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「ああん、ちょっと見てよ祥子ー。爪欠けちゃったんだけど! まじ最悪ぅ」
「まじやばーい」
「もー、気になるー。爪切り持ってないー?」
「まじやばーい」
「ていうか、知ってるー? この間から食堂でジャンボパフェがメニューに追加されたのぉ。食べたいよねえ、でも太っちゃうー!」

年中ダイエットって感じー。昼休みの教室に低い声が響く。焼きそばパンの包装を剥がしながら、俺はまじやばーいともう一度言った。
禍禍しいものを見るようなクラスメイトの視線がざくざくと突き刺さっている。女子校生ごっこがしたいとのたまった友人は、俺の三度目のまじやばーいを受けて急にすんっと表情を消した。そして焼きそばパンに噛みつく俺に眇めた目を向ける。

「ちょっと祥子ったらー、さっきからまじやばいしか言ってないんですけどぉ」
先程までの、のりにのった様子とは比べ物にもならないほど棒読みだしドスのきいた声だ。ゴリラが威嚇している。しかし言葉遣いは、女の子口調を意識しているらしい間延びした口調のままである。
俺の知っている女の子はそんな話し方をしないので、きっとこいつと俺の知っている女の子は別物なのだろう。

購買の数量限定焼きそばパンをむっしゃむっしゃと咀嚼しながら、俺は今度も「まじやばーい」と律儀に応じてやった。パンに塞がれてたいへん不明瞭な音だったが、まあいい。
友人は焦れたように机を叩いた。大柄で筋肉質なこいつの殴打の音はぺしぺしなんて可愛いものではなかった。さながらゴリラのドラミングである。

俺は机に罅が入ったのではと危惧して、焼きそばパンを頬張りながら表面の天板を検分した。

「おいっ、お前の女子校生はなっとらん!!!」
「えー何が? ちゃんと付き合ってやってんのに失礼なやっちゃなー」
「お前の知ってる女子校生はまじやばいだけで意思疏通を図るのか!」
「そんなわけねえじゃん、うける」
「こいつ……!」
ぴきぴきしている友人の怒りのポイントが分からない。大きく開けた口に最後のひときれを放り込んで、首を傾ける。
遊びに付き合ってやったのに、何が不満だというのか。

「てか、これは何を楽しむ遊びなん?」
「女子高生の風を感じたかった」
「などと供述しており……」
「馬鹿にしてんじゃねえぞ! こんな男しかいないムサいとこに居たら女子校生の華やかさを感じたくなっても仕方ねえだろうが!!」

ゴリラの親戚のような友人が女の子の真似をしたからといって、華やかさは感じられないどころかクラスメイトたちの視線からも分かるとおり禍々しさしかないので同意しかねる。
目的達成ために選ぶ手段がこいつの頭の悪さをこれでもかと見せつけていて可哀想。

がんっ、と友人は主張と同時に空席の椅子を蹴った。相も変わらず足癖が悪い。

首を回すついでに教室を見渡すと、クラスメイトは触らぬバカに祟りなしとばかりに目を逸らしていた。ちなみにバカとは友人のことであって、もちろん俺は含まれない。
このバカは、やたらとでかい体にやたらと筋肉をつけて、短い髪はブリーチし過ぎて白みがかっている上に人相が悪い。不細工というわけではないが、つまり強面なのだ。
素行良好な優等生が多いこのクラスで、友人はビビられているようだった。そんなこいつとつるむ俺もそれなりに浮いている方かもしれないが。不都合はないので構わん。

「ムサいのはお前な。筋肉落とせば?」
「はあ? 俺の肉体美ナメんなよ? 見るか?」
「あー見ない、見ない。見るなら肉付き薄めの白肌がいいー」
拒絶しながらメロンパンの袋を破く。外はカリカリ、中はもふもふ。これはメロンパンの鉄則である。

「あ、あの……、間明くん」
「んん?」

まだ何かぐだぐだと言っている友人を無視してメロンパンのカリもふを堪能していると、恐る恐る一人のクラスメイトが話し掛けてきた。所在なさげに傍らに立つ彼を見上げる。
黒髪、眼鏡。クラスメイトなので顔は分かる。勿論。しかし、名前が出てこない。

「ええと、呼ばれてる、よ?」

何君だったかなー。考えていたら、思い出す前に彼はそう言って出入り口の方を指差すと、「それじゃあ、」とそそくさ去ってしまった。

あー。思い出せたかもしれないのに。

気を取り直して、出入り口の方に目を向ける。
呼ばれているとは言われたが、別に、知り合いの姿は見当たらない。きょろきょろしつつ、パンを上回る甘さのカフェオレを飲む。うまー。

