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ここのところ、服を取りに行くくらいしか自室に戻っていない。ずーっと遥の部屋に入り浸り。
あんまり長くいたら、いくら仲がよくても迷惑かもとちらっと考えて帰る素振りを見せると途端に遥は寂しそうな顔をする。
帰るの? と眉を下げて尋ねられると元々ない帰る気は輪郭すら残さず消え去ってしまう。

「そういえば、彼方は二人部屋だよな? 同室の人ってどんな感じ?」

遥は小さいときから大好きなオレンジジュースを飲んでいる。美味しそうな表情を見ていたらそんな話を振られて、自然と顔をしかめてしまった。
同室者にはいい感情がない。初めて顔を合わせたときから、なんというか、こういう表現が適切なのか分からないけれど色目を使われているというか、媚びられているようでどうしても苦手。

当初、自室の鍵を閉めずに居たときなんかは勝手に入ってきて隣で寝ようとしたり、風呂を先に使っているのに気づかなかったといって乱入してこようとしたり。
今はどっちも必ず鍵を書けるようにしているけれど。

あまりにもあからさまで、強引な同室者のせいで俺はずっと部屋に帰るのが憂鬱だった。遥が来て、すごく嬉しいのと同時に無意識のうちに逃げ場所にしてしまっていたのかもしれないということに気が付く。
行き当たった事実にしょんぼりしながら同室者について話すと、ご機嫌だった遥の格好いい顔がみるみる不機嫌そうになっていってますますしょんぼりだ。


「ごめんね、遥……」
「何が?」

うつむき気味に謝る。返ってきた声が普段通りに優しいことに驚いて顔を上げればやはり目には入るのは不機嫌な遥。
表情と声音が合っていない、と混乱した俺の髪を遥は慰めるように撫でてくれた。訳が分からずに目を瞬く。

「こっちおいで、彼方」

コップをテーブルに置いて、ぽんぽんと自分の膝を叩く仕草。隣に座っていた俺は戸惑ってまた遥の顔を見た。
ほら、と笑いかけられたのに安心してぎゅっと遥に抱きつく。身長が同じくらいだから、膝に乗りあげて向かい合うと俺の方が少し見下ろす形になる。

下を向いたことで顔にかかった少し長い髪を掬い上げて耳にかけられた。

「遥、怒った?」
「怒ってないよ。つーか、彼方が謝ることなんにもないから。俺が避難場所になれるなら嬉しいくらい」

ただ、と少し声が低められる。

「俺の可愛い彼方に迫りまくって、自分の部屋でリラックスできないような状態にしたその男はものすごく不快だな」

迫力のある笑み。わー、遥のこんな怖い顔初めて見たー。と頭のどこかで呑気に思う。
後を追う波のように嬉しさが押し寄せてきて、俺は遥の頬にキスをした。そのまま頬刷りすると「彼方?」と俺を呼んで首の後ろらへんを髪の毛と一緒にわしゃわしゃと撫でてくれる。

「はるかー、遥、大好き」
「俺も彼方大好き。でも突然どうしたの」
「遥が俺のことで怒ってくれるの、すごく嬉しい」
「そんなの、当たり前だろ。―そいつに、触られてない?」

心配と苛立ちと独占欲がない交ぜになった目を見た。恍惚っていうのかな、こういう感覚。とにかく、それを見た瞬間背筋が一瞬ぞくっとするほど最高の気分になった。
遥も同じ。俺と同じ。俺は遥に独占欲を持たれてる。

頬に熱が上った。心臓がどきどきして、遥にしがみつく。肩に顔を埋めて少し甘い石鹸の匂いがする首筋に口付ける。

「触られたことなんかないよ。同室者は俺より小柄だし、部屋からも風呂からもすぐに追い出したから」

空気が緩んだのがわかった。遥はよかったと呟いて、俺の首から肩、背中から腰へと確かめるように手を滑らせた。

「彼方、部屋に帰らないでずっとここにいてよ。俺が安心できない」
「遥がいいなら、そうしたいなぁ。」
「そうして」
「うん」

目を見て笑いかけると、遥は同じように笑って鼻先同士をくっつけた後、ちゅっと唇のすぐ横にキスをした。
唇にしたらいいのになあと思ってから俺は自分の考えに驚いて笑ってしまった。不思議そうな遥になんでもないよと答えて、そのすべらかな頬に唇で触れる。

唇にキスなんて、遥はきっと考えもしていない。





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