My heart in your hand. | ナノ


▼ 18

さほど中身のない会話ではあったが、とりあえず岩見が俺について形容した「ツンツン顔」と「潔癖っぽい雰囲気」というのが他者から見た俺なのかもなと思った。……あまりいい印象ではなさそうだ。

「というわけでエスくん、大浴場にでも行こうか」
「何がというわけで? ……てか、大浴場? なにそれ」

ぽんと自身の膝を叩いて提案される。俺は聞き慣れない単語を繰り返した。ぱっと頭をよぎったのは銭湯の大風呂。立ち上がった岩見を目で追う。笑顔で差し出される左手。

「ふふふ、やっぱりな! 知らないだろうと思ってた」
「うん?」
「俺も行ったことはないんだけどね」
岩見によれば二階にある洗濯室より更に奥に、大浴場と呼ばれる施設があるらしい。狭いとはいえ各部屋に浴室が完備されているというのにそんなものまであるなんて、本当にこの学園の施設面での手の込み様はすごい。それを喧伝するだけで充分に志望者を募れるだろうに、外部試験の門は狭いなんて勿体無いと思う。

「大きくて綺麗なお風呂入りたくない?」
「入りたい」
勧誘でもするかのように言い連ねる岩見の、こちらに差しのべたままだった手を掴んだ。


▽▽▽

少し重い引き戸を開ける。広い空間に跳ね返って、実際より大きく反響した音を聞きながら潜り抜けた戸の内側は、風呂場特有の熱と湿気に満ちていた。

「おお! 広っ」
ぱたぱたと後ろから走ってきた岩見が肩越しに中を覗き、弾んだ声をあげる。大浴場という名称を持つだけあって確かにそこは広かった。しかも人がほとんどいない。洗い場に一人と最奥の一番大きな風呂に二人。それだけだ。
何気なく顔をこちらに向けた彼らはとても驚いた顔をしたように思えたが、すぐに顔ごと視線を逸らされたのではっきりとは分からなかった。

「うわーテンション上がる」
「人少ねえのいいな。いつもこんな感じなんかな」
言い交わしながら、湯船に入る前に体を洗う。
「なんか大抵は、運動部の人たちが部活後に利用してるらしいよ? 空いてるのはまだ部活がある時間だからじゃないかな」
「あーなるほど。でも運動部以外にももっと利用者いてもよさそうなのにな。まあ部屋にあったらわざわざ来ないか」
泡を流し終えてから、濃い黄色のような茶色のような色合いの湯に浸かる。適温だ。思わず目を細めて溜息をこぼすと隣に並んだ岩見が声を出さずに笑った。
それから考える素振りをしつつ前髪を後ろに流す。髪を上げると柔らかい顔立ちは少し幼く見える。

「ほら、あれじゃね、なんか可愛い感じの子たちとかは危ないんじゃない? 明らかにタチな人たちと入るのは」
「たち?」
「突っ込む側」
「ああ。そういうふうに言うんだ」
会話が聞こえていたのか岩見のあけすけな物言いにごふっと少し離れたところにいた男が噴出した。ついそちらに視線を向けてから、また岩見に戻す。
可愛い系は危ないのか。まあ―強姦なんて普通に生きていたらニュースぐらいでしか見聞きする機会のないようなものが行われ得るところだから。
あの未遂事件の被害者の生徒を思い出した。確かに、小柄で男臭さはなかったように思う。女に飢えていて、誰でもいいから性欲を発散したいという人間には、そういう中性的な容姿がうけるということだろうか。クソみたいな話だ。嫌な気分になって、顔を歪める。

「気分悪いから別の話しろよ」
「俺様かよ」
「俺様?」
どこらへんが? と眉を寄せて繰り返せば岩見は笑って「なんでもないよ」と片手をひらひらと揺らした。

「えーっと別の話ね、別の話。あっ、そうそう。なんか、学校で風邪流行ってるみたいだわ」
「へえ」
「エスも誰かからもらっちゃったのかもねえ。俺、マスクでもしようかな?」
「この時期にマスクは暑いだろ」
「あー確かにー」

俺でも蒸し暑いと感じるようになってきたし。制服も衣替えの前の移行期間に入っている。俺は少しでも調整しやすいように長袖しか着ないからあまり関係はないが。

頬を伝った水滴をぬぐって体から力を抜く。寄りかかった浴槽の縁は少し冷たかった。


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