ギンモクセイ
「あれ?ゾロ、いたんだ」
丸い図書室の壁沿いに、ぐるりと取り付けられたベンチ。
その上に立っている私を見て、ハシゴを下りてきたゾロが首を傾げた。
ベンチに爪先立ち、壁沿いに手を伸ばしながら、
「お風呂?お昼から珍しいね」
尋ねると、首にタオルをかけたゾロが、不服そうに舌を鳴らす。
「チョッパーがうるせェからな」
「あ、トレーニングしたんでしょ?汗かいたんなら、流さないと風邪ひくんだよー」
「…なんの匂いだ?」
また、不思議そうに首を傾げ、ゾロは鼻をひくつかせた。
「あ、これこれ。私が持ってるヤツ」
「木?…花か」
「ギンモクセイ。さっき町で、ひと枝譲ってもらったんだ」
こちらへ近づいてきたゾロから、一瞬漂ってきた石鹸の香りは。
ギンモクセイの甘い匂いに、あっという間にかき消されてしまった。
「ここなら、お風呂の時にみんな通るし、食べ物の匂いと混じったりもしなくていいでしょ」
「で、お前は何をしてんだ?」
爪先立ちでは追い付かず、窓枠に片足をかけた私を、呆れた目で見つめるゾロに、
「フランキーが、かけるとこ作ってくれたんだけど。ちょっと高すぎて」
そう説明しながら、窓にかけた足に力を入れた。
伸び上がるように、上へと手を伸ばしたけれど。
手にした一輪挿しは、フランキーがつけてくれた金具には引っ掛からない。
そんな私の様子に、ゾロは小さく息を吐き、
「貸せ、河鹿」
私の手から一輪挿しを奪うと、刀をベンチに立てかけ、靴を脱ぐ。
「ありがと」
言いながら、場所を空けた。
ゾロはベンチに片足をかけ、金具の位置を確かめる。
「誰もいないからやってみたけど、やっぱり無理だね。ゾロがいて良かった」
「チョッパーも出たのか?」
「私と入れ違い」
ベンチの背もたれに爪先を乗せ、本棚に手をかけて躰を支えたゾロは。
竹製の一輪挿しに巻かれた針金を、金具に引っ掻けてくれる。
甘い香りが、少し遠くなった。
「これでいいだろ」
「うん!あ、ちょっと待って。水も入れて?」
「あ?」
ベンチに降りようとしていたゾロが、微かに眉間を寄せた。
「入れてねェのか」
「だって、こぼしそうだったから」
「…あの様子じゃ、仕方ねェか」
「あれ?どこに置いたかな」
足下を確認して、次にキョロキョロと辺りを見回した。
中央のテーブルの上に、水を見つけ、私は裸足のままベンチを飛び降りる。
足下だと蹴飛ばしそうだから、テーブルに置いたんだった。
首を曲げた長いストローが刺さった皮袋を掴み、ゾロの側に駆け戻る。
「ストローの先を一輪挿しに入れて、袋を押したら水が入るから」
「こってんな」
「ウソップが作ってくれたの。一輪挿しも」
「そうか」
ゾロが、一輪挿しにストローの先を差し込むのを見て、靴を履こうとベンチに腰を下ろした。
ギンモクセイの香りが、また強くなって。
窓から入ってくる、午後の日射しと混ざるように、図書室中に広がっていく。
ヒールの高いサンダルに片足を入れ、私はゾロを仰ぎ見た。
「強く押しすぎたら、溢れるから、気を…」
一輪挿しから溢れた、スローモーションのように降ってくる水と。
周章てたゾロの表情を、視界に捉えるのと同時に、
「うわっ!」
「悪ィ!」
「あっ…」
顔に水を浴び、立ち上がった私の足下で、片足だけ履いた高いヒールが揺らいだ。
落ちた皮袋が水飛沫をあげて、ベンチを濡らす。
思わず伸ばした腕を、ゾロの手が掴んだけれど。
崩れた躰のバランスを、私は立て直せない。
ゾロの不安定な体勢も崩れて。
背もたれから下ろした足が、濡れたベンチで滑った。
「や…!」
床まで滑り落ちたゾロの手が緩み、私は後ろ向きに崩れ落ちようと──。
「河鹿」
我にかえると、私は床に座り込んでいて。
目の前に、ゾロの焦った顔があった。
腕と腰に当たる、熱い掌。