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「本当」
「え、無理」
「だめ」
「……可愛い顔するハルが悪くない?」
「あ? もう目閉じるのやめる」
「うわ、ごめん。観察する俺が悪いです」
「観察とか言うな……」

ロビーを横切りながら冗談でなく頭を抱えたくなった。ガラス製の少し重い扉に手を伸ばすと、俺を追い越した清仁さんが代わりに扉を押し開けた。悪いと思っていないのは、真っ直ぐに目を見てくることで分かる。

「でももう数えきれないくらい見てるし照れなくていいと思う」
「そんなに見てるなら飽きてください」
「それは有り得ないから、ハルが諦めて」
「ええ―」

俺が通り過ぎるのを待って扉を閉め、自然に並んで歩き出す。向かうのは最寄りの駅だ。
三年ほど前にマンションの傍に植樹された桜の木が若い緑の葉を揺らしている。最近まで道の上に散っていた花びらはいつの間にかなくなっていた。

「じゃあ、ハルも観察していいよ」
「あんた、なかなか目閉じないだろ」
肘で小突くと笑い声が返ってきて、その楽しそうで幸せそうな、能天気な笑い方にほだされてまあいいか、と思ってしまう。今まで散々なんでも見せてきた人だし、飽きるのはありえないというのは、単純に嬉しいと思ってしまうし。

「俺もなんか、清仁さんが恥ずかしくて俺が楽しいこと探す」

簡単に折れてしまったことが癪でそう言うと、そんな意味合いも含めて俺が絆されたことを察したらしい清仁さんは「ハルは俺に甘いなあ」と嬉しそうに呟いて、一瞬だけ俺の手を握った。
すぐ離れていこうとした指先を追いかけて、コートの影でぎゅっと握る。横目でちらりと窺った彼の白い頬が見る間に赤くなっていくのを見て、してやったりと口角が上がる。

「……映画、楽しみですね?」
「―うん」
俺からのアクションにすぐ余裕をなくすところも、高校生の頃から変わらないよなあと思う。


「そういえば、あやめちゃんの誕生日もうすぐですね。何あげるか決めました?」
「あー、あげるものは決めてないけど、俺らと酒が飲みたいって言ってた。」
「あの子と飲む日が来るなんて、感慨深いですね」
「本当にな」

すっかり大人びた可愛い子を思い浮かべて、時間の流れに感嘆する。そうか、あの小さな女の子が成人するほどの年月を俺はこの人と共に過ごしたのか。

「いつか、あやめちゃんの子供、抱っこさせてもらえるかな」
そっと呟いた俺に、清仁さんはすぐに答えた。

「あやめは絶対子供欲しいって言ってるし、いずれは孫も抱っこ出来るよ」

何気ない口調で言いながら、こっそりとつながったままの手を強く握られる。言葉と手に込められた意味を呑み込んで、胸が苦しくなる。それは、そんな未来は、あまりに幸せだ。

「じゃあ、互いに丈夫でいられるように頑張りましょうね」

声が震えないように気を付けて同じように何気なく返事をする。

「衰えないように運動しなきゃなー」
「食生活も大事ですよ」
「だな。」

真面目に言い合って、笑う。ずっと一緒にいられると信じられることは、途方もなく幸せなことだ。この人を選んでよかったと思わずにはいられない。何年たっても後悔がない。

「―キヨ先輩はおじいちゃんになっても可愛くて格好いいと思う」
高校生の頃の彼を思い出しながら、今の大人になった彼を見て、数十年後の彼を想像する。清仁さんはひょいと肩を竦めた。

「わっかんねえよ、汚い爺になるかも。てか、その呼び方久しぶりだな、ちょっと照れる」
「少し前までは清仁さんって呼ぶ方が照れてたのに。」
「確かに。不思議だなぁ、慣れの問題か」

そういえば、というように目を丸くして一人頷いている。駅が近くなると人通りも増えて、手はお互いにさりげなく離れたけれど、視線に乗る温度のせいで俺たちはただの友人同士には見えないかもしれないな、と思った。
誰にどんな目で見られようとどうでもいい。近しい人たちが祝福してくれて、この人が俺を見て笑ってくれれば俺の世界に憂いなど存在しないのだ。


「言い忘れてましたけど」
「うん?」

切符を買って、電車に乗り込み、並んでドアの傍に立ったところで俺はそっと清仁さんの耳元に口を寄せた。

「例えどんなふうになっても俺にとっては可愛くて格好いい清仁さんのままだから、安心して汚い爺とやらになってくれていいですよ」

囁いて顔を離す。また紅潮した顔で俺を凝視した彼が「今だけで百回惚れ直した」と普通の声量で言ったせいですぐ近くに座っていた女性二人組みがぎょっとした顔でこちらを見上げたから、俺は堪え切れずに笑いだしてしまった。
俺の恋人は、本当に可愛い人だ。



(次はあとがき)