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「#切ない」のBL小説を読む
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昼寝をしようと思って訪れた人気のない静かな倉庫。そこには先客がいた。
1人を取り囲んで服を剥いでいることから見て強姦の類であろう。

鬼島崇興にとって、そんな現場を目撃したことは不愉快そのものであったし、更に言えば眠気に襲われ、機嫌のよくない時に、こちらを見た男たちが悲鳴をあげたのがいただけなかった。
崇興は自分を見て悲鳴をあげられることが嫌いだ。好きな人間なんていないだろうが、とにかく、崇興は悲鳴を聞くとその発生源を潰したい衝動に駆られる。昔から人よりも強かった崇興の嗜虐心を不愉快なほど刺激されるのだ。

普段のようにただ怯えられるだけなら抑え込むこともできたその感覚は、「強姦魔」という最低最悪の人間たちを前に甚く荒立てられてしまった。
崇興は逃げようとする強姦未遂犯たちが全員床と仲良しになるまで、衝動のままに手足を振るった。誰も立ち上がらなくなったとき、ようやく凶暴な嗜虐衝動は収まりをみせた。
しかし肝心の眠気の方もすっかりと覚めてしまっていた。昼寝の予定は白紙である。

ふう、と一息ついて、崇興はようやく被害者と思われる青年に目を向けた。半分ほど引きずりおろされたスラックスと裂けたカッターシャツ、その隙間から覗く肌。
なんの感情の揺らぎもなくそれらを順に辿っていた。しかし少し吊り気味でたっぷりと水気を帯びながらも意志の強さを窺わせる目と目を合わせたとき、崇興の内に湧き出したものがあった。

本当に唐突に、なんの前触れもなく、この生き物は自分に大切にされるべきだ、と崇興は認識したのだ。崇興自身、その思考に驚いたほどだった。
だが、崇興は一瞬で湧き出し、とめどなく溢れ出しはじめた感情が愛おしさや庇護欲であることを誰に言われるまでもなく理解した。

これまで体験したことのない感情の奔流に身を任せ、青年と視線を絡ませたまま近づいていく。日本人男性の平均身長を遥かに凌駕する体躯を持つ崇興は当然脚も長いが、反面、その動作はとてもゆっくりとしている。
周囲はその緩慢な動作にこそある意味で威圧感を覚えるのだが、それは本人には与り知らぬことである。

ちなみに被害者の青年は実のところ、この学園において莫大な人気を誇る生徒会で会計の役職を持ち、容姿端麗、才色兼備おまけに人望もあるような人物であった。とはいえ、彼の胆力は平均的な人間のそれとかわらない。どころか、どちらかというと小心者の気があった。
つまるところ、崇興が周囲に与える威圧感は青年にもしっかりと作用していた。

強張った表情は変わらぬまま、唇を震わせている青年に崇興は手を伸ばす。しかし、びくりと震えた体と視界に入った自分の手の赤い汚れに、自然、その動きは止まった。

そうか、怖いのか。と新発見をした子供のように、何の邪気もなく思い至る。

崇興は青年を抱え上げようとした先ほどまでの行動をひとまず取りやめ、視線の高さを合わせるようにしゃがみこんだ。混乱を滲ませた目を、じっと見返す。

「―痛いところはないか、ちびっこ」
かける言葉を迷った末に吐き出されたのがこれだった。
表情筋をほとんど全く動かさずに発された問いに、青年は大いに戸惑ったようだがおずおずと頷きで答えてくれた。

「そうかそうか、そりゃあよかった」
「―…あ、の」
「うん?」

ポケットから取り出した紺色のハンカチで汚れた手を拭う崇興。青年は躊躇うように口をむずむずさせてから小さな声で「助けてくれてありがとうございます……」と言った。
周囲の男たちを殴り飛ばしたのは実際のところ助けるという目的からではなかったが、崇興は口に出してわざわざ否定をするということはしなかった。代わりにすっかり綺麗になった手で、後ろ手に彼の腕を拘束していたネクタイを外してやり、目尻にたまった涙を拭って艶やかな黒髪を優しく撫でてやる。

