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淡く西日が差し込む図書室は、奥の書架の方に濃く闇が溜まっている。カウンターから手前の棚、読書や勉強をするための机があるスペースまではスイッチ式の照明なのだが、その奥はセンサー式なのだ。さほど人が訪れず、必要もないので、普通の照明とて半分くらいしか点けてはいない。そのせいか、ごくまれに顔を出す友人たちに暗いだの陰気だのと文句を言われるが、常の利用者からは何の苦情もないのだから放っておけと思う。節電は大切だ。
カウンターに積んだ本の内の一冊を手に取る。破れた背表紙を撫でてちょっと顔を顰める。この間までは綺麗なものだったのに雑に扱いやがって、と文句の一つも言いたくなる。
図書室でゆったりと読書をしていくタイプの利用者は少ないけれど、本の貸し出しや返却のためだけに来る生徒はそれなりに居る。それでも中学の頃を思うとずいぶん少人数なのだが。俺の中学では昼休みや放課後はいつも図書室に人があふれていた。大判の漫画やライトノベルの最新刊が入っていたからだろうか。
この学園の図書室はどちらかというと小説らしい小説が多い。話がずれたが、とにかくただ大切に保管されているわけではない書籍には修繕が必要だ。貸し出しや返却の業務が機械で賄われる分、こういう作業には力を入れたい。
図書委員は、実は人気の委員会だ。なぜなら担当の教師がほとんど活動に関与せず、学校司書もいないから。つまりはさぼり放題なのに委員会に所属しているという事実は手に入るのだ。うちの高校は委員会と生徒会執行部の活動に重きを置いているから、役職のない委員でも内申点は稼げる、らしい。
俺は週三で当番をしていて、後の二日の当番は他の委員の持ち回りのはずだが、ちゃんと図書室に来ている方が稀。そういう委員会だ。前の委員長はまじめな人だが部活が忙しかったし。
図書室は俺の憩いの場だし、本の修繕は好きだし、更には俺が図書委員の業務のほとんどを担っていることを申し訳ないと思っているらしい先生が、俺に購入図書を選ぶ権限を与えてくれているので、委員会の現状などどうでもいいのだが、もう少しまともに仕事をしてくれる委員がいるといいなあと思わなくもない。
今季から自動的に委員長になってしまったのだが、余計な仕事が増えて趣味の読書や本来の仕事が回らなくなるなんて事である。
綺麗に修繕できた本の表紙を撫でる。この作家の本は好きだ。新刊が出たらしいので購入図書に加えておこう。
デスクトップパソコンを操作して、新刊タイトルを把握する。短い粗筋からそれがこの作者のなかで俺が一番好きな既刊と主人公を同じくするものだと分かり、テンションが上がった。シリーズになるのか、最高だな。
うきうきしながらタイトルを傍らのメモに書きつけたところで、控えめな物音がした。ちらりと視線をむけると、すっかり見慣れた人物が中に入ってきたところだった。
後ろ手に戸を閉める彼と目が合って会釈すると、同じく返される。いつもならそれで終わりなのだが、手に本を持った彼が機械に向わずカウンター越しに俺の前に立ったので、俺は手元に戻していた視線を再度持ち上げた。
「どうした?」
「この本、ページが外れそうなところがありました」
言いながら、カウンターの上でぺらりと開かれた本を覗き込む。確かに最後の方のページが半分ほどとれかけている。
「ああ、本当だ。わかった、直しておく」
「はい」
「知らせてくれてありがとう、助かるよ」
書架に戻すときにちらっと確認するだけだから、見逃してしまうこともある。礼を述べると、彼はちらっと俺を見て頷いた。不愛想なくらいな態度だが、俺がカウンターにいると入退室のときに必ず会釈してくれるあたり、礼儀正しい、いい子だと思う。
一度機械の方に行って返却手続きを済ませた彼から本を受け取りながら、その視線が俺の手元を見ていることに気が付く。
「これ、購入リクエストのメモだよ」
そういえば、彼もこの作家の本を借りていっていたな、と思い出したのでそう言ってみると、にわかに黒い目が輝いて微笑ましくなった。そして、大人びた雰囲気でもちゃんと年下なのだなと実感する。
「図書委員って、そういうの出来るんですか」
「図書委員っていうか俺が、かな」
わからない、というように緩く首が傾げられる。
「俺が一番よく働いてるから、リクエスト権を貰ってるんだよ」
言ってから、自分でよく働いているというのはなんだか違うなと照れくさくなった。奉仕の精神があるわけでもないのに偉そうだ。
彼は特に思うところもなかったようで、納得した様子で「いいですね」と一つ頷いた。
「これ、刑事モノのやつの続刊らしい」
「―二冊前のやつですか」
「そう」
「あの話、一番好き」
独り言のようなトーンで呟いた彼がふっと無表情を緩めた。おお、と思う。
会話をしたことはあれど、正面から彼のそういう顔を見たのは初めてだった。笑わないわけではないということは、知っていたが。
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