My heart in your hand. | ナノ


▼ 桐一葉

*時系列は夏休み後、文化祭前くらい。


涼しい風に心地よさそうに目を細めるハルを見ていると、寝そべって寛いでいる動物が思い浮かんで和む。なんとなく、イメージは猫科の大型動物だ。黒豹とか。綺麗で格好いいから。

「秋はいい匂いがしますよね」
見惚れていたと言っても語弊がないほど見つめていた俺の視線に気を悪くした様子もなくハルは普段よりゆっくりした口調で言った。
気付いていればハルは落ち着かない素振りをするから、見られていることに気がついていないんだと思う。

「匂い?」
問い返した声は、平然としていた。内心の、友愛の枠を飛び越えた好意や悟られたくない欲が簡単には滲み出ない性質で良かったと思う。
おかしな態度をとってハルに怪訝な顔をされるなんて考えただけで恐ろしい。

「甘いような、匂いがしません? 花とか、菓子とかとも違って、もっとふんわりした感じの」
首を傾げながら言葉を探している。明確な形を持たないことを伝えるとき、ハルはいつもそんなふうに話す。ややもどかしげに、それでも俺に伝えようと一生懸命になっているのが分かるから、嬉しくなってしまう。

「言われてみると、そうかも」
話を合わせたというわけではなく、本当にそんな気がした。意識して嗅いだ空気はほんのりと甘い、ような。

「サツマイモっぽい?」
「ああ、そんな感じかも。さすがです、キヨ先輩。例えが上手」
ぱちぱちと拍手されて笑う。俺の感覚はハルのそれとずれていなかったみたいで良かった。

「ずっと秋ならいいのに。寒くなくて暑くなくて、いい匂いがして空が綺麗」
ベンチに手をついて、ハルは空を仰いだ。反らされた喉の輪郭が綺麗だ。

「ずっと秋も魅力的だけど、そうなったら残りの季節は味わえなくなるな」
「……それは惜しいですよね。冬も寒いのは嫌だけど、見るぶんには雪景色もいいものですし」

相槌を打ちながら、適度に張り出した喉仏を見ていたら少し下の辺りに小さな傷があることに気が付いた。細いけれど見ればはっきり分かる傷跡だ。

「ハル、首の……なんの傷跡?」
「首? ――全然記憶にないです」
ぱっとこちらを見て喉元をさする。傷などあったか、とでも言いたげな表情だ。

「首なんて急所だろ? そんなところに怪我したのに覚えてないのか」
無頓着さをからかうように言う。手にも、よく見ればその綺麗な顔にも傷があることは知っている。あまりちゃんと手当てをしていなかったのだと思う。ハルらしい。

「かすっただけだと思いますよ。さすがに俺だってすげー出血したやつとかは覚えてますって」
ハルはにっと笑うと、ちょっと鋭い犬歯が覗く。そうするといつもの大人びた雰囲気が消えてやんちゃそうに見えるのだ。可愛くて顔が緩む。

「適当だなあ」
「傷痕残っても困りませんから。キヨ先輩は、当たり前だけど全然傷がないですね。きれい」

長い指に、手の甲をするっと撫でられる。ハルからの接触は珍しい。スキンシップを好む質ではないのは見ていれば分かるから、そんな子が俺に自ら触れてくれていると思うだけで表情筋が緩みそうになる。
すぐに離れた指を追いかけそうになった手を握り込む。気を抜くと過剰に触ってしまいそうになる。隠さず言えば、本人いわく身体中にあるはずの傷痕一つ一つにキスがしたい。出来ることなら何もかも、余すところなく江角晴貴という人間を形作るものすべてに触れたい。触って、確かめたい。

ハルへの好意がきれいなものばかりではなくなったのがいつ頃からだったのか、自分でもはっきりとは分かっていない。けれど、自分自身の知らなかった面が次々に出てきて、落ち込んだり引いたりしても、好意が大きくなるほどに苦しいと思うことが多くなってきても、好きにならなければよかったとは思わない、ということは断言できる。


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