「あいつじゃねえの」
大人しくなっていた友人が、いつまでもきょろきょろしている俺を見かねたように一方を指差した。指の先には、見知らぬ一年生がいる。
なぜ一年生だと分かるのかというと、制服の胸ポケットの部分のラインが緑色だったからだ。学年カラーは、分かりやすくていい。

「あれ誰?」
「知らねーよ。呼んでるっつーんだからとっとと行ってやれって」

興味無さそうに、かわいそうだろと付け加える友人に目を剥いてから、俺は大人しくそちらに向かった。何やら気に触ることでもしただろうか。心当たりは、あまりない。

お相手は、一年生だというのに俺と張るくらいに背が高くて、しかも男前である。正直顔面偏差値的にはがっつり負けていると思う。しかしそんなことは気にしない。だって男は顔じゃないから―! 心中でどや顔を決めつつ、彼の前に立つ。
そこに親の敵的な悪行を成した虫でも張り付いているのかというほど、引き戸の桟を凝視して俯いていた男前が、弾かれたように顔を上げた。

近くで見るとよりいっそう男前である。なにやら光輝いているような気がする。

「やあ、何か用かね」
威厳たっぷりに、しかし威圧しない程度の茶目っ気も含んだ、年上らしいと我ながら褒めてやりたい第一声だった。

男前はくっきりとした目でじっと俺を見て決心したように唇を開いた。お肌すべすべだなーと俺は思った。

「間明…祥司、さん」
「はいよ」
「お話ししたいことがあります。一緒に来て頂けますか」

小生意気そうな、というか、少しばかり素行不良っぽい雰囲気の見た目からは想像しなかった至極丁寧な口調だった。
真摯な目がゆらゆら揺れている。なんだ、喧嘩を売られるわけではないのだなと気が弛んだ俺は特に考えることもなく「あ、いいよー」と持ち前の軽い調子で了承していた。


そんなこんなで男前くんに連れてこられたのは、校舎の屋上だった。果たし合いにぴったりの場所ね。
ぐんぐん階段を上っていく彼に、どこまで行くのと聞くタイミングがなくて、結局俺は大人しく後を追ってきたのだ。

こちらを振り返った男前くんの髪が風に揺れる。引き結ばれた、一度もがさついたことなどなさそうなぷるぷるの唇を見たら、イチゴオレが飲みたくなった。
戻るときに買っていこう。

「突然お呼び立てしてしまい、申し訳ございません」
「おぉ、かまわんよ」
「俺は、都築基成と言います」
「ツヅキきゅんね、よろしく。俺は、間明祥司でぇす、てのは知ってるんだっけ」
「はい」
頷いた都築きゅんがまた黙り込む。俺はなんのお話だろうと聞いてあげるよ、そんなに緊張しなさんな、という気持ちで彼が再び口を開くのを待った。

「あ、の……」
「なあに」

いい子だからぷるぷるするのはやめなさいね。母性が芽生えそうだから。女子高生になれなかったのに母になってしまいそうだから。
優しい、俺の友人が聞けば鳥肌をたてそうなくらい似つかわしくない、優しい声で促してあげると、都築きゅんはこくっと唾を飲んでから俺の目を真っ直ぐに見た。目力が強すぎて睨まれているようだ。


「俺、ずっと前から―間明さんのことが好き、です」

意を決したように一生懸命に都築きゅんはそう言った。
後輩からの呼び出し、屋上、ド緊張していた目の前の子。

これだけ要素が揃っていても呑気な俺の脳はおやおや? と思うことはなかった。もしかして? と思うこともなかった。呑気な脳みそのおかげで今の俺は目ん玉がとびでるんじゃないかというくらい驚いている。

ええー、だってだってこの子めっちゃ良いお顔してるぞ。選びたい放題したい放題酒池肉林も可能でしょうになんだって俺?
10秒くらい思い切り間抜けな顔を晒して都築きゅんを見ていた俺は漸く合点がいって両手を打った。
「あ、あー、罰ゲーム? これ罰ゲームってやつ?」
「……、ちがいます。―罰ゲームじゃなくて、すみません」
あ、やばい、完全にしくった。

