My heart in your hand. | ナノ


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「なあ、本屋行きたい」
「お、いいよー。俺も、買いたいものあるからちょうど良かった!」
「ん。行こう」

自分の荷物を持ち、ついでに岩見が傍らに置いていた袋も持つ。時計を仰ぎ見れば、針は三時を少し過ぎた時刻を指している。
午前中から出掛けているからか、今日は時間の進みがゆったりとして感じる。

「あの一番大きいところ?」
「うん」
「じゃ、こっちだ」
「あれ、そうだっけ」
そうだよ、と答えた岩見に軽く袖を引っ張られて示された方に向かう。正直あまり建物の位置を覚えていなかったので、素直についていく。

「じゃ、一旦解散ねー」
「おう」
書店に入ってすぐに岩見と別れ、目に入った新刊のコーナーにふらりと足を向けた。装丁に惹かれた本を手に取ってぱらぱらとめくってみる。
新しい本は紙が白くてすべらかで、硬いところが好きだ。だがもっと好きなのは古い本の匂いと日に焼けた色合いとくったり柔らかい質感だったりする。

真新しい本を元の場所に戻してから整然と並ぶ背表紙をつくづくと眺めて、いつものように好みのタイトルを探したり、内容を予想してみたりしながらどれを買おうか考える。
読む本を吟味する時間は、読んでいるときと同じくらい楽しい。心が躍るというのは、おそらくこんな感覚だ。


「あー、これ続き出たんだ」
期待の新人と丸い字のポップカードを貼られた本に興味を惹かれて手に取ったところで、すぐ近くに男女が立った。聞く気がなくとも会話が耳に入る距離だ。

「好きなやつ?」
「まあね。でも個性的な感じの話だから、一般受けはしないだろうなあ。俺は好きなんだけど」
「ふうん。私も読んでみようかなぁ」
「お前には、ちょっと難しいかも」
「あっ。ちょっとぉ、馬鹿にしてるでしょー?」
揃って声のボリュームが大きい。反射的に顔をしかめて、ちらりとそちらに視線をやる。

女が手も腕も絡ませ、男の体に縋り付くようにくっついてべたべたと至近距離でじゃれ合っている光景が目に飛び込んできて、すぐに粟立つような嫌悪を覚えた。
見なければよかったと後悔しながら、その場を離れようとしたところで「なでなでしてくれたら許してあげる」「はいはい」という会話まではっきりと聞き取ってしまって呻きたくなった。

お互いしか見えていないのは勝手だが、公共の場では心底やめてほしい。彼らの周りの空気はべっとりと重く湿って皮膚に纏わりつくように感じた。気持ちが悪い。
あの二人は互いにあんなものを向けられることが嬉しいのだろうか。恋をしたがる人たちは、少なからずあれを求めているのか。だとしたら、おぞましいとすら思ってしまった俺の方がおかしいのかもしれない。自分があんな風になる可能性を考えただけで鳥肌が立った。

腕をさすりながら闇雲に歩いていくと、ちょうどこちらに向かってくる岩見と鉢合わせた。不思議そうにその目が丸くなる。

「どしたの、そんな険しい顔して」
「―嫌なもの見た。気持ち悪くなった」
「え、大丈夫か。なに?」
「めちゃくちゃべったりした男と女」
岩見はその言葉を聞くとすぐに少し心配げだった顔を苦笑に変えた。同情するように何度か頷く。
「あー、うへえってなるよな〜」
渋い顔をすると、「どんまい!」と明るく声を掛けられた。

「もう、買うもの見つかったの」
「おう。エスは?」
「まだ」
「そか。ゆっくりでいいよ?」
本屋はゆっくり見て回るのが好きだろ、と言われる。その通りだが、なんとなくさっきの光景で萎えてしまったというか、早く出てしまいたいというか。

「今日はもういい」
「そっか」
首を振ると、説明しなくても察したのかばしばしと肩を叩かれた。




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