My heart in your hand. | ナノ


▼ 23

久我さんは少しの間黙り込んだと思ったら、
「えー……。待って晴貴、お前ってそんな可愛い子だったの?」と唇に手を当てて感心したような感激したような顔で言った。

「は?」
今の会話からどうしてそんな言葉が出てくるのだ。ぽかんとして首を傾げる。
久我さんは時々可愛いと口にするが、自分が言われると凄まじい違和感がある。彼の"可愛い"は、女があらゆるものに対して可愛いと言うのと同じ感覚だろうと思っていても尚無視できないくらい訳が分からなかった。

「汚れてない感じはあると思ってたけど、予想以上だわ。水晶玉かよ――やば……」
「いや、まじで何言ってるかわかんないっす」
あまりに意味が分からないことを言うから少し焦った。この人大丈夫だろうか、という俺の視線を受けて、彼はようやく普段通りに戻った様子で笑い声を上げる。
説明をする気はなさそうだ。俺もあまり聞きたいとは思わないのでそれでいい。
久我さんは仕切り直すように「ええと」と声を上げて天井を仰いだ。

「俺、恋愛感情かどうかとか、難しく考えたことねえなぁ。大抵欲求と相談してって感じ?」
「欲求」
「うん。そういう感情って欲と繋がってるもんだと思うんだよね。キスしたいとかヤりたいとか触りたいなーとかさ。だから告られて、この子ならいけると思ったらいいよって言うかな」
「―確かに友情なら、そんなことは思わないでしょうね」
「だろ? ―つーかお前、明志のことは好きだよな?」
やにわに話題が変わった気がして、困惑しながら頷く。

「まあ、そうですね」
「でも恋愛感情はないって言うだろ」
「はい」
「そこなんだよなー。なぁんで明志にはないって断言できんのに委員長相手だと分かんなくなんの?」
話題は、どうやら変わっていなかったらしい。俺は、はたと瞬いだ。

「……そういえば、何でだろう」
「お前は明志が好きで委員長も好き。でも委員長への気持ちが分かんないのはさ、やっぱりそれが晴貴にとって未知のものだからじゃねえの?」
そうなのだろうか。髪の先から落ちた水滴が波紋を生む。俺はしばし黙した。

「好きってなんだって哲学みたいな難しいこと考えるより、委員長だけに思うことがないか考えてみたら? それがたくさんあるなら、とりあえずはまあ、明志と委員長への好意は別物ってことは、はっきりするだろ?」
常のやや冗談めかした雰囲気を消した久我さんが、穏やかに諭す。その目は優しげで、陽慈が俺に向けるのに似ていた。

「……俺、今初めて久我さんのこと先輩っぽいって思いました」
「おーい。先輩っぽいじゃなくて先輩な! 俺、けっこうお前のこと可愛がってると思うんだけどー?」
伝わってねぇなあと大袈裟な反応をする。
優しい人だな、と思って自然に笑みがこぼれた。

「冗談ですよ。ちゃんと、普段から思ってます」
「ほんとかよー」
「ほんとっす。……俺、そろそろ上がりますね」
話をしていたら、そこそこ時間が経ってしまっていた。これ以上入っていると逆上せそうだ。

「おう。顔赤いし、ちゃんと水分とっとけ」
「はい」
「結論出たら教えてよ」
「気が向いたら」
答えて引き戸に向かう。それでいいよと背中にかかった声の調子が存外真面目だったから、何気なく振り返った。
興味有りげだったのでもっと食い下がるかと思っていたのだ。

彼は緩く笑みを向けてくるだけだった。なるほど、彼が慕われるのもよく分かるな、と思う。面白そうにしていても茶化すようなことは言われなかったし、好奇心で踏み込んでくることもない。

「―ありがとう、安里くん」

言って、すぐに引き戸を開けて浴場から出たからはっきりとは聞き取れなかったが、彼は目を見開いて「ここでデレるの!?」と叫んでいたようだった。


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