My heart in your hand. | ナノ


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翌週から、本格的に文化祭準備が始まった。部活で文化祭の出し物などがある生徒以外は、放課後も全員参加だ。委員長と文化祭実行委員の生徒の熱意がすごいのもあるが、行事が好きなクラスなので文句を言う者もいない。別に帰ってすることがあるわけでもないから、俺も大人しく参加している。

「江角、江角」
「なに」
何人かのクラスメイトと一緒に、教室の前に飾るという看板の製作をしていたら、背中に声をかけられた。
床に直にあぐらをかいたまま後ろを振り向くと、千山がこちらを見下ろしている。

薄い水色のエプロンをしたままだ。千山は調理班に組み込まれて、今日は家庭科室で最初の試作をすると言っていたはずだ。
「試食のお誘いに参りました」
そんな格好でなぜここにいるのかという疑問が顔に出ていたのか、千山はささっと俺の隣に屈み込んでそう言った。

「なんで俺?」
千山の足元に落ちていた模造紙の切れ端を拾い上げて、傍らのゴミ袋に投げ入れながら聞く。試食なら調理班のメンバーで事足りるだろうに。わざわざ俺を誘いに来るのはどんな理由なのか。

「江角が構われまくってぐったりしてたって、金井が言ってたからさ」
今はそんな様子じゃないね? と優しい顔を一層優しく見せるような笑みを作る。千山は保育士のような雰囲気があって、そういう笑い方がとても似合う。
俺は千山から視線を外して、腕まくりしていたジャージの袖を引き下ろした。制服姿だと汚れてしまうから皆体育のジャージに着替えているのだ。

「構われまくってたってわけではないけど。普段とは勝手が違うから」
準備が始まってから、これまで直接会話したことがなかったクラスメイトたちとも言葉を交わす機会が増えた。
やることが多いなかで出来るだけ円滑にタスクをこなしていくためには報告と連絡と相談が欠かせないので当然のことではあるのだが、普段人とさほど話をしないというか、決まった人と少し喋るくらいしかしないせいで、気疲れするのは否めない。入学時に比べれば話すことが増えたと思っていたが、まだまだ序の口だったようだ。
やる気に満ちたクラスの空気に水を差したくなくて、出来る限り真面目に取り組もうとしているのも原因の一つだと思う。

やや歯切れの悪い返答に、千山は言いたいことは分かっているというように頷いて俺の肩を軽く叩いた。

「甘いもの食べたらちょっと元気出るかもしれないでしょ? 調理班以外の誰かに試食してもらおっかって話にもなってたから、ちょうどいいやーと思って、呼びに来ました」
「―そういうことなら、行かせてもらう。ありがとな」
「どういたしまして」
なんで、と聞いてみて良かった。そんな気遣いをされているなんて、教えてもらわなければ分からなかっただろうし。
素直に礼を言うと、千山は「行こう」と屈む姿勢を止めて立ち上がった。

▽▽▽

家庭科室のドアを開けると、甘い匂いがふわりと漂ってきた。今日はDクラスの貸し切りらしい。広い室内の隅の方の調理台に調理担当のクラスメイトたちが集まっている。人数はさほど多くないので、その様子からはこじんまりとした印象を受けたが、調理台の上はそれとは程遠い派手な様相だった。材料や調理器具が所狭しと並んでいる、というか散らばっている。

「あ、来た来た」
「江角くん、こっちに座って! 今、盛り付けるから」
「全種食ってもらうからなー、頼んだぞ!」
彼らはメニュー候補になっているものをいろいろと作っていたらしい。全種、という言葉に若干引いた俺の背を「はいはいどうぞー」と声音ばかりは柔らかく千山が押して、指定された椅子に座らされた。

うちのクラスがやるのは和風カフェだ。甘味処と何が違うか俺には分からないが、そういうことになった。メニューの候補にあがったのは、あんみつやぜんざい、みたらし団子に抹茶パフェなど。試作してみてからどれにするか選ぶという話だ。
盛り付けて並べられた完成品は普通に店に出しているもののようにきれいに見えた。主導したのは家庭科部の生徒らしい。

「一人で食う量じゃねえ、ていうか試食の量じゃねえな」
「あはは、ほんとだね。それぞれちゃんと一人前あるからなぁ」
「お前らは試食したのか」
「作りながらそれぞれの味は見たよ」
「完成品はまだなら」
一緒に、と備品のデザートスプーンを人数分、ざらりと取って差し出す。試食班の面々はきょとんとして顔を見合わせた。
「いいの? 一個のものみんなでつつくみたいになっちゃうけど」
「それの何が問題なんだ? 千山は潔癖なのか」
「ううん、俺は平気。江角がそうなのかなって」
「全然」
俺がそういうふうに見えるというのは前に岩見にも言われたことだから、どうしてそう思ったのかとは聞かずにただ首を振った。千山はそうみたいだねと頷いて俺の手からスプーンを一つ抜き取る。それから千山に促されて、他の面々も戸惑い気味ではあったがスプーンを持った。


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