My heart in your hand. | ナノ


▼ 淡想2

返却期限が迫った本を持って訪れた図書室は委員も利用者もいなくて静かだった。この学園の図書室は、テスト期間以外いつも人気がない。蔵書も豊富だし、室内も綺麗なのにもったいないなと思う。
そう言う僕も、たまに本を借りに来るくらいなんだけれど。

委員がいなくても返却は機械で出来るから問題ない。
珍しくシリーズ物を借りたから、続刊を読んでみようかなと並ぶ本棚の方へ歩いていく。海外作家の本ばかりを並べた棚の奥だったはず、と足を進めていき、思いがけずそこに先客がいたことに僕は声も出ないくらいびっくりしてしまった。
ホラー番組なんてCMの予告を見ただけで眠れなくなるくらいビビりなのだ、僕は。恥ずかしいことに。息を呑んで足を止めた僕の気配に気が付いたのか、背の高いその人がこちらを見た。

「―……あ」

思わず声が零れた。まっすぐに僕を見る涼し気な目、冷たそうに見えてしまうけれど整った容貌。江角くんだ。と心の中で呟く。
固まっている僕から、彼は興味なさげにふいっと視線を逸らした。ああ、やっぱり覚えられてなんかいないよね。でも、覚えていてほしかったわけではないからいいんだ。僕が一方的に彼に視線を向けてしまうだけ。

そんなことよりも、今なら誰もいないし、お礼を言いたい。僕の自己満足でしかないけれど感謝をしているから、言いたい。
緊張して指先がひんやりしている。手を握り締めて口を開く。

「あ、あの江角くん―」
声をかけると江角くんは少し目を丸くして顔をこちらに向けてくれた。名前を知っていることに驚いたのか、話しかけられたことにか。わからないけれど、とりあえず反応を示してくれたことで少し安心する。

「僕、僕ね、前に江角くんと岩見くんに助けてもらったんだ。あの時、本当にありがとう。僕は、自分だけじゃどうにもできなかったから―」
矢継ぎ早に話して、二人が来てくれて本当に助かったんだ、と言葉を結ぶ。江角くんの視線が僕の目から少し下がった。口元をじっと見られているような気がする。居心地の悪さに意味もなく片足で床を擦る。

「ああ―……、特別棟で会った人」
「! そ、そうです。あの、ほんとにありがとうございます」
「いや……、つーか、お礼なら風紀室で聞いたと思うけど」

首を傾げるのに合わせてさらりと黒い髪が流れた。僕のことは忘れていても出来事自体は覚えていたんだなとその言葉を聞いて思った。

「うん、そうなんだけど改めてっていうか―」
「そう。それで―あれからは大丈夫なのか」
「あ、うん。大丈夫です! でも僕弱っちいから、江角くんみたいに強いのうらやましいなって思う……」

言ってしまってから恥ずかしくなってへらりと笑う。江角くんは目を細めてから眉を下げて一瞬だけ唇を持ち上げた。

「喧嘩なんて、しない方がいいだろ。まあでもあんたの場合、もっと自衛はできるようになったらいいかもな」

あれ、今もしかして笑った? とまじまじと見つめているうちに彼はあっさりとした口調でそう言った。慌てて何度も頷く。本当にそうだ。
女顔というだけで別に可愛いわけでもない僕がまたあんな目に遭うなんてないだろうと思うけど、有り得ないと思っていたことが一度起こったのだから、これからだって自衛が出来るに越したことはない。

「江角くんはどうやったらあんなに強くなったの―?」

恐る恐る尋ねてみる。しばらく遠目に眺めていた人と会話が続いているのがとてもすごいことのように思えた。少し考える素振りをしてから彼は口を開いた。

「空手してた。女とか子供とかでもやってるやつはやってるし、あんたもできるんじゃない」
「ほっ、本当!? じゃあ僕、僕、空手部入ろうかなっ」
両手を握りしめ少し前のめりになった僕を見て、江角くんはまた目を丸くしてから今度ははっきりと笑顔になった。
あ、笑った! と特別なものを見たようなドキドキ感。実際江角くんの笑顔はレアなのではないかと思う。近寄りがたいような雰囲気が一気に和らいで優しくなる。

「そんな単純に決めていいのかよ。まあ、見学とか行ってみたら」
「そうする! ありがとう江角くん」
「別に」
言葉だけだと素っ気ないのに表情にも声にも優しさのようなものが感じられてしまって、頬が緩むのを抑えられなかった。
テンションがひどく高まってしまい当初の目的も忘れてもう一度江角くんにお礼をいってから僕は勢いよく図書室から出て寮に帰った。

明日、明日きっと空手部の見学に行こう。頑張って強くなろう。
やる気が満ち溢れるというのはこういうことか。今なら苦手な腕立て伏せも百回できるかもしれない。


「どうしたの鵜飼……、めちゃくちゃご機嫌じゃん」
「聞いて!! 江角くんは見た目だけじゃなく中身もかっこいい!オールパーフェクト!!」
「は、はあ? どうしたのまじで」

同室である友人はいつもと様子の違う僕に呆気にとられていたけれど、そんなことも気がつかないほど僕は浮かれていたしエネルギーに満ち溢れていたみたいだ。友人にはあとから一から十まで説明させられ「まあよかったんじゃない」というなげやりな感想をいただいた。

うん、よかった!


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