▼その前髪にキスをする




人の影響を受けやすいお年頃だろうか、それとも元来持ち合わせていた性質か。
自分はこんなに辛抱弱かったのかとテルは隣に腰掛けているおなまえを見つめる。
じぃっと視線を送っていると、それに気づいたおなまえは「どうしたの?」と飲んでいたペットボトルの蓋を締めた。
それを認めると、テルは徐に顔を寄せてその唇に自らのそれを合わせる。
触れるだけの軽いキスはほんのりと桃の香りを纏っていて、クスリと笑うと面食らった様子のおなまえが数度瞬きをしてから頬を染めた。


「テ…テル、学校だよ…っ」
「フフッ、うん。わかってるよ」


「見てたらつい、ね」と答えれば、おなまえの顔は一層赤みを増して何か言葉を発しようと開かれては結ばれる。
それはきっと自分を責めるもので、けれど彼女の良心がそれを表に出すのを良しとしなかったのだろうなと読み取れば尚緩んでいく頬をテルは隠しもせずにいた。


「人目とか、気にしないの?」
「うーん…そんなに、かな」
「…経験の差…?」
「え?」


注目の的になることなど何てことないようなテルの態度に、おなまえは少しばかりの格差を感じる。
生憎と自分は衆目に晒されることに不慣れなのだから、と「二人きりの時だけにしようよ」と膨れっ面でむくれた。
その様がまた愛らしくて目を細めると、おなまえはハッとして両手で口元を隠す。


「…また今しようとしたでしょ」
「うん」
「今言ったこともう忘れちゃったの?」
「今二人きりだよ」
「待ってテル。周りを見てよ、教室だよ此処」
「そうだね」


二人の周囲には勿論テルたちのように昼休みを教室で過ごしているクラスメイトたちがいて、更には先程の二人の姿を見てしまった人だってその中にいるのだ。
その証拠に若干室内がざわめき立ったのがテルには聞こえなかったのだろうかとおなまえは疑問を抱くが、すぐに答えを導き出して顔を顰める。


「僕がいて、おなまえがいれば、他の人はどうでもいいかな」
「ど…どうでもよくないよ…」


何だって今日のテルはこんなにグイグイくるんだ。
そう言いたい気持ちを堪えて口を引き結べば、またテルはニコニコと笑顔をおなまえに向けて来る。
予鈴がなってようやく教室の空気が変わった。
そのことに安堵すると、おなまえは次の授業の準備を始めてテルにも促す。
「じゃあ、また後でね」と自分の席に戻っていく横顔を見てからおなまえは手元の教科書に視線を落として、気持ちを切り替えようと息を吐いた。


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あれだけ、口を酸っぱくして言ったのに。

おなまえは誰が通り掛かりやしないかと気が気でなく身を固めていた。
校内の階段。その踊り場で、もうこれから帰るだけだというのにまた隙をついてテルがおなまえの顎に手を掛けてその唇を塞ぐ。


「…んっ…、ふ…」


昼のものとは違って、しっかりと唇を合わせて隙間から舌が差し込まれると鼻に掛かったおなまえの声が漏れた。
チロ、と軽く舌先が上顎の襞をなぞっていって、思わず背筋を走る痺れに後ずさるとテルはそれを阻まず、二人の間に銀糸が伝う。
はぁ、と息を整えるとおなまえは「テル」と窘めるように名前を呼んだ。


「まだ学校だってば」
「ごめんごめん」
「ごめんって思ってないでしょ」
「アハハ」
「……」


おなまえがこれ以上不機嫌にならないように、テルは「もう学校ではしないよ。約束する」と小指を差し出す。
それを見ておなまえも躊躇いがちに同じ様に手を差し出し、「約束ね」と念を押した。
指が解ける前に慌てて「道端でもだよ!?」と付け足せば、「うー…ん…」とテルは気が進まなさそうに眉を寄せたが、余りにもおなまえが強く言うので最終的に頷く。


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帰宅中の寄り道。
愛読している漫画の発売日で書店に寄ったり、テレビで耳にしてから気になっていたアーティストの新譜をチェックしたりと帰宅部の下校を満喫していたおなまえ。
しかし隣のテルはひたすらおなまえに熱視線を送ってきていて、興味もないのに付き合わせているという罪悪感と、交わしたばかりの約束を健気に守りつつも「早く帰ろう」と切り出してこないテルへの居た堪れなさを感じ始めた。
繋いだ手から頻りにおなまえの手の甲を撫でるテルの指が物言わぬ意思のようで、おなまえは家の方向へとようやく足を向ける。


