10
避けられている理由らしきものが判明したからといっておれの生活はなにも変わらない。30分間5分おきに鳴るように設定したアラームの一番最後の音でようやくベッドに別れを告げて、食堂で朝ごはんのサラダを食べて、ちゃんと目を覚ませと香くんたちに笑われながら登校する。授業をこなしてお昼になったら購買で買ったパンを食べる。香くんたちと一緒に食べるか一人で適当な場所で食べるかはそのときの気分によるけれど、今日は皆で食べた。食事の場所はころころ変わる。どこもなかなかいい場所で、おれは特に温室みたいなところが好きだ。
あそこで昼寝がしたいなあ、とあくびをする。とても眠い。温かな日差しが窓際一番前のおれの席を燦々と照らしている。今日最後の授業は物理基礎。先生の低い声が右の耳から左の耳へと抜けていく。なにを言っているかは理解していないが、教科書を読み上げているだけだということは分かっている。 ふにゃふにゃしつつも頑張って起きていたけれど、一本調子の語りにちょっとでも耳をかたむけてしまったらもう駄目だった。魔法だ。先生は眠りの呪文を唱えている。おれは頬杖で支えていた頭をとうとうぺたりと机に突っ伏して、夢の世界へと旅立っていった。
ふっと目が覚めて顔を上げたら、教室の中はしんと静かだった。ちょっと混乱して周りを見渡し、ようやく今がもう放課後で、誰もいないのは皆帰ってしまったからだということを理解した。開いたままだった教科書とノートを閉じて、机の中にしまい込む。よだれ垂らしてなくて良かった。誰も声をかけてさえくれないのは、さすがぼっちだ。というか、チャイムの音も皆が帰るときの賑わいも聞こえていなかったというのは、絶対に熟睡しすぎだった。盛大にあくびをして席を立つ。 部屋に帰って寝直そう。
筆記用具などの細々したものしか入っていないリュックは相変わらずの軽さだ。歩く度にぽふぽふと腰の所で跳ねている。階段を降りながらもう一度あくびをしたら、ずるっと足が滑った。予想したところに段差がなかった。体が前のめりになったかと思うと、一瞬体が宙に浮いたような感覚と共に四段分程度の段差をすっ飛ばしてべしりと床に叩きつけられた。 「へぶ、」 変な声が出た。打ち付けた両手の平と顎がとても痛いけれど、それを上回ってあまりあるほどに右足首が痛かった。
「うへぁー……」 さすがに眠気もとんだ。のろのろと体を起こして床に座り込む。足首を庇うように手を当てると、もう腫れている。捻挫したかも。とても痛い。 誰にも落ちるところを見られていなくて良かった。恥ずかしいし、情けない。高校生にもなって何の外的要因もなく階段から落ちるなんて。衝撃で涙まで滲んだ。あ、膝も痛い。
しばらくじっとしていれば少しは痛みもおさまるかなぁ、と階段下の壁に背中をくっつけてぼけっとする。5分くらいじっとしてみたのに、あんまり意味はなかった。 打ち付けたところは多少痛くなくなったけれど、足首の方は駄目だ。捻挫だ。悲しい。これはもう保健室に行って湿布をもらわなくてはいけないと思う。部活がやっているから先生もまだいるはずだ……たぶん。
歩ける気がしないというか、ここから保健室が遠すぎて足を引きずっていくには心が折れてしまうので、香くんにおんぶして運んでもらおう。電話をしようと制服のポケットに手をいれる。スマホはそこに入っていなかった。
「あれっ」 リュックに入れたんだったっけな。 背負ったままだったリュックを下ろしてごそごそ漁る。ない。そういえば今日一回も学校でスマホに触ってない気がする。最後に触ったのはいつだったか思い返したら、朝目が覚めてすぐのベッドでだった。どうやらおれは今日スマホを所持していなかったらしい。詰んだ。
「よ、四つん這いで行こうかなー、あっだめだ痛いいたい」 ちょっと試してすぐにやめた。膝も痛いし足首もなんか痛かった。今のおれ、めっちゃ間抜け。重ね重ね誰にも見られていないことに感謝だ。
「にしても、どうするのこれ……。」
つい独り言を言ってしまう。もう見回りの警備員さんだかを待つしかないのではないだろうか。なんてことだ。困った。
prev / next
10/36
|