都築きゅんは表情を崩すのをなんとか押し止めようとしたような強張った顔になって、それでもそれだけは制御出来なかったのか、案外黒目勝ちな澄んだ瞳にふわーっと涙の膜が張った。
やっべ泣かした!? 年下の子泣かしちった!! と柄にもなく大いに焦った俺は、距離を縮めて都築きゅんをむぎゅっと抱き締めていた。
泣く子を宥めるときは抱擁だろう。多分。

「ごめんな、罰ゲームならいいなとか一つも思ってねえよ。都築みたいな子ならもっといい人をたくさん選べるのになんで俺? って不思議だっただけ」
「俺は間明さんがいいんです、」

ぐすぐすと泣き声になった都築に「そっか、ありがとう」と返しつつよしよしなでなでと背中やら頭やら腰やらと撫で回す。
都築きゅんはいい匂いがする。

「えーともしかして俺がバイだって知ってた?」
「っえ……、そ、そうなんですか?」
「あ、知らなかったのね」
「知りませんでした―」

同性の先輩に告白するとか度胸がある。というかだからあんなにぷるぷる震えて緊張していたのか。女の子が告白してくるときより緊張感があった。
それで罰ゲームか聞かれたら傷付いて泣きそうになっちゃうんだ。こんな男前が。

……えー。うわー、この子ちょっと相当可愛くないか? 母性本能じゃない感じでも可愛くて撫でくり回したい。

「あ、あの」
「なあに。あ、涙引っ込んだな、よかったよかった」

俺よりは少し小さかった都築きゅんを抱えたまま考え事をしていたら控えめに話し掛けられた。腕は外さないままに体だけを少し離して近い距離で顔を見る。都築は頬を赤くして視線をさ迷わせてから窺うように俺を見た。
あらら上目遣い可愛いねーとほっこりする。


「俺、間明さんのこと、好きなままでいてもいいですか」
「―あ、付き合いたいわけじゃないの?」

好きです、の後に続くのは当然付き合ってくださいだと思っていた俺はがっかりした。それは声音にも表情にも隠すことなく表れたと思う。
そう、がっかりしたのだ。つまり俺はすでに結構、だいぶ、かなり、都築きゅんに傾いていたわけで。「この子俺のものにしちゃいたいなあ」というデビル祥司と「俺のこと好きだってよなんの問題もねえなガッと行け!」というエンジェル祥司が頭の中に生まれていたくらいなわけで。

それなのに当の本人は付き合いたいわけではないと?

俺の問いかけに都築は更に頬を赤くした。桃みたいだ。美味しそう。

「や、えっ、あ、あの、でもそんな……」
「ん? なになに、言ってみ? 俺とは付き合いたくない?」
「あ、つ、付き合いたい、です―」

腰を抱く手に力を込めて体をくっつけながらすりすりと頬を撫でたら、都築は目を白黒させて疑問符をいくつも浮かべながらそう言った。そりゃあそうだ、自分が迫る側だったはずが罰ゲーム呼ばわりした奴に逆に迫られているのだから。しかしその口からはつかえながらではあるがはっきりと付き合いたいという言葉が出た。
脳内では言質をとったぞとデビル祥司とエンジェル祥司が諸手を上げて喜んでいる。俺はにっこりと微笑んで、都築の頬にキスをした。

恐るべきことにそのすべすべした頬からもなにやらいい匂いがした。

「うんうん、付き合おう、都築。今日からお前は俺の彼氏くんな」
「へ、ぇ……っ?」

ぽかん、と口を開けて目を丸くした顔。どんどん可愛くなるな。ちゅっと唇にもキスをする。

「ま、間明さ、ん?」
「祥司って呼んで?」
「しょ、祥司さん」
「なーに」
「付き合う、んですか? 俺と?」
「うん。お前のことめちゃくちゃ可愛いんだよね。恋は突然にってやつだよ、都築。大丈夫、今後もどんどん好きになっていく予感しかないし、俺は恋人を大事にする男」

不安にさせないよとアピールしつつ都築の手を取って掌にもキスをする。意外に柔らかくてすべすべした掌。
都築は更に赤くなって、その赤い顔を俯かせてこの距離だから聞き取れるくらいの声で「嬉しいです」と呟いた。

だから可愛いってこの子。火照った頬を撫でて顔を上げさせてからもう一度、今度は深くキスしてみる。口の中も甘い。都築はもしや俺の為の御馳走なのではないだろうか。
そんな頭の具合が悪そうなことを考えるくらい俺をハマらせるなんて恐ろしい子である。しかもキスに慣れていないのがまるわかりなせいでキュンキュンしてしまう。

このキスが終わったらなんで俺のこと好きになったか聞こうと思う。

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