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ぐしぐしと目を擦っているおれに、敷島くんは「寝不足か」と尋ねた。 「へ?」 「さっきも寝てたし、今も眠そう」 「あーちがうちがう。おれ、眠たがりなんだ。赤ちゃんのときから死んでんのかってくらい眠る子だったらしいんだよね」
小学校低学年のころ、あまりにもよく眠るおれを心配したお母さんに病院に連れてかれて脳波の検査までされたことがあるけれど、おれ自身が認識しているとおりに至って健康だった。ただよく眠る性質だというだけ。 説明に対して敷島くんが「へえ」と気のない声で相槌をうったとき、引き戸ががらりと開いて、待ち人が姿を見せた。
「あ、せんせー」 「あらあら、待たせちゃったみたいね。ごめんなさいね、ちょっと職員室に呼ばれてたものだから」 保健室の先生は白衣を着たふっくらしたおばちゃんだった。絶対優しいじゃんって感じの見た目。「捻挫しちゃった」と足を見せると、のんびりした口調で「あらあら、かわいそうに」と言いながら、かなり手際よく手当をしてくれた。 あれよあれよという間に足首をしっかりと包帯で固定され、処置は終了。数枚の湿布と替えの包帯も渡され、お大事に、とお決まりの言葉を貰う。
「ありがとうございます」 「どういたしまして。安静にしててね。体育もしばらく見学しなさい」 「はあい」 にこにこと愛想よく手を振ってくれる先生に手を振り返して、黙ったまま傍に立っていた敷島くんと保健室を出る。
「敷島くん、お世話になりました」 廊下で改めてぺこりと頭を下げると、一瞬の沈黙の後、ぼそぼそと「どういたしまして」と返ってきた。やっぱいい子でしょ、敷島くん。 そのままの流れで一緒に帰ることになった。怪我をした方の足にあまり体重を乗せないようにぴょこぴょこ歩くおれの歩みは鈍い。何も言わないけど敷島くんの歩調もゆっくりだ。ぜったいにおれに合わせてくれている。 にやけてたら気持ち悪いなという目で見られたし実際にも「気持ち悪いな」と言われたけれど、そこはまったく気にならなかった。
「ね、敷島くん。おれになにか、してほしいこととかある?」 「は?」 「お礼」 「別に、何もいらねえ。何かしてほしくて手を貸したわけじゃない」 さいわい保健室は一階にあったので、玄関まで行くのにそれほどの労力はいらなかった。AクラスのロッカーはBクラスのロッカーのお向かいだ。背中合わせで靴を履き替えながら聞いてみると、ちょっと気分を害したような答えが返ってきたから、おれはびっくりして振り返った。
「わあ、そういう意味じゃないよ。ただ、おれがすごくたすかったから、お返しにできることあったらいいなーって思っただけで」 慌ててぱたぱたと手を横に振る。靴を履くために屈めていた体を元に戻して、敷島くんはまっすぐおれを見た。険のない表情にほっとする。
「敷島くんが優しさで手を貸してくれたって、ちゃんとわかってるよ」 「あっそ」 こぶしを握って念を押せば、また素っ気ない相槌。照れてるの? まだ知り合ったばかりだから単に愛想がないだけなのか照れ屋さんなのか判別できない。おれとしては照れてる説に一票を投じたい。
突っ立ったままだったおれは、ちらりと向けられた視線に「行くぞ」と促された気がして、また歩き出した。 生徒玄関を出て、正面は円形広場になっている。手入れされた背の高い木を丸く囲むベンチや、花壇があるきれいな場所で、お昼ご飯を外で食べたい生徒たちに人気のようだ。左に行けば体育館や運動部が雨のときに利用しているらしい屋根付きの練習場があり、もっと奥に歩いていくと第一グラウンドとテニスコートがある。右に行けば寮に続く舗道に至る。いつもは小さな階段を降りるんだけど、敷島くんに「こっち」と腕を取られてスロープを使った。スロープを通ったあとは、高低差もないなだらかな道だ。
「ねー、なにもしてほしいことないの?」 「まだその話してんのかよ。いらねえって」 「えー」 「なんで不満そうなんだよ」 敷島くんは呆れた様子だ。だって、たすけてってお願いしたとき、おれは恩返しをする鶴の気持ちになってたから。それは敷島くんにはどうでもいいことだろうけど、なにか出来ないかなと思ってしまう。
「んー……じゃあさ、敷島くんが困ったことあったらおれを頼ってよ。おれ、役に立つかはわかんないけど、敷島くんのために頑張るからさ」 「役に立つか分かんねえのに頼れとかよく言えるな」
辛辣! さっきまでの優しさはいずこへ。おれだってぜったい役に立つから!って断言したいけど自分が万能には遠いことを知っている身としては頑張るとしか言えないわけで。 むむ、と口を尖らせていると、「わかったよ」と小さい声がした。
「え?」 その「わかった」は、役に立たないかもしれなくても頼ってやるよってこと? 「頑張ってくれんだろ。」
そう言った敷島くんは仏頂面だったけど、とりあえずでもおれの気持ちを受け取ってくれたことが嬉しくて、めちゃくちゃ顔がゆるんだ。一人でにっこにこしているおれに、敷島くんはまた不審者を見る目をしていた。
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