▼ささいなことからも妄想するのが腐というものよ。

お、ちょっとこれ準備室まで頼む。なんて軽いノリで持たされたのは一クラス分のノートとプリントの束。えっ、と顔を上げたときには教師はよろしくなーと手を振って去っていくところだった。
おいおいおい、俺が帰宅部なのは誰よりも早く部屋に戻ってパソコンを立ち上げ時間が許す限り男たちのあれやそれやに浸る為だというのに、放課後に用事を言いつけるなんて酷いじゃないか。

もちろん、それを口に出して主張することはできない。なぜなら俺は慎ましやかで密やかな腐男子だからである。
誰にも俺が腐っていることをバレる気はないのだ。まあ同志が欲しい気持ちはあるのだけれど。

ふぃーと溜め息をつきながら方向転換をして国語科の準備室に向かう。古典の資料や古い本がわんさかあるそこは、我がクラスの国語担当教員の憩いの場である。職員室よりこちらにいる確率の方が断然高い。
イケメンで飄々としていてポイントは高いのだが、BL小説で見かけるようなホスト系ではない。時々ネクタイが歪んでいたり、ちょっと寝癖ついていたりするのがいい。誰かにお世話されてくれ。

ごく自然に妄想をしながら歩いていたら、角を曲がったときに誰かにぶつかってしまった。鼻をぶつけたし、たたらを踏んだせいでノートの上に載せていたプリントが滑り落ちてしまった。廊下に散らばる白い紙たち。あれまあ。

「うわ。すみません」
「あ、いえいえこちらこそ。ぼんやりしてました」

鼻を押さえたいが両手は塞がっている。少し涙目になりながらすぐに謝ってくれた相手を見て、俺はへらへらした表情のまま一瞬固まった。ピシャーン! と俺の中に雷が落ちる。

見上げた先には涼やかで整った、それはそれは麗しい顔があった。制服を着崩すことなくさらりと纏った体は均整が取れていて、服越しでも分かるほど腰の位置が高い。
うわ、ドストライクの美形!! っていうか俺が今最高に関心を持っている江角晴貴くんその人ではないか!! えっ、なに、江角くんと接触して会話までするとか、俺って今日命日だったりする? それは困る!

「鼻、赤くなってる。大丈夫ですか」
すみません、とまた口にしかけた彼に首をぶんぶんと横に降る。

「むしろ俺の鼻でよかったです!」

叫ぶと、江角くんは真顔のまま首を傾げた。萌え対象というフィルターを抜きにしても、さらっさらな髪がその仕草に合わせて流れる様はもう、拝むべきか? という感じだった。
大丈夫ならいいかと考えたのか、彼はこちらを見るのをやめて、散らばってしまったプリントを拾い上げてくれた。

睫なっげえぇー! と観察してしまうのはもはや腐った者の性ではないだろうか。俺は綺麗な青年が心底好きだ。腐的な意味と美的な意味でだ。
性的な意味では見ていないから安心して欲しい。安心して俺の前で無防備な姿を見せてほしい。

「あっ、と! すみません、ありがとうございます!」

舞い上がりすぎて不審者のようだ。慌ててノートを隅に置いて自分でも拾い始める。江角くんは当然のように手伝ってくれて俺はたいそうあわあわした。江角くんいい子だな!? もっと冷たい感じだと思ってた!

「どうぞ、これで全部すね」
「だと思います! 助かりました、ありがとうございます!」
「や、俺も悪いんで」

ふ、と視線が逸らされる。ツンデレ的な仕草かと思ったけれど、俺から逸れた視線は横でも下でもなく、俺の後ろに向けられていた。そしてそのクールそうな顔がふいに綻ぶ。
ふわっと、まさしくそういう表現が出来るような優しくて温かいもので満ちた微笑みに俺が再び内心の雷に見舞われている間に江角くんは口を開いた。

「キヨ先輩」

全然違った。何がというと、俺に向けた声と、どうやら俺の後ろからやってきたらしい人を呼んだ声が。
ただ言葉を音にしているだけのものではなく、その表情と同じくらいに好意的な感情で色付いていた。

「珍しいところで会ったな、ハル」

俺は素晴らしく優し気に聞こえた江角くんの呼びかけに茫然としていたが、背後からの返事にはっとして振り返った。
ボイスドラマその他で鍛えられた、声を判別する力が反応したのである。分かりやすく言えば、委員長の声だ! と思ったのだ。

弾かれたように振り返った俺に少し驚いた顔をした人は、やはり紛れもなく風紀委員長だった。俺の頭の中にエクスクラメーションマークと疑問符が吹き荒れる。
待って?? 少し待とう??「キヨ先輩」、「ハル」って言った? なにそれ、語尾に恐らくハートマークがついていますよね?
そんな呼び合い方をするような仲だったのですか?! 食事を一緒にとる以上に深い仲だと言うのですか!?

ついでに、さっきの江角くんの表情の変化も俺の心を直撃している。江角くんが大事にしているのは岩見くんだけだと思ってたのに、委員長もそこに含まれるらしい。

いつの間に。いつの間に……! そうなっていく過程を一つ残らず見ていたかった。かえすがえすも惜しまれる。

「友達?」
「いえ。ちょっとぶつかってしまって。」
「そっか。気を付けな」

慌てて委員長に会釈をすると江角くんに向けた笑顔を残したまま返礼される。うおお、めちゃくちゃ格好いい。イケメンとイケメンに挟まれて嬉しいような恐れ多いような、あれ、俺ってやっぱ死ぬのかな? みたいな。

内心で合掌をしていると、江角くんが俺を見てどことなく不思議そうな顔をした。
アッ、なんでこいつずっとここにいるんだろうって思われている!? 残念ながらこれ以上粘るのは無理そうだ。
出来ることならこの最高のポジショニングのまま二人が会話をするのを堪能していたかったが、俺は潔く去ることにした。

「ええと、じゃあ俺は行きます。本当にありがとう、江角くん」
「あ、はい。気を付けて。すみませんでした」
「ありがとうございます!」

つい口をついた感謝の言葉は、江角くんに気を付けてって言われちゃったキャー! といった意味のものだったのだけれど、さほど不自然な返事にはならなかった。多分。よかった。

ぺこぺこと二人に頭を下げてここに留まりたがる本能に忠実な両足を叱咤して歩き出す。

「ハル、今日部屋来る?」
「行きたいです」

うおおぉあああお!!?

階段を降りる直前に微かにきこえた会話はブラックホールのごとき吸引力で俺を二人の元に引き戻そうとした。

よっぽどどこかに隠れて盗み聞きしようかと思ったが、俺の中に住まうBL過激派が「邪魔者は滅」と囁いたのでやめておいた。俺は誇りある腐男子なのである。
にしても、特別っぽい呼び方だけでなく当然のように部屋に行く関係だったとは。それって、それって、もう付き合ってるじゃん! 付き合っていると言っても過言ではないじゃん!


「このあふれでる気持ちをどこにぶつけたらいいの……」

俺はアンニュイな気分で呟きながら資料室へと向かった。部屋に帰ると先に帰っていた同室者に「顔真っ赤だけど風邪? 近寄らないで」と辛辣なお言葉を頂いたがそれにも微笑みを返せるくらい幸せに満ちた気分だった。





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