を追えば駐車場の向かいにあるテナントの窓に貼られたポスターが見えた。


---


「んー…やっぱりモブ君、将来有望だよ」
「そうですか…?」


おなまえは出来上がった冷やし中華を二人並んで食べながら改めて思ったことを口にする。
調理実習で習った所でレシピを見ないで作れるものなどないに等しいおなまえに対して、やはり知識が新しいからなのかモブは記憶だけを頼りに食材を選んで調理をしてとこなしてみせて、「もしかして中学生よりも生活能力が低いのではないか?」と自身に一抹の不安を抱いた。


「でも、おなまえさんが作ってくれた錦糸卵美味しいですよ」
「モブ君…ありがとう…」
「……どうしましたか…?」
「ちょっと…優しさに胸を打たれて……」


これを機に少しは外食だらけの生活を見直して自炊を取り組むべきだな、と誓って麺を啜れば甘酸っぱいタレに中華麺が絡んで、キュウリの歯応えやハムと錦糸卵が手を繋いで味わいを高めてくる。
「久し振りに食べたけど、多分今まで食べた中で一番美味しい」とおなまえが言うと、モブも嬉しそうに笑顔を浮かべた。
少し照れ臭そうに笑うその表情に「私があと10歳…いや、5歳若かったらなぁ…」とおなまえが思うと、途端にモブの顔から活力が減っていく。


「…あれ。どうしたのモブ君?」
「……今、だっていいんじゃないですか。別に」
「え?…あ、あれ?私もしかして、声に出ちゃってた…?」


静かに口元に手をやるが、今更もう遅い。
出てしまった言葉を取り消すなんてことは出来ず、失敗した…!とおなまえの顔に汗が流れる。


「あは。じゃなきゃホラ、えっと、事案?っていうのになっちゃうしさ…?」
「事案…?」
「…事件に繋がる問題になり得るってことだよ。未成年者略取誘拐とか…」
「それって合意でもなるんですか?」


思いがけずモブが食いついてきて、おなまえはビクリとした。
どうしてか今になって「そういえば家に連れ込んできちゃったけどコレはもしやアウトでは…?」と引きつった笑みへと変わっていく。


「ん?お、お互いだけじゃダメだよ。保護者の許可だって必要だし……って、アレ?ち、違うよ?別に私モブ君とどうこうとかは思ってな…」
「おなまえさんて、今…恋人とか、いないんですよね?」
「げほっ!こほっ!…ぐ……モ、モブ君…?」


突然の言葉に噎せると、隣のモブが背中を摩って水の入ったコップを差し出した。
生理的に涙目になりながらそれを受け取ると、ぐいっと飲み干して喉に流し込む。
何故か緊張してきて、やけに口が乾く気がした。


「…いないですよね?」
「………いま……せん、けど…」


おなまえが落ち着いた頃合いを見計らって続きを切り出される。
これ以上は聞いても答えてもいけない。
そんな予感がしているのに、おなまえの口ははぐらかすこともできずに質問に答えてしまった。
背中を摩った時のまま添えられている掌の熱が布越しに伝わる。
心臓がその掌のすぐ下にあるんじゃないかと思うくらい、強く強く脈打つ。


「じゃあ、僕と、付き合ってくれませんか」


耳どころか、首まで赤いモブの眼差しが今まで見たことが無いほど真剣な光を宿しておなまえの瞳を捕らえる。
「将来有望ですよ」と付け足されて、様子を窺われると「付き合うってどこに?」なんてはぐらかせるつもりだった気持ちがグラついた。




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04.02/夢主に追いつきたい背伸びモブorおねショタ



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