My heart in your hand. | ナノ


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最後の一口を嚥下し空になった弁当箱の蓋を閉めてから、両手を合わせてご馳走さまでした、と呟く。

「お粗末様。エスはいつもちゃんと食前食後の挨拶が出来てとってもいい子だね」
「普通だろ」
「普通のことを普通に出来るのはいいことだよ」
岩見が緩やかに笑む。そういうものだろうか。分からないながらに頷いた。


特別棟へは、教室棟二階から伸びる渡り廊下を通って行く。採光を良くするためにか景色を楽しむためにか、その意図するところは分からないが、この一本道の両側の壁は上から下までガラスが嵌め込まれている。右を見れば体育の時やサッカー部などの部活で使用するグラウンド、左を見れば正門へと伸びる長い道。

渡り廊下を戻りながら芝生の均一な緑をぼんやりと眺めていた俺のシャツを、隣の岩見が軽く引いた。

「ん?」
顔を向けると、無言のまま、顎で前方を見ろと示される。そこで初めて俺は向かいから歩いてくる人達に気が付いた。
岸田の髪より更に鮮やかな赤い頭が一人、傷みきっていそうな金髪が一人。もう一人の小柄な人はコスプレなんかで使うウィッグのような派手なピンク色の頭をしている。

ただの通行人ならわざわざ岩見が俺に注意を促す理由がないが、彼らはどうやら俺達に用があるらしかった。こちらを凝視しながら真っ直ぐに歩いてくるので一目瞭然だ。
なんだかこんなことが前にもあったな、と既視感を抱きながら立ち止まる。

「お前、一年の江角だろ?」
「そうだけど」
目の前で言葉を発したのは赤髪だった。肯定しながら、なぜ名前を知られているのだろうと考える。話したことあったっけ。

「なんだよもう、近くで見たら更にイケメンじゃねえか」
「本当にこいつなん?」
「そうだって、間違いない」
質問をしておいて目の前で潜めた声で相談を繰り広げるのはどういう了見だろうか。この距離じゃ小声にしたとしても十分に聞こえるのだが。状況が掴めていないのは俺だけかと隣を見る。岩見は興味深そうに三人を見ていて、こちらに気付くと無言で首を振ってみせた。

「あの―」
「お前、元ヤンかなんかか!」
何の用ですか、と声をかけようとしたら、それを遮った金髪がびしっとこちらに人差し指を突き付けてきた。
沈黙が落ちる。一瞬のあと、隣から息を呑むような吹き出すのを抑え込んだような音がした。
横目で見ると、思った通り岩見が肩を小刻みに揺らしながら口元に袖を当てて笑いをこらえている。言葉を失っていた俺は、その様子で少し気を取り直した。だが結局は言われたことが言われたことなのでしかめ面を作るしかなかった。

「は?」
「お前、四月くらいに喧嘩したことあっただろ」
ピンク色の髪をした人が、淡々とした口調で言う。背が低く子犬のようにくりくりとした目のアイドルにでもいそうな顔をしているが、声は低くやや掠れていて格好良い。

「したっすね。で?」
「俺らは2Gだ!」
金髪が脈絡もなく誇らしげに胸を張ると、岩見の笑いが一層激しくなった。
もう全く堪えきれていないから普通に笑えよ。というかピンクの人に聞いたのにどうして金髪が返事をするのか。答えにもなっていないが。



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