月下美人
船を下りて、送ってくれた皆に大きく手を振った。
「着いた…!」
はやる気持ちを抑えつつ、私は街の方へと足を進める。
小さな紙片は相変わらず、手のひらの上をもぞもぞとにじっている。前に説明を受けた時にも思ったけど、いったいどういう理屈なんだろう。
でもこれが、歳月も距離も越えて私たちを結びつける。
とりあえず向かうべき方角を確認して、バッグの奥にビブルカードを厳重にしまいこんだ。
貼れる場所にならどこでも、という感じの雑多なチラシを眺めながら足を進める。気になる1枚については、近くにいた人に詳しく話を聞いてみたりもした。
港を出たところで、私は一度立ち止まった。
「懐かしい…かな」
2年の歳月を経ても、シャボンディ諸島の雰囲気はあのころと変わらないままだ。
表通りの華やかな賑やかさ、そしてその裏に必ず漂う猥雑さ。
時折手渡されるチラシを受け取りながら、ぶつからないよう人混みをすり抜ける。こういうことも以前よりやたらと巧くなった。
歩きながら、受け取ったチラシに素早く視線を走らせる。
『巨大ショッピングモール開店セール』『必要な額ご用立てします』『ソウルキングライブ チケット高価買取』『あなたに素敵な出会い』『麦わらの一味 仲間募集』『異国、珍品展示会』
港で見かけた貼り紙と同じものばかりで目新しいものはない。
私は重ねたチラシを力任せに捻って、バッグの隙間にねじ込んだ。先を急ごう。
早くみんなに会いたい。
荷物もあるし、ボンチャリを借りた方がいいかもしれない。近くにレンタルショップは──。
「河鹿」
「え?あ!」
すぐ近くで名前を呼ばれ、私は慌てて顔を上げた。
腰に下がる3本の刀、少し厳つくなった体格、左目に縦に入る傷。懐かしい緑色の髪。
変わったところと変わってないところを瞬時に確認しながら、私はゾロに笑いかけた。
「ゾロ、ひさしぶ…」
「河鹿、お前何番だ?」
「何番?ん…南蛮?」
番号を聞かれる意味がわからない。飛ばされたのは西だったけれど、どこかで南方の影響を受けたりしたかな。
私が戸惑っていると、ゾロが怪訝そうな顔をする。
そして次には得心がいったように、背後を親指で示した。
「まだ、"BAR"に顔出してねェのか」
「あ、私さっき着いたばっかり…あれ、船より"BAR"が先?」
「そっちが先だ。義理を欠くんじゃねェ」
「そうだね。ごめん」
2年もサニー号を守ってくれていたんだし、現在の状況を知るためにもまず"BAR"に顔を出すべきなのは当然だった。
でも、13番グローブはゾロが指している方じゃないと思う。
そういうところは変わってない。
でもゾロのくせに私より先に島に着いて、その上シャッキーの店にもきちんと顔を出してるなんて。
1年くらい時間をかけてたどり着いたのか、まさか方向音痴を装ったよく似たニセ者──。
「あ、そういえばニセ者出てるね。仲間募集のチラシとかあるからびっくりしちゃった」
「出港までの目眩ましにはなるな」
「そうだけど。聞いたら、私とブルックのニセ者はいないみたいだったよ、なーんか腹立つ」
私の言葉に、ゾロが微かに笑った。
少しカチンときて、何か言ってやろうとした瞬間、少し先で小競り合いの声があがる。
二人で同時に騒ぎの中心へ視線をやり、ルフィの姿がないことを確認した。
「河鹿、早く"BAR"に顔出してこい。ルフィが着いたら騒ぎが起こる可能性が高いだろ」
「うん。ゾロはどうするの?もうサニー号に向かう?」
「いや、オレは釣りに行く。後で何番だったか教えろ」
「それ、そんな大事?あ、ちょっ…」
そのまま歩み去ろうとするゾロの腕を、私は慌てて掴んだ。
「ゾロ!そっちは中心部。釣りでしょ!?」
「島なんだから、歩いてりゃ海につく」
「いつどうなるかわかんないんだから、近場でやって!この辺にいるって判ってれば探すの楽なんだから!」
不服そうなゾロの腕を無理に引いて、とりあえず道の端に寄った。
人をかき分けて案内板の近くに向かい、釣りが出来そうな場所を確認する。
「そういえば釣竿持ってるの?」
「ねェな」
「…どうやって釣るつもりか聞いていい?」
「借りりゃいいじゃねェか」
ゾロの返事に、私はもう一度看板を見つめた。近場で釣竿を貸してくれる釣り場──。
「あ。海の近くに漁師さんがやってるお魚屋さんがあるよ。ここに行ってみれば?」
ゾロを見上げた時、急に後ろの人混みが一方に流れ出した。
押されてはみ出してきた人たちも同じ方向へ向かおうとするから、私たちもそちらへ流されてしまう。
「なんだろ」
「さぁな」
好奇心に負けて、流されるまま着いていってみる事にした。