「…もう、帰ろっか」
「他に寄る所は?」
「もうないよ。付き合ってくれてありがとう、テル」
「ううん。僕も楽しかったし」
「私ばっか見てたじゃん。…ねぇ、今日何でそんなに…えっと、甘えん坊?なの?」


とうとうおなまえは昼から抱いていた疑問を投げかけることにした。
甘えん坊、と言われてテルは目を丸くすると「そんな風だった?」と首を傾げる。


「お昼くらいから何か…すぐキスしようとするし…」


おなまえがそう言うと、テルは納得が言ったように笑みを浮かべた。


「本当は今朝からなんだけどね。一応我慢してたんだ」
「え?今朝?」
「うん。…おなまえ、ちょっと前髪切ったでしょ」
「切った…けど?」


前髪が話題に上がって、おなまえは指先で前髪を一筋持ってみる。
するとテルも手を伸ばして優しくその髪に触れた。


「よく顔が見えるなあって思ってたらこう、"キスしたいな"って」
「…ならないよ」
「えぇ…僕はなるんだよ」
「私はちょっと顔が見えないくらいの方がそう思う」
「そうかい?どうして?」
「えー…」


どう表現したものか、と言葉に迷いながら「何か、セクシー?じゃない?」と答える。
「ふぅん…」とテルは今度は自分の前髪を摘まんで見せてから、おなまえを窺う。


「じゃあもう少し伸ばした方がいいってことかな」
「今くらいでいいよぉ」
「そう?」
「テル、ちょっとこう…顔傾けてみて?」
「?」


おなまえに言われた通りに角度をつけると、スルリと毛流れが変わっていく。
するとおなまえは嬉しそうに「ココ!この感じなの」と高揚してみせた。


「おなまえ的にいい感じ?」
「うん!中々だよ」
「へぇ……キスしたくなるくらい?」
「えっ…」
「色っぽくない?」


フッとテルが微笑む。
前髪の隙間から僅かに覗ける瞳が誘うように細められて、おなまえの鼓動が早く脈打ち始めた。


「キ…こ、ここ外だよ…」
「うん。僕は約束したから。僕からは出来ないけど、おなまえからならどうかなって」
「外で、することじゃない、ですよ…?」
「あれ?でも今僕たちだけだよ」


帰路を進み続けていたこともあって、住宅地に入ったこの場所は静かで他の人の気配はない。
夕陽を受けて透けるように妖しく輝くテルの髪が風にそよぐ。


「二人きりなら、しても大丈夫じゃないかな」


そう言いながらおなまえの腰の後ろに手を回して逃げ場を塞ぐと、朱に染まった頬が口ごもるように動いて戸惑う視線が絡まった。
しばらくそのまま見合っていると、囁くような声でおなまえが呟く。


「約束、今だけ…なかったことにして…」
「…おなまえ」


羞恥に耐え兼ねて折れた彼女を抱き締めるように引き寄せて、おなまえの横髪を耳に掛けるとテルはそのまま首の後ろを支えて口付ける。
小出しにしても足りない程の愛おしさを込めて深く舌を絡め合えば、吐息が唇の隙間から抜けていった。
歯列を擽り唇を吸うと、おなまえの目はすっかり潤んでその口から溢れた唾液が零れる。
その表情にゾクリと胸が震えると、頬、瞼、最後に前髪にキスを落としてテルは身を引いた。
名残惜しむようにおなまえが僅かに眉を寄せると、宥めるように髪を梳く。


「送り狼になる前に、お家に着かなきゃ」
「…うん」


すっかり上がってしまった体温を冷やす様に深く呼吸をすると、「遠回りしようか」とテルが提案してきた。
理由を問うように見つめれば「言い難いんだけど」と前置かれる。


「とてもじゃないけど、親御さんに見せられないくらい色っぽい顔してるよ。おなまえ」


「誰の所為よ」と顔を隠す様に俯きながら吐き捨てれば、「僕だね」と愉快そうな声が聞こえた。






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04.05/キス魔のテル夢



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