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喉仏の下に指をあてる。今朝から喉の調子がおかしい。
季節は湿気を帯びた梅雨へと移り、たまの晴れ間にも空気は雨の匂いを纏っている。山の中だからか、外に出ると木と草と土の匂いが強く香って、ここの梅雨はなかなかいいなと思う。岩見は髪がうねると嫌がるけれど。
教室の温度はクーラーによって適温で保たれているので、不快な蒸し暑さを感じることもあまりなかった。ただ俺は人工的な空気調節が苦手なので、喉が痛いのはそのせいかもしれない。
青鈍色の空から水滴が細い糸のように落ちてくる。まだ夕方にもならない時間帯だというのに、曇り空のせいで開け放たれた廊下の窓の外は薄暗かった。湿った風に乗って鼻孔に届くのは、やはり濃い土の匂いだ。
なんとなく見下ろした中庭では、赤茶のレンガに囲まれた花壇に紫陽花が咲いている。赤紫と青。花が咲くまであれが紫陽花の葉だと分からなかった。
たらたらともう人の少なくなった静かな廊下を歩く。いつもは全く気にならない靴とリノリウムの床がこすれる音が大きく響いて聞こえる。
何も飲み込まなくても違和感を発する喉が常に意識にあって、不愉快だ。体も重いような気がしてきていた。クーラーのせいではなく風邪をひいてしまったのだろうか。
溜息が漏れる。今日はもう、温かくして寝よう。
部屋に着いてすぐに風呂に入り、雑に髪を乾かしながら、岩見にもう寝るから食事はいらないという連絡をする。北川は食堂にでも行っているのか顔を合わせていない。
時計を見れば床に就くにはあまりにも早い時間だった。しかし体に重りをつけられたかのような怠さはどんどん増していくばかりだ。時間は気にしないことにする。
寒気を感じるような気がしたので、そろそろ片付けようと思っていた毛布にくるまって掛布団に潜り込む。ベッドの隅に追いやられていた抱き枕を抱え込んで頬を埋めると、ほっとして体が弛緩する。
そうすると眠くはなかったはずなのにどろりと眼球の辺りを眠気が撫でた。
ああ、やはり体調が悪いのだと他人事のように思う。明日には治っているといいけれど。
結論から言うと治ってはいなかった。眠って回復するような単純なものではなかったということを俺はスマホの着信音で目覚めるとともに知った。
ものすごい倦怠感が全身を襲っている。頭痛と喉の痛みと腹部で渦巻くような気持ち悪さ。
最悪だ、と顔をしかめる。
「……はい―」
『エス? よかった、寝るって言うから連絡しなかったんだけど、昨日―ん? なんか声やばくね! どうした?』
「風邪ひいた、っぽい……」
タップして耳に当てるだけの作業を重労働のように感じながらなんとか電話に出る。吐き出した声は寝起きということも相俟ってとてもざらついていた。
ぎょっとした後に心配げにする岩見の様子が機械越しに伝わってくる。
俺はつばを飲み込んでから―昨日より喉の痛みが増していてまた顔をしかめるはめになった―、至極簡潔に現状を説明した。
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