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寒くなると温かいものが飲みたくなるのは必然だと思うが、俺の場合はそこに甘いものという条件が加わる。普段は特別甘味が好きというわけではないから不思議だ。
寮の一階の自動販売機を前に、何を飲むか思案する。顎を撫でながら自販機を眺めていたら、突然後ろから肩と腹に腕が回ってきた。力強くしがみつかれてぎょっとする。

しかし犯人が誰なのかは考えるまでもなく分かった。

「久我さん」
軽く腕を叩きながら名前を口にすると、ぱっと力が緩む。振り返ればやはりそこには予想通りの人がいた。緑地にピンク色で大きく英字のかかれた、シルエットの緩いパーカー姿の彼は、挨拶するように片手をあげてから、不満げな顔をした。

「驚かそうとしたのにー。なんで俺って分かった?」
「俺にこういうことするの、あんたと岩見くらいだから。あと香水の匂い」

珍しいものなのか、久我さん以外からすることはない匂いだから、分かりやすい。

「あら? もしかして匂いきつい?」
「全然。近づくと分かるくらいです。でも久我さんは、普段から距離近いから」
久我さんは納得したらしく、頷いてから緩く笑った。

「匂いで判別とか、晴貴はわんこみたいだなー。どれどれ、可愛いわんこな後輩にジュースをおごってあげよう、何が飲みたいんだい」
「誰がわんこだ。ココアがいいっす」

頭を撫でようとしたらしい手を避けて返事をすると「文句言っといてリクエストはすんのかよ」と笑われた。ここは遠慮するノリではないと思っただけだ。
ホットのココアとコーヒーを取り出し口から出して、片方をぽいと投げられた。
上手く飛んできたそれを受けとめて礼を言う。

「どーいたしましてぇ」
緩く返事をしつつソファーに勢いよく座った久我さんが隣をばしばしと叩いて座るように促すので大人しく腰を下ろす。

「んじゃ、安里クンとティータイム兼報告会でもしよっか」
「報告会?」
ペットボトルのキャップを開けて一口飲んだところで、同じようにコーヒーに口をつけた久我さんが言った一言に眉を寄せる。何を報告するというのか。久我さんの方を見るとぐっと顔が近づけられて、俺は少し体を引いた。

「え、なんすか」
「気が向いたらでいいよって言ったけどさー、でもやっぱ気になるじゃん? 二人とも知ってる人だし、しかも途中の段階を知っちゃったわけでしょ。結果も知りたくなるのは人の性というかさ、だから前言ったのと違うけどまあそこはごめんねというか」

矢継ぎ早というにはおっとりとしたテンポで、しかし俺が口を挟めないくらいには次々と言葉を発する久我さんになんの話をしているのかと問おうとしたところで俺は思い当たる節があることに気が付いた。
さっと片手を久我さんの口の前に出してまだ続きそうだった言葉を止める。

「キヨ先輩とどうなったかって聞きたいんですよね」
「うんうんうん、よくわかったな」
「いやまあ……、つーか、普通に聞けばいいじゃないすか、前置き長すぎて何が始まったのかと思いました」

言うと、久我さんは珍しく照れたようなバツが悪いような表情をして首筋に手をやって「だって俺、晴貴が気が向いたら教えるって言ったとき、それでいいよとかちょっとかっこつけて答えただろー? なのにやっぱ気になるから教えろって言ってること違うしちょっとどうかなーと思ってさ」と答えた。
俺はぽかんとしてその顔を見つめた。あの時格好つけてたのかとか、ということにもすこし驚いたが、一番意外だったのは、気にせずぐいぐい来そうに見えるのに、そんなことを気にしていたということだった。

「いや、俺、久我さんは遠慮とかしない人だと思ってるんで、そんなこと気にしなくていいですよ」
「あれ、今すごい自然にディスった?」
「全然。―で、結果ですけど。付き合うことに、なりました」

久我さんに教えるのは特に嫌ではないが、キヨ先輩との関係を口に出すのは少し座りが悪い感じがした。変化を再認識すると照れるというか。
なるべく何でもないことのように言ったが、久我さんがさっきまでのやや殊勝な態度を引っ込めて盛大ににやけながら顔を覗き込んできたので、恐らくさほど自然には言えていなかったのだと思う。

「まじか。晴貴、委員長のこと好きなんだ? キヨ先輩好きですとかっていったの? ひゅー、可愛いね!」
「殴られたいんすか」
思い切り揶揄われて、普段通りの調子で返しつつも羞恥心のあまり本当に殴りたくなった。

「ぶふっ、ごめん。いやあ、めでたいね。おめでとうおめでとう」

半笑いで言われても全く嬉しくないのだが。ぱちぱちと拍手する久我さんに顔を顰めていたら、肩に腕が回されて反対の手で雑に頭を撫でられる。

「ちょっと、何―」
「悩みが消えてよかったな。なんか悩み事あったら相談しろよー? 全然違うタイプの人間の意見もたまには案外役にたつかもしれないしさ」

抵抗しようとしたときにそんなことを言う。俺は邪険に振り払うのはやめて返事をした。

「この前のも、久我さんに話してよかったと思ってます」
「おっ、まじで?」
ぽんぽんと軽く頭を撫でてから解放される。ぐしゃぐしゃになった髪を整えながら視線を上げると久我さんはにっと笑いながらもう一度「よかったな、おめでとう」と言った。

「―ありがとうございます」

この人は距離の取り方が上手い。初めから名前を呼んでくるしやたらと態度は気安いし、スキンシップも多くて、俺が敬遠したくなる要素はたくさんあるはずなのに本気で不快になったことはないのだ。
適当で馴れ馴れしいようでいて、面倒見がよく不躾に踏み込んでくることはない。だからこそ周りに慕われているのだろう。森下さんといいこの人といい、一般的に見て素行が悪くても人間が出来ているなと思う。それに口では年上だとか先輩だとか言う癖に態度は緩くて話しやすい。だから、言うつもりはないが、結構好きだし、尊敬していなくもなかったりする。
彼が冗談のように口にする可愛い後輩という言葉の通り、確かに俺は可愛がられているのだろうなと思う。

それが嫌ではなくてなんだか笑えた。

「で、もうファーストキスは済ませたかい? おじさんに話してごらん」
「台無しっす、久我さん。」



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