萩・枯尾花
ゾロが手に持つ枝には、小さな白い花がたくさんついている。
「これ、何の花?」
私が喋ると、目の前の花がふわふわと揺れた。
羽ばたきをしている蝶のようで、すごく可愛い。
ゾロはちらりと私を見て、枝をこっちに差し出した。
「萩とか言ってたな」
「ふーん。でも、なんで持ってるの?」
花を受け取り、重ねて問いかけると、ゾロは頭を掻きながら面倒くさげに口を開いた。
「貰った」
「誰に?」
「知らねェジイさん」
「知らない人が?ゾロに花?」
素朴な枝とゾロを交互に眺めていると、自然と歩が緩んだ。
ゾロの向こう側にいた人獣型のチョッパーが、私の方に近づいてくる。
「河鹿。ジイさんは、団子も食わせてくれたんだぞ」
両頬を蹄で挟み、チョッパーは幸せそうな表情を浮かべた。
肘にかけた小さな袋が、チョッパーの歩みに合わせて揺れている。
「あんこの団子と、たらしの団子だったんだ。どっちもすげェ美味かったぞ」
「たらしの団子?」
目鼻のついたお団子が、キラキラをバックにバラをくわえている。
そんな映像が頭に浮かんで、私は顔をしかめた。
こっちを見上げていたチョッパーの表情が、みるみるうちに困り顔へと変わってゆく。
「違ってるか?そんな名前だと思ったんだけどな」
「『たらし』じゃねェ、『みたらし』だ」
チョッパーのピンクの帽子を後ろ手で軽く弾いて、ゾロが呟くようにそう告げた。
「そうかー。河鹿、みたらしだぞ。甘辛ェんだ」
チョッパーが表情を輝かせ、改めて正しい名前を伝えてくれる。
私は笑って頷いた。
「うえっ」
「大丈夫?」
次の瞬間、ゾロの脚にぶつかって尻餅をついたチョッパーに、私は慌てて声をかける。
「危ねェぞ、ゾロ」
立ち上がってお尻をはたくと、チョッパーはゾロの膝裏に蹄を置いてぼやいた。
足を止め、一点を見つめているゾロの表情を、私は恐る恐る窺う。
「どうしたの?ゾロ」
「…たらし込まれてるヤツが、あそこにいるな」
呆れた口調で示す先に、視線を向ける。
そこには、たくさんの荷物を抱えた後ろ姿。
野菜の絵が描いてある箱を小脇に抱え、肩にはたくさんの大きな紙袋。
──見覚えがある。
あのピンクのも、右肩にかかってる分も、今日ナミやロビンと買い物したショップの袋だ。
「…さすがナミ」
ナミが先に船に戻ると言ったから、荷物を預けた。
でも、それを実際に運んでいるのは、ウキウキした様子のサンジ。
別れる間際のナミのウインクを思いだせば、その理由は明白すぎるくらい明白──最初から上手に押し付けるつもりだったんだ。
少しだけ申し訳ない気持ちになって、私は手を振りながら大きな声で呼びかけた。
「サンジー!今、帰りー?」
「河鹿ちゃん!」
振り返ったサンジが、ぱっと表情を輝かせる。
そしてクルクルと回りながら、こっちに向かってきた。
振っていた手を下ろした私の横で、チョッパーが不思議そうに首を傾げる。
「ん?たらし込まれてるのはサンジなのか?」
困ったように眉を下げ、腕を組みながら、チョッパーは頭の上にクエスチョンマークを沢山飛ばしている。
やがて意を決したように、ゾロの手を蹄でつついて問いかけた。
「なぁ、ゾロ。たらし込まれてるって何なんだ?」
「こういう状態だ」
私の前で立ち止まったサンジを指差し、真顔のゾロがあっさりと言ってのける。
向けられた指を払いのけ、サンジは不愉快そうに眉根を寄せた。
「おれがどうしたってんだ!?クソマリモ」
「大声出すんじゃねェ、グル眉」
