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グレープフルーツの味が口内を満たす。残り少ない缶の中身を喉に流し込んで、俺はそっと息をついた。体がじんわりと熱い。さほど酒に強くない俺は度数の低い酎ハイ三缶ですでにほろ酔いといった具合だ。
隣に腰かけたクラはさっきからずっと梅酒を飲んでいる。強い酒も飲めるのに、いつも好んで口にするのは梅酒だった。

「クラ〜。俺、彼女と別れたわ」
「早くね?」
惰性でつけて惰性で眺めていたテレビがコマーシャルに切り替わったところで、ふと思い出して今朝の出来事を報告する。クラは首をかしげてけだるそうに返事をした。
ホワイトアッシュの短髪の表面に安っぽい照明の光が反射してきらきらしている。その派手なカラーはクラの趣味ではないらしい。聞くところによると、美容師なお兄さんの練習台になっているからだそうだ。
実の兄弟が染めた色だからなのか、不思議とその髪はクラに似合っていると思う。

「思ったのと違うって」
もう聞きなれてしまった振られる理由。前はショックを受けたりもしたけれど今更なんの感慨もない。自分が周りにどんな印象を抱かれているのかも、もう分かっている。
落ち着いていてクールなクラを好きになるのは大人しめで一途な子たちだけど、俺のことを好きになってくれるのは派手で軽く楽しい付き合いがしたい子たち。詰まる所、俺はチャラついた女好きに見えるらしい。

「お前女慣れしてないもんな」
「そういうこと言うなよー、図星だけどさー」
むっと唇を尖らせて隣にある肩に体重をのせて寄りかかってやる。

「へこんでんの、カグ」
「べつに」
「最初から、付き合わなければいいのに」
「だって、断るのも大変なんだよ」

俺が考えつくような断り文句じゃ納得してもらえないし。いわゆる肉食な女子に、見た目のちゃらさからは想像もできないほどの草食系だと自称している俺が押し勝てるわけがなかろうよ。
付き合おうと言ってきてくれるのは自分に自信のありそうな可愛い子たちばかりだからまあいっかって思ってしまう。俺は好きだと言われると意識してしまう単純な人間だから付き合った子はみんな好きになれるほうだし。

今回の子は例外だけど。だって3日ですよ、3日。そんな短期間でどうやって好きになれと。逆に言えばたったの3日で見限られてしまう程度に俺は薄っぺらなのかもしれない。悲しい。

「ていうかみんな、別に俺のことが好きなわけじゃないんですよー。彼氏がほしいだけでさー」
それでなんで俺を選ぶのって話だけど。ぼやいて、空っぽの缶をつつく。

「カグは、顔がいいからな」
「クラに言われるとお世辞っぽいよ」
「なんで」
「クラの方が、よっぽど格好いいから」

ごつんと隣の肩に額をぶつけると、反対側の手で頭を撫でられた。そうか? と聞く声は平坦だ。

「そうだよ。クラは男前だし、怖そうだけど優しいし、しかもすげえ友達想いだしー。クラはかっけーよ。俺、クラ大好きだもん」
「ふうん」
ぺらぺらと、普段なら思っていても言わないことが口から出ていく。酔っているからだ。言い切って、ふいー、と溜息をつくと、クラが低い声で笑った。喉の奥で引っかかるような不明瞭な笑い声だ。
目線をあげてクラをうかがう。切れ長の目が俺を見ていた。

「じゃあ、カグは俺と付き合えばいいよ」
「え?」

ぽかんと口が開いたのが分かった。鋭い瞳を優しく細めたクラの唇からこともなげに零れた言葉を反芻する。俺はのろのろと体をおこしてクラと向かい合った。
クラはうっすらと口角をあげたまま手を伸ばして俺の耳たぶをするりと撫でた。耳たぶというよりはそこを飾るピアスに触ったんだろうけど首筋がぞわりとして首を竦めてしまう。

「ん? え? 付き合うの? クラと、俺が?」
「そう。嫌?」
「いや、っていうか、俺、男だよ」
馬鹿じゃないのとか、冗談やめろよとかより、なんでクラがそんなこと言うの? って気持ちのが強くて呆けたままそう言うと、クラはまた笑った。白くて尖った歯が見える。

「知ってる」
「じゃあ、クラ、俺のこと好きなの?」
「好きだよ」
さらりと言われた。いや、そりゃ俺もさっき言った通りクラのこと大好きだけど、クラはどういう意味で俺のこと好きなんだろう。恋愛感情? でも俺男ですよ? と頭の中で思考がまた最初に戻った。

「難しく考えなくていいじゃん」
 俺より一回りはでかそうな手が輪郭を掠めるようになぞってから右の頬を包み込んだ。ゆっくりとクラのうらやましいくらいかっこいい顔が近づいてきてぽかーんと眺めているうちに唇がくっついた。
ふに、ふに、と柔らかい感触が優しく触れてくる。男も、唇柔らかいんだ。と馬鹿みたいな感想を抱く。
クラからいい匂いがする。気持ち悪いとかはなくてそのまま動かずにいたら緩んでいた唇を割って熱い舌が入り込んできた。びくっと震えた腕をなだめるように摩られる。上あごをくすぐり頬の内側の柔らかいところを舐める舌の動きにどうしたらいいか分からなくなる。

受け身のキスは初めてだし、俺は別にキスがうまいわけではない。中途半端に宙に浮いていた手で恐る恐るクラの胸元あたりの服を握ると、頬にあった手が後頭部に移動した。
正直、気持ちいい。けどなんだこれ、俺クラにキスされてる。

「―っん!」
舌の真ん中で主張しているであろうピアスを、ぐりっとえぐるように舐められて俺はいつの間にか閉じていた目を見開いた。若干ぼんやりしていた頭が我に返った感じ。
反射的に胸を押す。クラの体はいともあっさり離れた。息を乱しながら見ると、クラは濡れた唇をなめてニヤッと笑った。肉食系オーラがやばいよ、クラ。

「舌ピの感触おもしれえな」
「へ、あ、え?」
「気持ち悪かった? 俺とキスするの」

ふにゅっと、親指で唇を押された。
キス、と繰り返してからさっきの行為を振り返ってぎこちなくかぶりを振る。

「俺はカグが実は純情くんなのも、憧れのシチュエーションがあることも、甘えたがりなこともわかってる。さっきみたいなキスとかセックスも、慣れてないって知ってる。大事にする。俺からお前を振ることはないし、お前が恋人とやりたいと思ってることも、俺でよければやってやるよ」
ゆっくりと、でも俺が口を挟めないくらいには立て続けに話して、最後に「だから俺にしとけ」とそれはそれは優しく甘やかに微笑まれた。それに、なぜか盛大にときめいてしまった。
我ながら単純だと思う。けれど俺はどんどん熱くなる顔をそのままに、こっくりと首肯していた。

こうして、彼女に3日で振られた俺は、その振られた当日にいい男を恋人としてゲットしたらしかった。

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