崇興の記憶が正しければ、“優しく”と表現できる触り方を何かにしたことはこれが初めてだった。

青年は驚いた表情をしてから、くしゃりと端麗な顔を歪ませて泣き始めた。押し殺した嗚咽と溢れ出る透明な涙は崇興の項の辺りをざわざわとさせた。
破壊衝動を刺激された時の血液が沸き立つようなざわめきとは、似ているようで全く非なるもの。

体に釣り合う大きな手を青年の後頭部に回して肩に引き寄せる。ハンカチで拭ってやることが出来れば良いのだが、生憎先ほど血を拭いたことでそれは汚れてしまった。
手なんか服で拭っておけばよかった、と崇興は思う。
おずおずと崇興のシャツを掴んできた彼の手首には赤い擦過傷が出来てしまっている。許しがたいことだった。もっと力強く蹴り飛ばしておけばよかった。

風呂に入れて手当てか。いや、その前に、こういう時は風紀に連絡を入れなければならないのだったか。考えながらも崇興の両腕はこれ以上ないくらい優しく青年を甘やかしている。意識せずともそれが出来た。

「―……すみません、俺、泣いたりして……」

しばらくして涙が止まったのか、はあ、と息をついた彼はぐずぐずした声でそう謝った。
崇興は体を離して彼の小さな顔を覗き込む。涙の大部分は崇興のシャツに吸収されていたが、その鼻や目は赤く染まっていた。ああ、痛々しい。かわいそうに。
ポケットティッシュを取り出し、彼に渡してやる。本当は崇興がこの手で拭ってやりたかったが、これは小さな自制だ。

「謝ることはねえよ」
「ありがとうございます……」
 恥ずかしそうにティッシュを受け取って、濡れた頬を拭う彼に、崇興は一度頷く。

「俺は鬼島崇興だ。ちびっこ、名前は?」
「小野和泉……。あの、俺、別に小さくないです―」
 
おのいずみ。

頭の中でその音の羅列を繰り返してから、不満げな和泉に「そうかい、悪かった」と返す。崇興から見れば彼は十分に小さいのだが、確かに平均身長は超えているのだろう。
自己紹介をしあって、ほんのすこし和んだ空気が流れたが、依然として崇興の背後には強姦魔たちがノックアウトされているうえに和泉の服装は悲惨なものだ。

そのことに思い至った崇興は自身のブレザーを脱いで、和泉の肩にかけてやるとそのずり下げられていたスラックスを引き上げてやる。甲斐甲斐しくも素早い手つきに和泉は「自分でやります」というタイミングもつかめなかったようだ。眉をほんのりと下げてされるがままの彼をいいことにベルトまで崇興がその手で締めた。

「さて―和泉ちゃん、この粗大ごみをどうしてほしい?」
無表情にちゃん付けをされた和泉は一瞬ぽかんとしてから、粗大ごみという言葉が意味するものに思い至って、ちらりと崇興の背後に視線をやり、すぐにそらした。
こちらに顔を向けて気絶している男の顔が鼻血で大惨事になっていたようだ。

「風紀に連絡するか」
「だ、だれにも、知られたくない」
「そうか」

きゅっと手を握り締めて告げられた要望。この瞬間、崇興にとって大切なのは和泉の希望だけであったので、何の否も唱えることなく任せろという意味を込めて頷くと崇興は徐に立ち上がった。和泉が誰にも知られたくないというのなら、それを叶えるまでだ。

崇興は一度身を屈めると、一番手近にいた男の首根っこを掴んで軽々と持ち上げ、容赦のない平手打ちをその顔に食らわせた。男は崇興に強かに腹を蹴られたせいで人生初の気絶をしていたのだが、衝撃と痛みに意識が戻った。彼は自分をがっしりと捕まえている恐ろしい男に悪夢再び、と悲鳴をあげた。
許してくれと訴える男に崇興はぐっと顔を近づける。