「あァ!?んだと、コラ」
煩わし気に片方の耳を塞いだゾロに向かって、サンジが腹立ち紛れの蹴りをくり出した。
鞘で受けとめた靴を跳ねのけるように、ゾロが大きく刀を薙ぐ。サンジは荷物を抱えたまま素早く飛びすさり、片足で着地したあと器用にバランスを整えた。
そのあとは、いつも通りの小競り合い。
2人から距離を取りながら、私とチョッパーは目を見交わし、ため息をついた。
「止めるか?河鹿」
「町も出たからいいんじゃない、やらせてて。どうせ、ケガなんかしないよ」
「そうだな。2人でケンカして、ケガしたことねェよな」
チョッパーが安心したように歩き出した。
並んで歩きながら振り向いてみると、ゾロとサンジも揉めながらついてきている。
辺りはもう薄暗く、船へむかう足が自然と早くなる。
秋だからか、ずいぶん日が暮れるのが早い。空気も少し冷たくなってきた。
港まではただの野道だ。
薄いグレーの空をバックに、たくさんのススキが風に揺れている。
まれにごつごつした大きな岩や背の低い木が、草の中から姿を現した。
寂しいようで、どことなく雰囲気が感じられる風景。
手にした枝の上で、可憐な花も風にさやさやと身を震わせている。
「チョッパー。これ…萩だっけ、カワイイよね。何で貰ったの?」
くりくりとした瞳で私を見上げたチョッパーが、萩の枝に視線を移し、
「その花が生垣に咲いてんのを、ゾロと見てたんだ。たくさんあってキレイだったんだぞ」
手を横に広げて『たくさん』を表現したあと、嬉しそうに笑った。
「そしたら、家の中から出てきたジイさんが団子食わせてくれてな。帰る時に、団子の粉の余ったやつと花をくれたんだ。サンジ、団子作ってくれるかな」
手にした袋を持ち上げながら、チョッパーが首だけで振り返った。
「このカビ団子頭がッ!」
「枯れススキみてェな頭で何言ってやがる!」
寂寞とした景色をバックに、殺伐とした争いはまだ続いている。
ため息をついたチョッパーが、袋を大事そうに抱えなおした。
「ゾロもサンジも飽きねェな」
「ホント。サンジなんか、あんなに荷物持ってるのに」
サンジの肩にかかる紙袋が、擦れあってガサガサ音を立てているのが気になってきた。
破れて服が地面に落ちたりしたら──ナミは怒るだろうな、間違いなく。
「ねぇ、やっぱ止めようか?私、サンジを止めるから、チョッパーはゾロを」
慌ててそう言った私は、チョッパーの表情を見て途中で口をつぐんだ。
まんまるに見開かれた目は、私を通り越してススキ野原を凝視している。
パクパクと声にならない言葉を紡いでいた口が、大きく開いたまま固まってしまった。
チョッパーの視線を追おうと、ススキの方を見た瞬間、
「ギャー!」
後方からのものすごい悲鳴に、心臓が飛び出しそうになった。
「うわぁ!なになになになに、チョッパー!何!?」
「オ・オ・オ」
「おい、どうした?」
「平気か、河鹿ちゃん!?何があった」
駆けてきたゾロとサンジに、首を振ってみせた。
ススキ野原を見渡したゾロが、刀に手をかけたまま首を捻る。
サンジは、驚愕の表情を浮かべたままのチョッパーをしばらく見つめ、訝しげにゾロへ問いかけた。
「おい、何か見逃してんじゃねェのか?」
「お前は見えるか?」
「…いや」
サンジは唇の端を下げ、困ったように指で髪を掻き混ぜた。
改めてススキ野原を見渡したゾロが、チョッパーを見つめながらふっと息を吐く。
「何が見えた?チョッパー」
「オ、オバケいた!おれ、手招きされた!」
