ここは、静かだ。
雨上がりな訳でもないのに、何故かひんやりと湿っている。
「おーい、ゾロー!河鹿ー!」
遠く、チョッパーの声が聞こえる。
「探してる」
「そうだな」
美しい藤棚の下に並んで立ちながら、視線は藤の花にも、互いにも向かわず。
ただ二つの躯の間にある僅かな空間の事を、強く、強く意識している。
「ゾロー!河鹿ー!」
「迷子になったと思われてるのかも」
「……」
サンジの作ったお弁当を、みんなで公園で広げた。
そこから、二人でいなくなる理由を、チョッパーに判れというのが酷かもしれない。
何故か、笑いがこぼれた。
「どこだー!?」
遠く、近くと移動する、声の距離を無意識にはかりながら。
ここにいる私たちは本当に、その理由を知っているのかと、自らに問い掛けた。
緩い風が藤の花を撫で、
「ゾロー、河鹿ー」
遠いチョッパーの叫びと、少し先にあるゾロの膚の熱さを、私に伝えながら消えていく。
一瞬の膚の気配に、焦れる。
「声かけなかったの、まずかったかな」
「構わねェだろ」
ゾロが僅かに身動ぎすると、その熱がさっきよりも強く感じられ、私は微かに震えた。
「でも」
「河鹿」
周りの空気が密度を増し、焦れ続けた胸が、燻って煙をあげそう。
「おれの声だけ聞いてろ」
その我が儘な言葉を、甘い響きに変えてしまう程静かな、この場所で。
私の鼓動だけが騒がしい。
「…じゃあ、何か言ってよ」
それでも、そう口にする。
勝ち負けがある訳でもないのに、不思議。
でも。
ゾロだって、少しくらい動揺すればいい。
「……」
ちらりと盗み見た横顔。
困ったように眉を寄せながら、ゾロは言葉を探している。
「おーい、ゾロー!河鹿ー!」
ずいぶん近くなった呼び声に焦りを感じて、私はじっとゾロを見つめた。
この場所の、この僅かな時間を、特別なものにしたい。
上手なセリフなんか求めてた訳じゃないのに、どうしてあんな切り返しをしてしまったのだろう。
「ゾロ」
頭をガリガリと掻いてから、ゾロは私に視線を向けた。
「あ、なんかゾロのニオイするぞ。こっちの方から」
はしゃいだようなチョッパーの声と、藤棚の向こうの背の高い下草を掻き分けるガサガサした響き。
段々近づいてくるその音を聞きながら、私はゾロの瞳を見つめ続ける。
「河鹿、あのな」
「私、ゾロだけ見てる」
「ギャー、何か顔についたぞ」
チョッパーの叫びに、つい耳を奪われながら、私はせめて眼差しに想いを込め。
少し細められた、だけど真っ直ぐこちらを向いたままのゾロの瞳を覗き込み、
「ゾロも、私だけ見てる?」
「蜘蛛の巣ー、取れねェ。ロビンー」
ギャーギャーと騒がしい声が響く中、その答えだけに耳を澄ませた。
「ああ」
笑っても、優しい表情だとは言えないけれど、私を嬉しくさせるには充分過ぎる。
つかまれた手首から駆け上ってくる痺れと相まって、おかしくなってしまいそう。
ふわふわと浮かれる私を引き寄せ、
「だから、安心しておれだけ見てろ」
耳許でゾロが囁いた瞬間、私の全てが温かさに満たされた。
背中に腕を回しながら、服ごしの膚に額を寄せる。
言葉より、こういう感じの方が、ゾロっぽい気がする。
勿論、さっきの言葉にもグラッときたけれど。
「うえー。口の中にも入ったぞ…」
再びガサガサと草が鳴り、私は首を傾けるようにして、そちらを見つめた。
このままチョッパーと顔を合わせて、大丈夫なのかな。
その考えとはうらはらに、私の手はゾロのシャツの背中を握りしめた。
だって、離せない。
「ゾロー、いるのかー?探しにきたぞ」
声と共に、獣型になっているらしいチョッパーの角の先が、繁みから姿を覗かせる。
思わず、しがみつくように手に力を込めた私の視線が、何故かロビンとぶつかった。
「……」
角がかき分ける草の間からこちらを眺め、微かに微笑んだロビンは、胸の前で手を交差させた。
「わっ。なんだ!?なにすんだ、ロビン。見えねェぞ」
咲いた手に視界を塞がれたチョッパーが、草をなぎ倒しながらじたばたと足踏みすると、
「ここにゃあどうやら、迷子はいねェな」
現れたフランキーが、チョッパーを小脇に抱えた。
「えっ、いねェのか?」
「迷子はな」
「えー。どこ行ったんだろうな、ゾロと河鹿。世話が焼けるな」
人獣型に戻りながら嘆くチョッパーを抱えなおしながら、フランキーは親指を立ててニヤリと笑い。
繁みの向こうへと消えて行った。
ゾロの背中側で、親指を立て返した手を、見てくれてたらいいんだけど。
つい笑ってしまった私の頭を、ゾロの掌がポンとはたき、
「よそ見か?河鹿」
そのまま、髪を撫でるように滑り落ちた。
「…ごめん」
ゾロの肩に顎をのせて、耳許でそう囁いた途端。
風がさらりと言葉を吹き消し、藤棚をかすめて、繁みを揺らした。
「河鹿?」
流された言葉を探すように、細まるゾロの瞳。
爪先立って顔を寄せた私は、
「ううん…ずっと、ゾロだけ見てるよ」
そう告げて、笑った。
ここは、ひんやりと静かだ。
その中で、ゾロと私だけが今。
ただ、沸き立つように熱い。
《FIN》
Flowers - Wisteria -
2008.05.16
Written by Moco
(宮叉 乃子)