「お前らがしたことを誰にも口外するな。二度と和泉の視界に入るな。言う通りにしなかったらどうなるか、今ここで教えてほしいか?」

低い恫喝に男はもげそうなくらい激しく首を振って、言うとおりにすると叫んだ。そうなれば、もう用はない。
崇興はぱっと手を放し、床に倒れこむ男には見向きもせず和泉のほうに戻った。そうして所在なげな表情で見上げてくる彼をいとも軽々と抱き上げた。

「う、わ―!?」
「手当てに行こうなァ、和泉ちゃん」
「ほ、保健室は、」
「行くのは俺の部屋だから大丈夫さ」

ぽんぽんと着せてやったブレザー越しに背中をたたくと、腕の中の体からは強張りがとれた。もう警戒されていないようだ。
その事実に気分がよくなった崇興はうっそりと口角を上げた。目撃する者がいたなら、失禁してしまっていただろうというほど恐ろしい笑みだったが、幸いなことにそれを見た者は誰もいなかった。

***

生徒会執行部会計、小野和泉はまだ茫然としていた。
ひどく思考が鈍くなっていることを自覚しながら、促されるままに入った浴室で髪と体を洗って、仄かにバニラのような香りのするミルク色の湯に浸かった。
熱すぎない湯の温度が心地よくて、ほう、と息が漏れた。擦り傷と殴られたところが痛む。
和泉は浴槽の中で膝を抱え状況を整理しようと、努めて頭を働かせ始めた。

人気のない倉庫に引きずり込まれあわや強姦されるというところで和泉を助けてくれたのは学園で極悪非道、血も涙もない、と言われている恐ろしい噂だらけの悪名高き男、鬼島崇興であった。
対面したのも初めてで、当然言葉を交わしたこともなかった彼が加害者の男たちを殴り蹴り投げ飛ばす様は確かに壮絶なものがあったが、和泉への扱いは戸惑うほどに優しく丁寧だ。
彼の態度は怯え切っていた和泉に毛布で優しく包み込まれたような安心感を与えた。だから抱き上げられても抵抗する気にはならなかった。
風呂を薦められたのも、舐められたり触られたりしたところを早く洗いたいだろうという崇興の気遣いである。

噂に聞いていた鬼島崇興と自分を助けてくれた彼は別人なのではないかとすら思ったが、壮絶な暴力を思い出して、いや、確かに同一人物なのだろうと考え直す。だが、噂通りの人間ではない、のだろう。
彼の手はとてもとても優しかった。彼は和泉を助けてくれた。
それに、とんでもない目に遭ったという恐怖心は悠然と暴れる崇興の姿を見たときに衝撃のあまり薄らいだきり、ぶり返す気配はない。先ほど安堵したのと同時に散々に泣いたのもよかったのかもしれなかった。

崇興は和泉に危害を加える人間ではない。ここは安全だし、さっきの奴らはもう和泉の前には現れない。
そう結論づけると和泉は心からほっとした。

十分に温まってから浴室を出て、ふんわり仕立ての厚手のタオルで体を拭き、用意されていた服を着た。元々着ていた制服の方はいつの間にか回収されていて見当たらない。
崇興が出してくれていた服は当然彼自身のものらしく、上下共に大きくて和泉が着るとあまり見栄えが良いとは言えない状態になってしまったが、和泉はそのことはあまり気にならなかった。それより考えていたような煙草の匂いなど一切しないし、それどころか柔軟剤の香りがほんのりとするということの方が大事だったのだ。
くんくんと袖口に鼻を当ててみて頬を緩ませる。落ち着くいい匂いだった。

洗面所を出た和泉はリビングに行くが、部屋の主の長身が見当たらなかった。きょろきょろと視線を彷徨わせる。すると、ちょうどキッチンから出てきた崇興と目が合った。
その手には湯気のたつマグカップが二つ。

「よく温まったか」
「はい、ありがとうございます」
「こっちに座んな」
手招きされて、いそいそとソファーに腰かけるとマグカップを一つ手渡された。ホットミルクだ。もう1つのカップの方はコーヒーである。