チョッパーの言葉で、張り詰めていた空気が一気に弛んだ。
私も一応、風に揺れるススキの中に、異形のものの気配を探してみた。
もちろん、なにも見つからない。
刀から手をはずしたゾロと、野菜の箱を地面に置いてタバコを取り出したサンジが、次の言葉を探すように視線を宙に泳がせる。
チョッパーが、本気で怖がっているのはすごくよくわかる。
ガクガクと震える足元や、涙を浮かべた瞳、どれをとっても嘘には見えないから。
でも、さすがにオバケは──。
「オバケの手招きじゃ、行き先は地獄ってとこか?」
「あああ。やめろよ!やめてくれよ、サンジ!」
サンジが怖がらせると、チョッパーは忙しなく手足をばたつかせたあと、頭を抱えて固まってしまった。
それを見ていたゾロがふっと息を吐き、チョッパーの帽子に手をのせる。
「おおかた見間違えたんだろ、帰るぞ」
「そうだよ、チョッパー。怖がらなくても、オバケなんかいないってば」
ゾロのあとに私が続けてそう言うと、チョッパーは蒼白──毛であんまりわからないけど──な面を上げ、カクカクとした動きで私の足元に近寄ってきた。
ひざに触れる蹄の先が、少しくすぐったい。
「スリラーバークにいたじゃねェか!…あれ、まだ河鹿いなかったか?」
聞いたことのない名前に曖昧に頷くと、チョッパーは視線をゾロに移した。
「なあ、いたよな?オバケ。ゾンビとかゴーストとか」
ゾロが眉を寄せ、なぜかぐっと言葉を飲み込む。
可笑しそうに笑うサンジが、くわえたタバコに火をつけた。
「いたな。あの時は、面白ェモン見せてもらったぜ」
「あァ?人の事が言えんのか、てめェは」
「なんかあったの?」
また険悪になってきた2人の間に割り込みながら、チョッパーに問いかけてみる。
「おれはゾロのは見てねェけど。ウソップが話してくれたのは、ゴーストがホロホロ……んごっ」
「黙ってろ。だいたい悪魔の実が関係してるオバケってのは、本物とは言えねェんじゃねェのか」
ゾロが手で言葉を塞き止めると、大きな掌の下でチョッパーがフゴフゴと喘いだ。
その隣でサンジが、グレーの空に向かって煙を噴き上げる。
「だけど、今はおれ見たんだ。ホントにいたんだ!」
人型になって手から逃れ、チョッパーは涙目でこぶしを握るとゾロに詰め寄った。
「だったら確かめてみりゃいい。どの辺にいたんだ?」
「ん?」
チョッパーの腕を掴み、ゾロはそのままススキ野原の中へ分け入っていく。
「こっちか?」
「最初から反対方向だろ!はっ、おれ、何で説明してんだ!?」
「じゃあ、こっちか」
「イヤだ!行きたくねー!!」
2つの影が、ススキをかき分けながら先へ先へと進んでいく。
遠ざかる騒がしいかけあいと、側にいるサンジが煙を吐く息づかいの密やかさ。
次第に、夢と現実の狭間を覗いているような、奇妙な感じが湧き上がってくる。
「ゾロ、何か動いたぞ!うわぁ、呪われるー!!」
「おい。チョッパー、押すんじゃねェ」
チョッパーがゾロの背中をぐいぐいと押しているのが、揺れるススキの間に見え隠れする。
その様子が可愛くて、私はつい吹きだしてしまった。
「2人とも元気だね」
サンジはゆっくりと煙を吐き、いかにもあきれ返ったという感じに首を振った。
「ありゃ、アホなだけだ」
「ねぇ、オバケと何があったの」
答えを言わないまま、サンジはタバコをくわえなおした。
先端の赤い炎が、夕闇の中でやけに鮮やかに燃えている。
ゆっくり3つ数えてから、私は重ねて問いかけた。