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未処理のものと処理済みのものを分けたファイルボックスに書類を追加して振り向くと、意外にも、福井くんはまだ俺のことを見ていた。

「そんなに見てなくても、大丈夫だよ」
「でもなんか、今日の京先輩、ふわふわしてないすか?」
「ふわふわ」
なんだそれ、と笑ってソファーの方に行く。

「俺もやる」
福井君の隣に座ると、不思議そうな顔をされたのでそう告げた。そしてテーブルに手を伸ばしてだいぶ減った、まだ手付かずの紙を、下部にふられたページ数通りに重ねていき、綴じる。

「いいんですか、他の仕事」
「うん。終わったら、福井くんに手伝ってもらいたい奴があるから、これは俺が手伝う」
「わかりました」

こくりと頷いた福井くんと一緒にぱちりぱちりと作業をする。福井くんは頭がよくて仕事を覚えるのがはやいし、庶務にはどうしても多く割り振られてしまう雑用のような仕事も全然嫌そうな顔をせずに淡々とやってくれる。
やや気力がなさそうなのは表情だけで、本当はすごく真面目だ。「超いいギャップ」と住田が言っていたし、俺もそう思う。


しばらくお互い無言で手を動かしていた。考えずに出来る作業だからあまり辛さもないはずなのに、俺はなんだかどんどん体が重たくなってきて、大丈夫だと言っておいてなんだが、ちょっと本当に様子がおかしいのではと思い始めていた。
熱でもあるのだろうかと頬に手を当ててみたが特に熱いとは思わなかった。むしろ少し肌寒いくらいだ。頭の中で疑問符を浮かべながら、綴じ終えたものをわきに作った山に置こうとしたら、指先にピリッとした痛みが走った。思わず「痛っ」と口走ってしまう。小さな声だったが静かな空間で、しかも隣にいる福井くんに聞こえないはずもなく、さっと視線がこちらを向いた。

「どうしました」
「ん、うん、ちょっと引っかけた、みたい」

引っ込めた指に、ぷくりと血の玉が浮かんでいるのを見た彼は、慌てて俺の手をとった。そうして一拍の後、怪訝な顔をして俺の顔を覗き込む。

「ちょ、っと。京先輩?」
「なに……?」
「いや、なにって、あんた、すっげえ体温高いんだけど!」
熱あるじゃないすか! と珍しく声を大きくした福井くんが俺の片手を掴んだまま、もう片手で額に触る。

「え、熱――? ほんとに?」
「おかしいと思ったら……。具合悪かったなら、言ってくれれば」
言いながら彼はテーブルの上からとったティッシュで怪我した指の血を拭って、どこからか取り出した絆創膏を手早く巻き付けると、もう一度俺の顔をじっと見た。眉根が寄った表情は怖かったけど、怒っているのではなく心配してくれていることが分かって、怖いよりもごめんねという気持ちが強くなる。

「ごめん、ね、福井くん……。俺、わかんなくて。そうか。熱があるから、変だったんだな」
自分で触っても熱さは分からなかったのだが、いつもよりももっとちゃんとできていないことに理由があってよかった。何もないのに出来ないダメな奴になってしまったかと思ったから。へらっと笑うと福井くんの格好いい顔が歪んだ。しかめ面でも格好いいままだ。ひんやりした手がそっと首に触れる。気持ちよくてホッとする。

「―俺こそ、すみません。京先輩、熱が高いから横になった方がいい」

福井くんが謝るようなことは何一つない。どうして謝るのだろうと体がぐらぐら揺れているような感覚のなかで考える。答えが見つからないうちに福井くんの手がネクタイにかかって、慣れた手つきで緩められた。
そのままボタンを二つほど開けてくれて、呼吸が楽になる。それでようやく、息苦しかったのだと気づいた。自分のことなのに遠い他人のことのようだ。しかもいつの間にか柔らかいソファーの上に横たわっていて、横になっているな、と思ったら一気に体に重さが増した。自覚すると途端に具合が悪化するのは何故なのだろう。うう、と顔をしかめて唸る。


「……重力が、増えた」
「はい?」
「沈んじゃうから、引っ張って」

頑張ってがんばって持ち上げた重い手を、望み通りにぎゅっと握ってもらえて、安心したら目を開けていることさえ億劫になった。
そして、福井君に何にも悪くないんだから謝らないで、とも俺なんかのことを心配してくれてありがとうとも言えないまま、俺は眠ってしまったらしい。