My heart in your hand. | ナノ


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涼しい風が通り抜けていく。瞼を上げると、四阿の屋根の縁と青い空がちょうど半分ずつ視界を埋めた。夏ほど真っ青ではないが雲がほとんどなくて澄んでいる空だ。初秋の空は、何故か高く見える。

明るさが染みてまた瞑目する。青い色の残像が一瞬だけ留まって消えた。

今日は寒くも暑くもない晴れた日だった。最高の天候だ。おかげで外にいるだけで気分が上がる。
中庭の少しだけ奥に設けられたこの白い四阿は、夏休み以降気に入っている場所だ。放課後のこのくらいの時間になると陽光がちょうど長椅子のあたりに差し込んで暖かいのだ。
寝転んでいた体を起こし、ぐっと腕を天井に伸ばす。背中の骨が音を立てる。
猫足のテーブルには読み終えた本が一冊載っていた。することもないが、まだ日の入りまでは間がある。帰る気はあまり起こらなかった。

脚を投げ出してベンチの背に凭れたまま、四阿のすぐそばに咲いているコスモスをぼんやりと眺める。
秋の桜なんて風情があっていい名前だと思うけれど、あれはもっと早い時期から咲いていた気がするし息が長い。桜よりずいぶん長命だ。
紅に近い濃い赤が二輪、後は全て桃色に紫を混ぜ合わせたような色合いのものだ。

また風が吹いて、髪が目にかかった。適当にかきあげながら、もっと短くしてしまおうかと考える。髪型をどうするか考えるのが面倒だしこだわりもないから、いつもカットする側に任せきっているのだけれど。

あちこち飛んでいく取り留めのない思考は、あくびをして薄く滲んだ涙を拭ったときにはもう霧散していた。
砂利を踏む足音がすると思ったら、「あれ」と声が聞こえた。やや遠いそれに何気なく首を巡らせてそちらの方を向くと、少し紅葉し始めている樹の傍に、見覚えのある人が立ち止まっていた。

「……風紀の。あー、副委員長。こんにちは」
見たことがあるし、名前も聞いた覚えがある。なのにその名前が浮かばなくて、俺は役職名に逃げた。この間までは覚えていたような気がするのだが。

「あ、こんにちはー。こんなところで何してるの?」

とりあえず会釈をすると、副委員長はにこやかにこちらに歩いてきて、四阿の手前でまた足を止めた。彼を見たのは一学期以来だ。いかにも聡明そうな顔は、少しだけ日に焼けたようだった。
「読書してただけです。そういう副委員長は?」
「俺は、散歩兼見回りかな」
「ああ。お疲れ様です」
「ありがとう。ところでさ、どう、江角くん。二学期になったことだし、風紀に入る気になってたりしない?」

軽い調子だが冗談というわけでもないことは分かっている。俺は目を合わせたまま少し首を傾げてみせた。副委員長はそれをしっかり否定と捉えたらしい。苦笑して、よいしょという声と共に俺の隣に腰かける。
近い。俺は行儀悪くベンチに上げていた足を下ろして、姿勢を正しがてら少しだけ距離を作った。

「あーあ。鷹野と仲良くなったから、ワンチャンあるかなって思ってたんだけどな」
「確かに、何か手助けできるならって気持ちはありますけど。無責任なことはしたくないんで」
この学校で風紀は―というか、他の委員会も―一学期の始めにクラスで委員を決めて、一年か半年の間だけそれぞれがその委員会に務めるというような形式ではない。括りとしては部活動と同じだ。委員会に入れば三年生前期に引退するか自分で辞めるまでその委員会のメンバーになる。
つまり今、先輩の助けになれるからと加入したとして、俺は三年まで風紀委員会をやるのかと言われると微妙なところだなと思うのだ。放課後の拘束時間は長いし、やることは多いし、その上この学校の嫌な部分を全部見なくてはいけない。普通に躊躇する。
俺はどう考えてもそれをおしてまで"他人(ひと)のために"頑張れる性質ではないと思う。

もちろん、そういうふうに振る舞える人を尊敬してはいるけれど。先輩のこともこの人のことも、クラスメイトの岸田のことも。

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