わざわざ自分の為にミルクを温めてくれたのかと和泉は微かに頬を緩める。じっとその様子を見つめていた崇興がふっと目を細めた。

「落ち着いたみたいだな」
「はい……鬼島先輩のおかげです」
「敬語なんかいらねェよ。それに、崇興でいい」
「崇興先輩?」
「崇興。」
「―崇興……さん」

和泉は年上で知り合ったばかりの崇興を呼び捨てにできるようなタイプではなかった。顔つきは生意気そうだとよく言われるが、実は礼儀を気にする律儀な人間なのだ。
敬語はなくせと言うならば一応頑張ってはみるが、呼び方に関してはこれが精一杯であると目で訴える。
しっかりとその意を汲み取ってくれたらしい崇興はふむ、と頷いて「それでいい」と和泉の濡れた髪を梳いた。それからタオルを手に取って優しく頭を拭き始める。和泉は慌てて口を開いた。

「自分で―、」
「和泉ちゃんは、その中身をゆっくり、火傷しないように飲むことがお仕事だよ」
そう言い出すことが分かっていたかのように返される。和泉は大人しくホットミルクに口をつけた。

真っ白の液体はほんのりと甘く蜂蜜の味がした。

粗方髪を拭き終えると、崇興は寝室へ行って手当に必要なものを持ってきた。まずは両手首を片方ずつ、丁寧に処置してもらい、他に怪我はないかいと尋ねられる。

「お腹―、連れていかれる時に殴られた」
風呂で見下ろした際に、既にうっすらとあざを作り出していた腹を見せるためにぶかぶかのシャツをめくってみせる。崇興はぐっと眉間に皺を寄せた。心配してくれていることを知らなければ震えながら謝り倒してしまいそうな表情である。

「かわいそうに、痛かったな」

誰がどう聞いても甘やかしている声音と優しい口調。ついでに頬をさするように撫でて痣にそっと口づけまでされれば、和泉が彼をいい人、優しい人という認識を強めるのも当然であろう。頬への口づけに性的な気配は一つもなく、労わりに満ちていたからか、和泉は特別驚きもしなかった。
自らが人見知りの気質であることも忘れて、和泉は思わず「もっと撫でて」とばかりに大きく無骨な手にすり寄ってしまう。

「可愛いね、和泉ちゃん」

少しひやりとする湿布を張り付けその上からもう一度唇を触れさせると、崇興は流れるような動作で和泉をその膝の上に抱き上げた。
物慣れぬ密着にはさすがに気恥ずかしさを感じたが、大人しくされるがままでいた。崇興は和泉が嫌がることはしないだろうし、嫌がって見せればこの膝からもすぐに下ろしてくれるのだろうと、なぜか彼のことをほとんど知らないくせに和泉はほとんど確信していた。

「―崇興さん」
小さな声で名を呼んでみる。とても近い距離だからだろうか、崇興が嬉し気に目を細めたのが和泉にはちゃんと見えた。表情はあまり動かないが、感情は伝わってくる。

「和泉ちゃん、俺の大切な子になってくれるかい」
幼子を甘やかすような手つきで背中を撫でられ低く囁きかけられる。
「大切?」
「和泉ちゃんを大事にしたい。可愛がりたい。甘やかしたい。和泉ちゃんのことを考えて、和泉ちゃんのために、俺を使いたい」

自分を使う、とはどういう意味だろうと目を瞬いた和泉に、「なあ、いいか?」と彼が問う。
間近にある目は狼のようなアンバーだ。「いいって言って」とその目に甘えられている気がして、日本人には珍しいその色を有す瞳に見惚れながら、あまり理解が及ばぬうちに和泉はゆるりと確かに頷いていた。
にい、と凶悪な笑みを浮かべた崇興を見て一瞬早まったかもしれないとは思ったけれど。
彼の言葉を嬉しいと感じたのは紛れもなく本当なのだからそれでいいと和泉は心中で頷いた。

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