My heart in your hand. | ナノ


▼ 5

どれくらい時間が経過しただろうか。さっきから目が滑って、同じ文字列ばかりを何度も辿っている。さらには瞼が重く、勝手に閉じていってしまう。

「―ハル? 眠い?」
「ん……」
うとうとしてしまっている俺に気付いたらしい先輩に声をかけられる。
返事をして、お礼を言って、部屋に戻らなくてはいけない。頭の隅のまだ起きている部分でそう考えるが、眠気は強烈で抗いがたい。

意味をなさない声を漏らして目をこすると、いつの間に傍に来ていたのか腕を緩くつかんで止められた。擦らない擦らない、と子供に言うような調子の言葉が降ってくる。

「部屋戻るか? ここで寝てもいいけど」
「もどり、ます」
「じゃあ一度起きようなー」
そう促しながら先輩はぽんぽんと頭を叩き、優しく髪を梳いてくる。その感覚が気持ちよくてますます眠くなってしまう。
やめてもらうべきなのだが、つい大人しく撫でられていると先輩が笑ったのが気配で分かった。楽しそうだな、とぼんやりしたまま思う。

「ハル、寝てもいいぞ」
毛布でそっと包むような柔らかくてあたたかい声。その心地よさを振り切れるほど俺の頭ははっきりしてはいなかった。
許しを得られたことに安堵して、急速に意識は薄れていく。
「おやすみ」と最後に聞いた声も優しかった。



ぱっと目を開く。まるでもともと覚醒していたかのように眠気の残滓すら見当たらない、ものすごくすっきりとした目覚めだった。
一度瞬きをしてから自分を包む匂いに違和感を抱く。あまり馴染みのない、けれど嗅いだことのある甘いようなすっきりしているような、いい匂いがする。首を捻りながら俺は体を起こした。

白い清潔なシーツの敷かれたベッドと、本だらけの部屋。
「え」
視界に広がる光景に勝手に一音が唇からこぼれ出た。俺の部屋じゃない。
本だらけなのは一緒だけれど。違う部屋だ。どこだ、と混乱する頭で考えたところで、昨日のことを思い出した。布団を跳ね除けて飛び起きる。

スウェットのポケットを探りながら視線を彷徨わせてスマートフォンが枕元に置かれているのを見つけた。画面に映る時刻は六時。いつもの起床時間にも、もちろん登校にも早い時間だ。
焦って寝室のドアを開ければリビングにあるソファーがすぐに目に入って、俺はその場で頭を抱えたくなった。

そこにはこの部屋の主が眠っていたうえに、俺が立てた物音のせいでたった今、目も覚まさせてしまったようだった。
有り得ないだろう、なにをやらかしているんだ俺は。ベッドを奪ったうえにソファーで寝かせるなんて!

「……あれ、ハル、起きたのか」
両手で顔を覆い、俯きながら自己嫌悪に打ちのめされていた俺は、身動きした彼の声に慌てて顔をあげた。その勢いのまま、今度は頭をばっと下げる。

「すみません」
「え、―ん?」
「図々しく泊り込んだうえにベッドまで奪ってしまって―」
床に視線を向けたまま言うと、先輩は慌てた様子でこちらに来て俺の肩に手をかけた。ぐいっと体を起こされる。

「待て待て。落ち着け、ハル。そんなふうに思ってないし、ベッドは奪われたんじゃなく俺が運んだんだよ」


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