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「おい。」 「んー、……?」 体を軽く揺すられて、おれは眠い目をこすった。 「おい、こんなところで寝るな」 「え――」 はっとした。困った困った、と思っているうちに、驚くことに、おれは眠っていたらしい。覚醒と同時にあの状態で寝たの、おれ? すごい、たくましい!という驚愕が湧き上がった。
「聞いてるか」 口許に手を当てて自分の図太さに感心していたら、目の前に立った人が低い声で注意を促してきた。そういえば誰かに起こされたんだった。はっとそちらを向くと眉間にしわを寄せて不審人物を見る顔をしている生徒がいた。知らない人。通りすがりに寝ているおれを発見して声をかけたというところだろうか。ともかく、渡りに船というやつだ。
「お兄さん、いいところに。」 「は?」 「足を怪我して歩けないんだよね。申し訳ないけど保健室まで肩を貸してくれる?」 ご恩はきっとお返ししますよ、と両手をあわせて健気な鶴のように見上げる。さっきまで寝ていたやつにそんなお願いをされたのが不可解だったのか、めちゃくちゃ怪訝そうな顔をしている。 これは断られてしまうだろうかと少ししょげたところで、急にその人が身を屈めた。おっ、と声に出さずに驚いてほんのわずかに仰け反る。
「怪我って」 「欠伸したら階段から落ちちゃった」 顛末を話すととても微妙な顔をされる。分かる分かる、おれもそんな微妙な気持ちになった。 おれが庇っていた方の足に視線を落としたその人は、スラックスの裾をひょいと持ち上げて足首を見た。見るからに腫れあがっていることをおれも一緒に確認した。 「腫れてるな」 「うん」 「肩貸したら歩けるのか」 「たぶん?」 「……分かった」
相手は少し考えてから、頷いて立ち上がった。一度断られるかと思ったところで貰えた了承におれはぱっと笑顔を浮かべる。
「ほんと? ありがと、ぉおう?」
語尾が奇声になってしまったのはおれのせいではない。目の前の彼が突然、おれの腕をぐいっと引っ張ったかと思ったら、何をどうしたのか次の瞬間には子供みたいに縦抱きで抱えあげられていたのだ。 「なん、なんでっ!?」 どもりつつおれは叫んだ。こんなに声を張ったのはいつぶりだろうか。ゆったりまったりのんびりがポリシーなもので。
「俺が運んだ方が早い」 「それはそうだろうけど……、重くないの?」 「別に」 あ、そう。本人がいいと言うならいいだろう。そもそもおれは香くんに連絡さえできれば迎えに来てもらっておんぶして運んでもらおうと思っていたくらいだから、むしろありがたい。 肩を貸してと言ったのは、初対面のお兄さんに一応遠慮したからだ。お兄さんは素っ気ないが、抱っこの安定感は抜群。なかなかの筋肉をお持ちらしい。
視線の位置が普段より断然高い。おれは歩き始めた彼の肩に遠慮なく腕を回した。高いのが怖いからじゃなくて、体を離している方が余計な力を使わせると思ったから。必然的にぎゅっと体が密着したけれど、相手からも苦情はなかった。
「ありがとー、お兄さん。とても助かるよ」 「……ああ。そんなことより、お前、煙草吸ってるのか」 「へっ。……なんで?」 低い声で予想外の指摘をされる。驚いて慎重に聞き返すと、眇めた目がこちらを見上げた。あ、今気付いたけれどこの人すっごい顔が格好いいな。芸能人の方ですか。
「制服から臭いがする」
まじか。気を付けてるつもりだったんだけど。おれはほんとうにときどきしか吸わないし、制服姿で喫煙したこともないから、たぶん香くんたちの煙草の匂いがカーディガンにでもついたんだと思う。でもおれは吸ってないよ、なんて言ったらじゃあ傍にいる奴が吸ってるんだなってなるのは明らかだ。それに最近吸ってないだけで潔白というわけではないから吸ってないっていうのはどちらかと言うとうそだ。 彼がこちらを見たのは一瞬だけで、今は前を見て歩いている。その顔を見下ろしながらなんて言おうか考えていたら、相手の方からまた口を開いて、「風紀に見つかるなよ」と言った。 これはチクったりするつもりはなくて、ただ臭うから指摘しただけってこと? でもなんでわざわざそんな忠告みたいなことをするんだろう。おれが知ってる他人の行動といえば、まるきり放っておくかやめなさいって注意してくるかのどちらかなのに、彼の行動はどちらでもない。指摘したときの声音とか視線とかは咎めているぽかったけれど、注意というには中途半端だ。
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