ゾロも特に急いでいる訳ではないからか、流れに逆らう気配はない。
「さぁ、ここでしか見られない珍しい生き物が目白押し!ツチノコ・イエティ・チュパカブラ!!」
「いにしえの黄金像はこちらです!霊験あらたか!!」
「お代は見てのお帰りぃ!!」
賑やかな呼び込みが始まると同時に『異国、珍品展示会』という大きな看板も目に入った。
チラシで見かけた催しは、ここで行われているらしい。
背伸びして人並みの向かう先をみると、大小幾つものテントが立ち並んでいる。
流されるままに歩きながら、私はゾロを見上げた。
「ゾロ、私以外にも誰かに会った?」
「いや」
「そっか。みんなどんな風になってるかなぁ。早く会いたいな」
そうか、私が最初なんだ。
弾むような気持ちで、ソウルキングのTシャツを着た一団の横を通り過ぎた。ブルックは全然変わってなさそうだ。
テントの入り口が近くなり、手長族の男がニヤつきながら揉み手をしている姿が目に入る。
その隣にいるこれまたニヤついた男が、カラーの三つ折りパンフレットを渡してきた。
「こちらは珍しい植物の館。世界一大きな花、ニワトリをも溶かす食肉植物、今日は年に一度しか咲かない花も咲いております」
テントの入り口をくぐると同時に、外からそんな口上が聞こえていた。
ゾロが不満げな様子で呟く。
「ん?イエティじゃねェのか」
「ゾロ、そんなのに興味あるの?意外」
「いるっていうなら見るだろ」
「うーん…そうかな」
道でばったり会いたくない生物なんか、特に見たいとは思わない。
そういう考え方は今でも、多分ナミとしか共有出来ない。ウソップとチョッパーは怖がりながらも見に行きそうだし、そうなれば他のメンバーは然もありなんってところ。
「見に行く?入ったばっかりだから…」
言いながら振り返ってみた。
でもぎっしりとした人混みを見るに、逆戻りはとても出来そうにない。
「ムリだね。ここ見た後でまた並ぶ?」
「おれは釣りに行く。実在するなら、そのうちどっかで会うだろ」
「うわー、その未来すっごく嫌。あ、見て。なんか変な花」
私が指差した先に目をむけたゾロは、不審そうに眉根を寄せた。
見つめる先にある植物は、細い枝の先にドクロが幾つもぶらさがっているみたいだ。
「ブルックに見せたら何て言うかな」
「見せるならあっちの方がいいんじゃねェか?」
ゾロは少し離れた場所を指し示す。
赤く短い枝のそれぞれに目玉がくっついているような奇妙な花に、今度は私が顔をしかめる。
『ホネだけに目はないんですけど!』とか言い出したら渡してみたい気がしなくもない。
「なんか不気味なの多いね」
「『珍品』だろ」
「すごくキレイで珍しい植物もあればいいのに」
ロビンはここに来たかな。まだ着いてないなら、見る暇はないかもしれない。
後で会ったら、すごくキレイで珍しい花はどういうものがあるか聞いてみよう。
人の流れに従って、木の根元に生える大きな花や、手の形の花、キノコみたいな形状の木を見てゆく。テントの入り口のところで聞いた、ニワトリも溶かす大きなウツボカズラもちゃんとあった。
「サニー号の材料の木とかないのかな?宝樹ってどんな感じだろ」
「サニー号を見りゃいいだろ」
「地面から生えてる時のは、な、し!」
ゾロはこれを素で言ってるところが困る。
フランキーは見たことあるのかな、大きな樹だとは聞いたことがあるけれど。
急に人の流れが滞りだした。
「今度はなに?」
「小屋があるな」
「はい、お時間です。入れ替えですよ!!お出口は向こう側になります!」
小太りの手長族が小屋の中に向かって声を張り上げる。
順路の矢印は小屋の中を指しているから、あの中を通って行かなければならないらしい。
「さぁ次の方どうぞ、入ったら奥へ詰めて下さい。止まらないで」
係りの声にあわせて、狭い入り口をどんどん人がくぐってゆく。
私たちの少し前で、この回の入場は締め切られてしまった。
隣同士で2人並んだまま入れ替えを待つ。
「『月下美人』だって。キレイそうな名前」
「中がずいぶん暗いな」
「ホントだ」
ゾロの腕を支えにしながら背伸びをして、前の人の頭の間から中を覗く。
人のシルエットがなんとか確認できる位まで、かなり照明が落としてあるようだ。
「『月下美人』ってどんなのかな?」
「入りゃわかる」
「キレイかなぁ?」
「はい、お時間です!」
手長族の男がまた声を張り上げ、私は背伸びをやめて踵を下ろした。
そこからの待ち時間はさほどなく、列が進み始める。
「奥へ!詰めてください!」
係の声を聞きながら入り口を潜ると、薄暗い空間が広がっていた。
暗がりの中から漂ってくる、甘い香り。